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翻訳スクールに通っていた記憶は消えかけていた

両親の家のクローゼットにある自分の資料や荷物を整理していると、見覚えのないファイルがあった。
半透明のグリーンのファイルの表紙から、「修了証書」の文字が見える。

まるで記憶になかったが、それは2004年に受けた某翻訳スクールの「文芸翻訳基礎コース」のものだった。そんなことすっかり忘れてしまっていることに驚いた。
自分は、大学生の頃に出会った作家ベッシー・ヘッドのある長編小説をどうしても自分で翻訳して出版したいと思い、スクールに通っていたのだ。

内容を見てみると、実務翻訳(ビジネス、コンピュータ、法律、メディカル)もざっとカバーされている。そして、文芸(出版)翻訳の課題の方は、フィクション、児童文学、ノンフィクションと広範囲にわたる充実した基礎コースだった。(それも忘れていたのか)

毎回課題が出てそれなりにハードだったが、タイプの違う資料にあたりそれぞれの分野の特性や訳し方のポイントへの理解を深めるのにとても良かったのをなんとなく思い出してきた。

そういえば、先生がおっしゃったことのいくつかは今でも時々思い出すことがある。

出版社へ企画を持ち込むシノプシスについても学んだのは、実際にベッシー・ヘッド作品の企画をプレゼンするのにとても役立っている。

ファイルを見ていると、記憶しているよりもずっと大量の資料と課題があり、当時のわたしが苦戦しながら課題をなんとかやった痕跡、先生のコメントをメモしまくった跡がずいぶんあるのに驚いた。
記憶がないから。

いま読み返しても勉強になる。

どうしてもベッシーの本を翻訳したくて、思い切って飛び込んだ翻訳スクールだったけれど、結局わたしは多くの生徒さんと違って「翻訳家になりたい」のではなく、ベッシーの本を訳したいという極めてピンポイントな情熱だけだったので、基礎コース以降のコースを継続していくモチベーションとエネルギーに欠け、それ以来翻訳スクールには通っていない。

あれから20年近く経った現在でも、まだその本は出版できていない。

その次の年にジンバブエに赴任し、その後はずっと国際協力の世界でアフリカと関わってきた。
自分なりに人生のコマは進み、あのころ必死だった自分からは一応ずいぶん前進したのだと思う。

でも、必死だったころに積み重ねてきたものって、案外重要なのかもしれないと思う。
このファイルを見てもそうだけれど、こんなにたくさんの課題を頑張ってきたなんて、二十代のわたし偉すぎる。

自分が積み重ねてきた努力って、案外忘れがちだったりする。
それは「上」を見ているからだと思う。

実現していない夢や目標、自分よりも実力や経験が上回る人たち。

でも、わたしがこうして忘れていたように、自分は案外やってきたことがたくさんあって、それは今の自分を形作る宝物となっているんだ。
そう思うと、二十代のわたしにありがとうと言いたくなった。

自分が残してくれたこのファイルを見て自分に教えてもらいながら、もう少し現在の翻訳原稿をブラッシュアップして、ベッシー・ヘッド作品の出版につなげたい。


そういえば、今ファイルを見ていたら先生が最後の授業でおっしゃったことを急に思い出した。

「皆さんがいつかご自分の翻訳した本を出版されたら、そのときはぜひメールで知らせてくださいね」

あれから20年近くも経ってしまって、先生は今どうされているのだろう。
満を持してそのメールを送ることができる日のために、わたしは自分がやるべきことを続けたい。

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