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歴史に事実を上回る認識があると知ったアラスカの学校生活

小学校6年生のある日、米国はアラスカ州の最大都市アンカレッジに引っ越した。
ごく普通の英語もできない11歳のわたしは、現地の小学校に転校することになった。
このアンカレッジでの生活はわたしにとって初めての海外であり、世界の広さを知る原点となった。

転校前、かなり平和教育に力を入れた大阪の小学校に通っていた。わたしがこの小学校にいたのは3年生から6年生までだ。特筆すべきは「20万人の顔」プロジェクトだろう。
「20万人の顔」プロジェクトとは、生徒に自宅から新聞の顔写真の切り抜きを集めさせ、それを全て模造紙に貼り付け、原爆でどれほど多くの人々が命を落としたかをビジュアル化させるプロジェクトだ。20万人ぶんという夥しい数の顔写真が貼られた模造紙が廊下にずらりと貼り出された光景には、現実味を帯びていない異様さがあった。
このインパクトあるプロジェクトは話題を呼び、当時の新聞にも掲載されたのを覚えている。

修学旅行では広島の原爆資料館や平和公園を訪れ、学習発表会では、戦争の物語を子どもたちが演劇として上演し、歌も戦争に因んだものを習った。平和学習を重んじていたのだろう。
だからわたしも自然と、戦争の悲惨さや原爆の重大さを認識しているつもりだった。

歴史は、万人に共通な事実なのだと思い込んでいた。

もしかしたら、当時の日本の小学校の教師もそう思っていたのかもしれない。

だが、6年生で転入した米国の小学校で使われている教科書や教えられている内容は、日本の学校とはまるで違うものだった。

今でも覚えているのだが、使われていた教科書ではパールハーバーに大きく紙面が割かれ、原爆については日本の教科書にあるよりもはるかに小さく取り扱われていた。
そして、教師が授業でパールハーバーについて語ると、クラスメートの女の子がわたしの方を見て冗談半分に頬を膨らませ怒ったように責める顔をした。
つまり、パールハーバーについて、まるで日本人のわたしが悪いことをしたのを咎めるように。

たとえそれがふざけてやったことだったとしても、そのような意識を植え付ける教育は恐ろしい。

日本が行ったことは悪であると生徒が認識するストーリーで、原爆については重視されていない教育。

アメリカでは、日本の教科書とはまるで違う歴史が教えられている。これがどれほど恐ろしいことか。
小学生なりに、このインパクトは心に焼き付いてしまった。

わたしではないのだが、一緒に学校に通っていた同級生の日本人の女の子に起きた出来事がある。
社会科のクラスで、おそらくアリューシャン列島の戦闘に関するフィルムを見せられたのだろう。
これを見たアメリカ人の男子生徒が、日本人はひどいな(stupid)とその場で言ったらしい。それを見た教師がその生徒を廊下へ連れ出し口頭で注意し、後から日本人の女の子にクラスの前で謝罪させたという。

このフィルムの詳細はわからないが、わたしも日本軍が万歳三唱をしている様子のフィルムを授業で見せられて、日本人が悪者として描かれている「歴史」に強烈な違和感と居心地の悪さを感じたのは覚えている。

原爆を正当化する言論は、こうして授業の中でも作られていったのだろう。

もちろん英語がそこまで理解できていなかったから、明確に言葉を持って原爆を正当化したのかどうかはわからないのだが、少なくとも男子生徒がそんな感想を抱いたり、クラスメートがわたしをふざけて睨んだりする反応を見れば、どのようなことが教えられているのかははっきりとわかる。

何度も書いているけれど、これについてはこの先幾度だって語ると思う。

人が語る時、歴史は動かぬ事実ではなく認識と解釈になってしまうのだ。
そして、その解釈がいつしか善と悪を作り、わかりやすい物語を構築し、やがて他者を攻撃する口実が作り上げられてしまう。そしてそれが人の命を奪う。夥しい数の命を奪う。

どうか、注意深く耳を傾けてほしいと思うのだ。

11歳のわたしが初めての外国で直面して愕然としたような、世界の広さと認識の違いに。

だからこそ、たとえ微力であったとしてもわたしは生きている限りこうして発信を続けていきたい。


8月6日 暑い日に
わたしの人生に大きな学びと思い出をくれたアラスカの日々

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