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映画『ヤクザと家族 The Family』感想 家族という「呪い」に価値を見出すヤクザたち


 各俳優、全員が演技賞ものの渾身作。映画『ヤクザと家族 The Family』感想です。


 唯一の肉親だった父を、覚醒剤で亡くしたチンピラの山本賢治(綾野剛)。クスリの売人からひったくった金で山本が仲間と行きつけの食堂で飲んでいると、店に居合わせた柴咲組の組長である柴咲博(舘ひろし)が目前で襲撃され、結果として山本は柴咲の命を救う。
 後日、クスリを捌く侠葉会の加藤(豊原功補)と川山(駿河太郎)に山本たちは拉致されて、クスリを盗んだ報復を受けるが、柴咲の名刺を持っていることで解放される。柴咲組と侠葉会は敵対しながらも、休戦中の状態だった。
 身寄りのない山本を柴咲は「ケン坊」と呼んで、「家族」として組に迎え入れる。山本も柴咲を「親父」として受け入れ、極道の世界を歩み始める…という物語。


 日本アカデミー賞の『新聞記者』や『宇宙でいちばんあかるい屋根』などで知られる藤井道人監督による最新作。監督の過去作でいうと、『デイアンドナイト』に一番空気感が近い印象ですね。
 飛ぶ鳥落す勢いの綾野剛を始めとして、実力派俳優、それも顔面表情筋力の高い渋い役者陣が並んでヤクザ映画となれば、観ずにはいられませんでした。

 名作『ゴッドファーザー』を引き合いに出すまでもなく、ヤクザ、マフィアの名作映画というものは、暴力エンタメを描きつつ、その組織が崩壊していく栄枯盛衰や因果応報を描くのが常ですが、この作品も、その系譜にある作品ですね。さらに言えば、衰退のその先までを描いた映画となっていると思います。

 物語は、三つの時代に区分けされて描いていて、あらすじに書いたものが第一部で、これがプロローグのような部分になっています。第二部から、縄張り争いする敵対ヤクザとのタンカの切り合い、血で血を洗う抗争という、暴力エンタメパートになっていて、昔ながらの全うなヤクザ映画世界が繰り広げられていますね。
 この部分の物語自体は、ノスタルジックになるくらい、古くからのヤクザ物語を踏襲していて、新しさはないんですけど、カメラワークがとてもスタイリッシュで現代的なんですよね。この画面のカッコよさが、エンタメとしての任侠世界を演出していると同時に、古臭いヤクザ世界との対比するような組み合わせの妙が生まれていたように思えます。ここであえて美化させるようなカッコよさを出すことで、ヤクザにとっての古き良き時代という演出となり、後半の脚本に繋がっていくという巧みな手法となっていると感じました。
 この部分だけでも、ヤクザ娯楽映画として一流の面白さではあるんですけど、実はこれは前フリの部分なんですよね。
 その後、第三部で柴咲組の凋落、そこに関わる「家族」たちの受難が描かれるわけですけど、今作の本当の主題は、ここからの物語なんだと思います。
 これでもかというほど、没落したヤクザが行き詰まる姿が描かれていて、第二部でのフィクション的エンタメ要素はすっぱりと消えて、まるでノンフィクションドキュメントのような、厳しく惨めな現実を突き付けてきます。過去のギラついた栄光から、段々とエネルギーを失っていくというのが、マフィア物の王道パターンだと思うんですけど、今作は、衰退しきったヤクザのその先を描いているのが大きな特徴だと思います。
 暴対法に縛られ資金繰りが厳しい組員、足を洗った人間に対しても纏わりつく5年ルールなど、作品タイトルを『ヤクザと労働』『ヤクザと人権』としても、しっくりくるような現実が描かれていますね。

 そのタイトルにもある通り、ヤクザと並んで描かれているのが「家族」という部分ですね。マフィア物で家族となれば、家族同士で裏切り殺し合いになっていくのが王道なんですけど、今作はそういったものはなく、家族同士は思いやるという関係性になっていますね。ヤクザ映画であると同時に、血がつながっていない人間同士が寄り添ってコミュニティとなるという、いわゆる「疑似家族」映画でもあるんですよね。

 基本的に、家族映画で描かれるのは家族同士の絆なんですけど、この絆というものが、「呪い」とも読み換えられると僕は思うんですよね。家族仲が良い悪いに限らず、介護であったりお金であったり、家族だから助けなければいけないという気持ちは、呪いをかけられているようなものだし、家族と縁を切って、関係を断ち切ろうとする行為も、それはそれで呪いの為せる業そのものだと思います。
 多くの家族映画では、この「呪い」が描かれていると思うんですけど、この呪いを、ヤクザの「仁義」と言い換えているように感じられました。主人公の山本は、仁義という「絆」に殉じた男であると同時に、その「呪い」を断ち切れなかったとも言えると思います。

 とにかく今作での俳優陣は、各々が渾身の演技をしていますね。相変わらず色気の強い綾野剛、昨年の『本気のしるし』でのヤクザ役も素晴らしかった北村有起哉、外道感が満載の駿河太郎など、普通の作品よりも、平均点数が一ケタ違う感じです。
 とりわけ良かったのは、木村翼を演じた磯村勇斗ですよね。ヤクザ的な暴力性を持ちつつ、クレバーな頭脳も併せ持つ半グレ少年を見事に演じていました。山本を慕っている翼ですけど、新しいやり方で活躍すればするほど、柴咲組の古さが際立つという、時代が変わってしまった事を示す演出となっていて良いんですよね。

 ただ、最も心動かされたのは、終盤で尾野真千子演じる工藤由香が泣きながら後悔の言葉を吐露する場面ですね。正直、この由香という女性は、山本にとって都合が良すぎる人物ではあるんですよね。家族がいないという共通項だけで恋に落ちるというのは説得力が少なく、ヤクザのような男でも受け入れてしまうという、まさに昔の任侠映画に出てくる女性という役割を負ってしまっていると思います。
 でもだからこそ、この終盤で悔いる姿に説得力が巻き起こるんですよね。尾野真千子さんは綺麗な顔でも、本当にグチャグチャにするのが上手いんですよ。どれだけ後悔しているかが、とてつもなく伝わってきましたね。

 個人的な難点を挙げるならば、スタイリッシュな撮影により、全体的な世界観が男前過ぎる感じはありました。綾野剛に限らず、惨めなヤクザを描いていても、やっぱり二枚目なんですよね。この辺りは、空気感が近かった過去作『デイアンドナイト』でもそうだったので、個人的に藤井監督の苦手な部分ではあります。もう少し山本や柴咲組の、ヤクザとしての罪の部分も描いてもらえれば、悲劇的部分だけでない複雑な感情を味わうことが出来たようにも思えます。

 ただ、結末の着地点、きちんと家族に帰結する終わらせ方は見事な脚本だったと思います。これだけ濃密な物語をよく一本の映画でまとめ上げたなと感嘆しますね。藤井道人監督、綾野剛共に、表現者としていかに充実しているかを証明する一作だと感じました。


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