見出し画像

見たはずのフェイクニュースを「覚えていない」| ズレから探る“今どき”のメディア環境(後編)

このnoteは、日経BP社より刊行された「アフターソーシャルメディア 多すぎる情報といかに付き合うか」(法政大学大学院メディア環境設計研究所編)を、皆さんにより知っていただくために開催されたウェビナーに基づいたものです。

前編「いいねの『質』は、いいねの『数』ではわからない」 では、出版のきっかけとなった、メディア環境のわからなさの背景に注目。データからは見えない、実際の人々の情報の接し方を取り上げました。

見えてきたのは、メディアや情報への付き合い方の「ズレ」の存在です。メディア環境の分からなさは、ズレによって深まっていました。

後編の今回は、この「ズレ」について、さらに詳しくご紹介します。

(登壇者)
白井瞭…リ・パブリック
藤代裕之…法政大学社会学部教授
吉川昌孝…博報堂 DYメディアパートナーズ
根本藍…法政大学社会学部4年


ズレ①:「見たニュースを覚えていない」若者のニュースの見方

近年問題になっているソーシャルメディア上のフェイクニュース。特に若者はメディア・リテラシーが低く、騙されやすいと言われています。
しかし調査でわかったのは、リテラシーが低いというわけではない、ということでした。

下のグラフは、人々のニュースや情報について「積極的に取りに行くものだ」という能動的接触派と、「たまたま気づいたもので十分だ」という受動的接触派に分けて、年代別に表したものです。

スクリーンショット 2020-08-07 20.37.32

グラフは20代と30代の間で交差し、若い人ほどニュースや情報に対して受動的な意識があることがわかります。
どうやら、ニュースや情報に対する意識が20代とそれ以上の世代でズレているようです。

藤代:「テレビをつける」とか「チャンネルを回す」、「新聞を取る」と言いますね。これらは全て「能動」なんですよね。メディアに対する言葉はこれまで全部「能動」で表現されていました。
でも学生たちの様子を見ていても、積極的に情報を取りに行っているようには見えない。情報接触のスタイルが違うのではないかと思うようになりました

では、ニュースや情報に受動的な若者はフェイクニュースをどのように見ているのでしょうか。

「フェイクニュースをTwitterで見た」という沖縄の学生にインタビュー調査をしていますが、その結果は意外なものでした。
「見た」というフェイクニュースを学生に探してもらったのですが、その学生はツイート内容を覚えておらず、見つけることができなかったのです。

藤代:ツイートは車窓から見える風景と同じ、とその学生は言いました。国道を車で走っていて「あ、マクドナルドあったな」とターンしたけれど見つからない。あったような気がするけれどないや、みたいな。

他にも沖縄の学生は「いいねは、特に考えないで押す。とりあえず押しておく」や、「頑張って見るニュースなんてない。流れてくるものを見るだけ」と調査で回答していました。

前編で取り上げた「いいね」の使い分けが、ここでも見られます。
また、「流れてくるものを見るだけ」という発言からわかるように、ニュースに受動的に接している学生にとって、そのフェイクニュースも目の前を流れていく情報の一つでしかなかったのです。



ズレ②:若者同士でもズレがある

若い世代ほど情報やニュースに対する意識が受動的になり、能動的な中高年との間にズレがあることが分かりました。
では、若者の間ではメディアや情報の使い方の感覚は共通しているのでしょうか。

根本私は同世代でもズレを感じる時があります。具体的に言うと、Twitterで投稿する人としない人といて、それはソーシャルメディアに何を求めるかの違いだと思います。
自分の発信をしたいとか、友達とコミュニケーションを取るためにTwitterを使う人もいるし、私はどちらかと言うと情報収集したいだけです。


コミュニケーションを目的に頻繁に呟く人もいれば、情報収集が目的のためあまり呟かない人もいます。

また、大学生同士でも相手がソーシャルメディアをどのように使っているのか、あまりよく知らないという指摘も。

人によってソーシャルメディアの目的も、投稿の更新頻度も、誰をフォローしているのかもバラバラで、他の人がどんな使い方をしているのか同年代でもわからないのです。「若者のソーシャルメディア利用」と一言で括ることができない、様々な付き合い方があるのです。


ズレ③:メディアを自由に使い分ける人

情報やメディアとの付き合い方のズレはこれだけではありません。ズレは一人の人間の中でも起きています。前編で登場した、博報堂DYメディアパートナーズが実施するメディアライフ密着調査から、もう一例取り上げます。

調査対象者の20代学生は、大きなタブレットで好きなバラエティー番組の最新の回を再生し、同時に手元のスマホで別のバラエティーの特別面白かった、いわゆる「神回」を流しています。

基本はタブレットで最新回を観ていますが、面白くないと感じると「神回」に視線を移します。複数のメディアを同時に立ち上げることで、どちらかがつまらなくても常に面白い時間を過ごせるように保険をかけているのです。
この学生は「もう一つのことに集中するのは無理」と調査員に話していました。

スクリーンショット 2020-08-07 20.37.19

しかし、夜寝る前になると一変します。スマホではなくラジオを取り出し、深夜放送を聴きながら寝落ちしました。後日、調査員が聞くと「何かジワって、俺は東京のどこかとつながっているな」と感じていたと答えました。

先ほどは「一つに集中することは無理」と話していたにも関わらず、この時はラジオだけに集中していたのです。

複数のメディアを使い効率よく情報に接する時もあるし、一つのメディアに集中する時もある。この20代の学生は、その時の自身のニーズに合わせてメディアの使い方を変えていました。


ここまで、データには現れない人々の情報の接し方と、そこにあるズレの一部を見てきました。情報やメディアとの付き合い方のズレは、他にも色々な場面に存在しています。

そうしたズレの存在を把握することは、情報が多すぎる時代のサービスやコンテンツを考えるヒントとなるでしょう。

「アフターソーシャルメディア 多すぎる情報といかに付き合うか」では、今回のイベントで扱いきれなかったズレや、ズレが起こる背景、どのようにズレを乗り越えて伝えたいことを伝えるか、考えるヒントが満載です。
全国の書店はもちろん、Amazonなどオンラインでも購入できますので、ぜひお買い求めください。

購入はこちら↓

また、ウェビナーでは「アフターソーシャルメディア」の著者である研究者と、大学生が研究調査を進める中で一番驚いたズレを紹介し、ズレが起こる背景についてトークしています。

これからも本書籍に関するイベントを開催していきます。
ラジオ形式のコンテンツなど、様々な展開を予定していますので、ぜひお楽しみに!

本ウェビナーの動画はこちら↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?