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映画『クライ・マッチョ』感想 爺が見た束の間の心地好い夢

 まだまだ元気、とはいかない年齢に差し掛かっているようです。映画『クライ・マッチョ』感想です。

 ロデオ界のスターだったカウボーイのマイク・マイロ(クリント・イーストウッド)。栄光は過去のものとなり、年齢を理由に牧場での仕事を解雇され、家族とも死別し、老後の日々を孤独に過ごしていた。そんなマイクに、元雇い主のハワード(ドワイト・ヨアカム)が、メキシコで暮らす息子を連れ戻す仕事を依頼する。ハワードの別れた妻が、息子を虐待していると聞いたからだという。誘拐紛いの仕事にマイクは難色を示すが、恩義に報いるべく引き受けてメキシコへ向かう。メキシコで件の息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)と出会ったマイクは、誰も信じることが出来なくなっている少年と共に、国境へと車を走らせる…という物語。

 御年90歳を超えるクリント・イーストウッドの、最新監督・主演作品。『運び屋』が主演としてはさすがに最後になるかと言われていましたが、今作ではさらに老いさらばえた姿でスクリーンに登場してくれました。定年過ぎた爺さんが職場に残ると、人によっては煙たがられることもありますが、この年齢になると居てくれるだけで価値があるようにも思えてきます。

 原作はN.リチャード・ナッシュによる同名小説で、50年も前に書かれた作品だそうです。この映画公開に合わせて初邦訳されたようで未読なのですが、原作の主人公は38歳の設定らしいですね。イーストウッド50代の時に主演の話があったそうですが、その時は断ったようです。どういう意図かはわかりませんが、どこかにやり残した事という想いがあったのかもしれませんね(何も90代になってからやらなくてもと思いますが…)。

 作品のテーマとしては、今作と同じくイーストウッド本人が主演する過去作でも描かれているものですね。『グラントリノ』の新しい世代に託して去り行く姿、『運び屋』での過去に対する贖罪というように、老いて侘しくも美しいという描き方だと思います。
 ただ、過去作と比較すると、評価は数段下がっているのが今作の正直な感想です。長閑なロードムービーにしたかったのかもしれませんが、その割には中途半端な追手から逃れる緊迫シーンを入れていてどっちつかずな印象です。

 何よりも、イーストウッドの90代感が全開で、別な意味でハラハラするんですよね。メキシコまでの長距離を運転しているのも、この年齢ではアクセルとブレーキを踏み間違えるんじゃないかと心配になるし、教会の椅子をベッドにして眠る様も、背中が痛そうで「何かあってからじゃ遅いだろ!」と注意したくなります。

 昔とった杵柄的に、暴れ馬を乗りこなす場面も、本人の乗馬で撮影していないのはモロバレですが(当たり前だ)、そもそも馬乗らすなよ、と思ってしまいます。
 最大の緊迫シーンである銃を突き付けられる場面でも、相手が落した銃を拾って奪う動作がめちゃめちゃ緩慢で、言っていないはずの「よっこらせ」という台詞が聞こえた気がして笑ってしまいました。

 『運び屋』でもヨボヨボ演技を見せてはいましたが、それはあくまで撮影時の演技で、撮影外では矍鑠と歩いているというエピソードが語られていました。けど、もし今回もヨボヨボ姿が演技なんだとしたら、演出として逆効果だと思うんですよね。さすがに痛々しすぎるように感じられるんですよ。ジジイ、無理してんじゃあねぇよ。

 一応、この作品は「マッチョイズム」というものの否定というか、古い価値観として捨て去るべきという主張をしているんだと思います。見せかけだけ強さを主張しても、そんなものは何にもならないということを、マイクがラフォに伝える物語だと感じました。

 けど、その割にはマイクが、エライことモテモテなんですよね。ラフォの母親であるリタ(フェルナンダ・ウレホラ)からベッドに誘われたり(そもそもこの母親、何で財を為したのか、今一つ描写不足ですよね)、立ち寄った村のレストランでマルタ(ナタリア・トラヴェン)から言葉も通じないのに好意を寄せられたりと、ヨボヨボとした90歳超えの老人に何故と思わずにはいられません。
 もちろん、マイクはそれを自慢げに語るような男ではないわけですが、何かこう、「今の俺も捨てたもんじゃないだろう?」というイーストウッド本人の声が、行間から漏れ聞こえてくるようでモヤッとするんですよね。

 ただ、マイクとマルタの繋がりは、美しく心地好い映像になっているし、不思議とそこまで腹立たしくは感じられないようになっているんですね。物語全体に、いわゆる「ご都合主義」感が満載なんですけど、それもイーストウッド老人が微睡みの中で見た良い夢だと考えたら、これはこれでいい物語なのかもしれません。「幸せそうで良かったな。ジジイ、長生きしろよ…」という気持ちで観ることができました。

 ラストでラフォがあの決断をしたことは、正しい選択とは思えませんでしたが、マイクと違ってラフォはこれから自分の人生で戦わなければいけないので、あの選択なんだと思います。
 そのラフォにとっての、帰って来られる新しい実家をマイクが作ったという結末なんでしょうね。たとえラフォが帰る頃には、マイクが既に去ってしまっていたとしても。

 物語としては悲壮感はないはずなんですけど、鑑賞後に何故か今までにない淋しさを感じさせる作品でした。イーストウッド作品がこの後も生まれるのか、あと何作できるのか、全くわかりませんが、確実に終わりは近づいているということを、ひしひしと感じています。


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