父への結婚報告『自立について』
あこがれの人
「どんな人になりたいですか?」
そう聞かれたら決まって、
「世界観がある人」と答えていた。
例えば、真っ白なキャンバスを差し出したとして、
「好きな絵を描いてみて」と言ったら、
スラスラと筆を動かしてしまうような。
それでいて、その人らしい絵があっという間に
出来上がってしまうような。
そんな人にずっとあこがれていた。
私はきっと、真っ白なキャンバスに自分らしい絵を描くどころか、「好きな色を作ってみて」と言われても、
なんだかうまくいかないだろう。
そんな人生を送ってきた。
私のこれまで
これまでの人生を振り返ると、
目の前に差し出されたカードから、その時々でいちばん使えそうなカードを選ぶような人生だった。
差し出されたカードの中には、
ほんとうは自分の欲しいものが無いかもしれないのに。
そんな可能性なんて、考えたことがなかった。
そんな私は、白いキャンバスに
理想の色を調合することすらできない。
もちろんこれは具体例であるが、分かりやすい例だと思うのでここで使わせてもらう。
自分が持っているスキルや特性を、「絵の具」だとする。
そして夢を見つけることを、「理想の色をつくること」だとする。
私はずっと、手持ちの絵の具を、そのときの気分で手あたりしだいに混ぜて、いつか理想の色ができると信じていたのだ。
うまくいかないたびに、
今持っている絵の具のせいだ、と新たな絵の具を調達した。
これでもない、あれでもない、とキャンバスの上に色を付け足していくうちに、濁りがだんだんと色を濃くして無視できなくなる。
結局、「これじゃない」とやけくそになって、キャンバスを真っ黒に塗りつぶしてしまう。
まわりを見渡すと、
使いかけの絵の具が散らばっていて、
それを買い集めるために費やした時間やお金を考えて、頭が痛くなる。
そんな人生だった。
理想の同居人
ふと同居人をみると、初めから作りたい色がある程度、明確なようだ。
その理想の色を作るために、時々必要な絵の具を少しずつ調達している。
必要な絵の具を、その都度調達しているからか、きれいに整頓されたアトリエ。そこで彼はすごく楽しそうに、キャンバスに向かう。
持っている絵の具の数こそ少ないが、キャンバスには確かに濁りのない美しい色が見えた。
そうか。
絵の具の数が多いからと言って、理想の色ができるとは限らないのだ。
同居人の質問
それに比べて、真っ黒に塗りつぶされたキャンバスたちに囲まれ、絵の具が散らばった自分のアトリエをぐるりと見て、うんざりした。
もう、色を作り出すことなんてやめてしまおうか。
すでにある色の中から、モデルとする色を選んでしまおう。
何度も思った。
そして何パターンものお手本を、情報の海から探そうとした。
正直、疲れていた。
今まで必死になって買い集めた絵の具たちも、今では何の意味も持たない気がしてくる。
自分の理想の色すら、自分で作り出せないなんて。
その情けなさに、ほとほとあきれてしまう。
そんな私を見かねて、同居人が自分のアトリエから顔を出し、心配そうにこちらを見つめてきた。
「みなみはどんな色が好きなの?」
「黄色とか、オレンジとか、暖かい色が好きかなぁ」
「それなら、そういう好きな色だけをまずは塗ってみようよ。僕が見ていてあげるから」
「でも、青とか緑とか、少しクールな色をベースにした方がいい気がしていて。大人っぽさ、というか。」
正直、かわいらしい色は自分には似合わないと思っていた。だから、選ぶ色はつい寒色系になりがちなのだ。
「みなみはその色が好きなの?」
「とくべつ好きっていうわけではないけど、自分に合っている色はそっちな気がして」
自分が好きか嫌いか、そんな風に考えたことなかったな。
どうしたら綺麗な色が作れるだろうか、そこにしか目を向けていなかった。
「それなら、そういう色は必要になったときに付け加えればいいよ。ほら、まずは好きな色を塗ってみなよ」
同居人に見守られながら、私は言われたとおり新しいキャンバスに色を塗り始めた。
絵の具を選ぶたびに、同居人は「なんでその色を選んだの?」「ほんとうの気持ちは?」と聞いてきた。
自分の気持ちに目を向けることを忘れがちな私にかわって、質問を投げかけてくるのだ。
私はたびたび、「入れておいた方がよさそうだから」という理由で絵の具を選んだ。
そのたびに、彼の質問のおかげで踏みとどまることができた。
変化
好きな色だけを選ぶ作業はすごく楽しかった。
あんなに苦しんでいた作業が、今ではやりたくて仕方がない。
時折、「こんな色がほしいな」と思った色の絵の具が自分のアトリエから見つかった。
これまでの自分の頑張りも無駄ではなかったのかもしれない。そう思えた。
同居人の質問攻めにあいながら、
自分の思考の癖もだんだんと分かってきた。
これまでは、気持ちよりも理屈を優先して、
絵の具を選択してきたこと。
その絵の具を得るために、必死で努力してきた。
ほしいか・ほしくないかではなく、必要か・必要ではないか。
それだけが判断基準だったのだ。
その事実を把握できたから、絵の具を選ぶたびに、
「本当は、どっちがほしいと思っているのだろう?」と
自然と自分に問いかけるようになった。
こうして少しずつ、同居人がそばにいなくても、
自分の気持ちに目を向ける癖ができてきた。
この夏、同居人と結婚する。
キャンバスを真っ黒に塗りつぶした夜から、色を塗ることを楽しめるようになるまで。
ずっと側で見守り続けてくれた彼と、私は結婚をする。
正しさよりも、早さよりも、上手さよりも、私の気持ちに目を向け続けてくれた、素敵な人だ。
会社を辞め、やりたいことを見つけて動き出した私に、彼はプロポーズをしてくれた。
あこがれていた人と、私は結婚をするのだ。嬉しい。たまらなく嬉しい。
これからはふたりで、キャンバスに色を塗るのだ。
父への報告
遠く離れて暮らす父に、会社を辞めたことや
結婚したい人がいることを伝えた。
どこかで、喜んでくれると思っていた。
だけど違った。
私がどうしてその選択をしたのか、
どんな気持ちでいるのか、
そんなことは聞かずに、かえってきた言葉は
「せっかくいい会社に入ったのに、もったいないんじゃない?」だった。
私の期待は一蹴された。
でも、今の私なら、こう答えられる。
「もったいなくないよ」
「手持ちの絵の具がせっかくそんなにあるのに、
その色じゃもったいないんじゃない?」
そう言われたら、
「私が作りたかった色はこれなんだよ」
今なら、そう答えられるんだ。