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「わかりあえない」を乗り越える対話のfirst step:自分に寄り添うこと

つい先日「わかりあえない」話をしていたら、宇田川元一さんの『他者と働く』を紹介された。

私が何をきっかけにこの本に出会ったのか、全く思い出せないのだけれど、誰かのおすすめか、ネット記事でだかできっと目に留まって、すでに読んでいた1冊。履歴をたどると2022年5月5日に購入していた。
この本をきっかけに、平田オリザさんの『わかりあえないことから』を読み、オリザさんのその他著書も読み漁り、「対話」をテーマにした本にあれやらこれやら手を出すことに。
行きついた先には、デビット・ボームの『ダイアローグ』もあり、ダイアログインザダークでの暗闇での五感をフルに使った対話体験もあり。。。

『他者と働く』を再度読み直してみた。
本の中で、「対話」とは新しい関係性を構築すること、と出てくる。
対話は、相手との「間=溝=適応課題」に「新しい関係性=橋」を築くことである、と。そのために4つのステップが紹介されていた。

1.準備「溝に気づく」
相手と自分のナラティブに溝(適応課題)があることに気づく
2.観察「溝の向こうを眺める」
相手の言動や状況を見聞きし、溝の位置や相手のナラティブを探る
3.解釈「溝を渡り橋を設計する」
溝を飛び越えて、橋が架けられそうな場所や架け方を探る
4.介入「溝に橋を架ける」
実際に行動することで、橋(新しい関係性)を築く

ふむふむそうだな、と納得しながら、私自身が「対話」で最も大切にしている概念を付け加えたいと思う。

0.セルフモニタリング「自分に寄り添う」
自分の反応、感覚に耳を澄ませ、自分自身の状況を把握する。自分の本音に向き合う。自分が大事にしている価値観をすくいあげる。自分を俯瞰的にながめる。

相手と自分の間にある溝をとらえる場合、意外に注意が向かないのが「自分」を的確にとらえることではないか、と思っている。「自分」を把握できなくて、どうやって相手との溝をより正確に観察することができろうか。他者との対話の出発点は、自分自身がどう反応しているか、感じているか、どうしたいのか、よくよく向き合うことからではないだろうか。

「対話」とは、自分の中に湧きおこってくるものと、向き合うこと。気づきを得ることとも言える。気づきがあるからこそ、新たな関係性を構築することにつながる。自分のとらえ方やモノの見方が変わることで、思考が変わるだけではなく、行動変容にもつながっていく。

「対話」は、必ずしも他者と会話することが必要なわけでもなく、自然やアートを前にしても「対話」は成立する。自分の中に湧きおこってきた何か、をすくいあげることが「対話」を深めるうえで最も重要なポイントだと、声を大にして伝えたい。

自分の本音とつながらないやり取りをいくら重ねても、本質的には溝は埋まらない。誰もが、自分自身の物語を大事にすることから始めたい。

『他者と働く』の中で、「私たち働く一人一人は組織を構成する部分であり、中心的な存在ではない」というメタファーの中で仕事をしていると語られている。仕事人生の中で、主人公であることを難しくさせている、と。

組織の中の部品として、機械のようにふるまうことが「正」となってしまっていることへの危機感。本音を隠し、上司のご機嫌を伺いながら対応し、そのうち本音があったことさえ忘れてしまう恐ろしさ。

ひと昔前までであれば、50歳定年で機械のような仕事人生でも、なんとか乗り切れたのかもしれない。バブル期までは、機械のようにふるまうことでの対価が魅力的だったこともあって、それはそれで良かったのかもしれない。

けれど。
70歳まで働くことがスタンダードになろうかとしている今、「人間らしさ」を失った仕事人生は、果たして持続可能なのだろうか。心(本音)を置き去りにした生活は、幸福感とほど遠い気がするのは気のせいか。

機械のような仕事人生の中で、自分らしさ、人間らしさを取り戻すきっかけになりうるのが「対話」だと思っている。わかりあえない他者との溝を埋めるためには、まずは、自分自身を把握することから。他者との関わり合いの中で、自分の輪郭がはっきりしてくることもあると思う。ザワザワするとか、ホッとするとか、テンションがあがる、緊張する、、、、、小さな反応に耳を澄ませること、自分自身の中心にあるものに向き合うことから、「対話」をはじめたい。

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