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ベッシー・アメリア・ヘッドはどれほど愛されている作家か

少し早いのだけれど、今年はこんな記事を書いておきたいと思う。

4月17日は南アフリカ出身の作家ベッシー・アメリア・ヘッドの36回目の命日にあたる。

1986年に亡命先のボツワナはセロウェ村にて、48歳の若さで肝炎で突然亡くなった。

人種主義政策が厳しくなりつつあった南アフリカで、1937年白人の母親と黒人の父親の間に生まれたときから「違法」な存在で、その後、孤児院を出てジャーナリストとなり、やがて幼い息子を連れて隣国ボツワナに亡命する。

とうとうアパルトヘイトの終焉を見ることもなく、再び南アフリカの地を踏むこともなく、満を持して自伝に着手しようとしていた矢先にこの世を去った。

ボツワナへ亡命したのが26歳のときで、作家としてデビューして名を知られるようになるのはボツワナ亡命後だ。(主な作品については後述する)

その作品は、言葉や描写、表現の美しさと力強さ、アパルトヘイトだけでなく人種主義、差別、ジェンダーについて、実に鋭い視点をボツワナの農村の物語に織り込んでいる。

そして何より、たとえ主人公でも悪役でも、登場人物ひとりひとりの精神性、心の奥深くまで鋭く描き出した物語は、「人を愛する作家」として今でも多くの人の心を捉える彼女の最大の魅力だろう。

(ではどんな文章を描くのか、については後述する)

一人息子ハワードと(Khama Memorial Museum)


わたしは大学在学中の1997年ごろからこのベッシー・アメリア・ヘッドを敬愛し、彼女の作品のひとつを日本語で翻訳出版するために翻訳作業と出版社探しを何年もにわたって続けている。

昔は、大学院修士論文や、勉強会、ゲストスピーカーとしてどこかでお話をさせていただいたときのペーパーと、せいぜいどこかに寄稿した文章くらいしか発信するすべもなかったが、現在ではブログ、note、SNSとあるため、ベッシーのことをひとりでも多くの日本の方に知っていただけるように、日本語で発信している。


この作家は、世界でどのような評価をされているのか。
出版の話を持っていくと、編集者さえもアフリカというだけで無名と思ってしまうひとまでいる現状をわたしは常々嘆いている。

日本語で発信される情報が、わたしが大学生だった90年代からそこまで変わらず、とても限定的なままなのだろうなと思う。

出版社に共有する企画書にはベッシーに関する各種情報は必ず書いているのだが、きっとそれすらも十分に読んでいただけていないこともあるようなので、ここにメモ書き程度に書いておく。


★ ★


ベッシー・ヘッドはキャリア途中で早くして亡くなってしまったため、ノーベル賞候補とまで言われていたのが実現しなくなってしまった。

それでも、名前が世界中に知られるようになった1970年代から86年に亡くなるまで、アフリカ大陸だけでなくヨーロッパやアメリカなど各地に招聘され、文学フェスでの登壇、大学での文学フェア、世界中の著名な作家を集めたアメリカの大学での文学ウィークなど、実に多くのイベントに招待され参加している。

いくつかラジオ出演の音声記録も残っている。

生前から彼女を調査しようとする研究者は世界中にたくさんいて、ボツワナに押しかけられ続けるので、本人はうんざりして断ってたというエピソードもある。
彼女が生きているころからの、研究者の論文がたくさんアーカイブされている。

また、アリス・ウォーカーなど著名な作家との手紙のやり取りも頻繁に行っている。


86年に亡くなったあと、研究者たちによる「ベッシー・ヘッド学会」が3回開かれている。

ひとりの作家をテーマに学会が行われるのは、果たしてどれほどのことか想像してほしい。

その後、ベッシー・ヘッドの原稿と各種アーカイブは、ボツワナのセロウェ村にあるカーマ・メモリアル・ミュージアムが保管しており、現在でも研究者が閲覧できるようになっている。

ベッシーの作品は、わたしももちろんすべてトラッキングできるわけでないが(多分難しい)、世界各国で多くの翻訳が出版され、現在でも新しい版で出版され続けている。

亡くなって36年も経った作家の作品が、まだまだ新しくなり続けているとは、果たしてどれほどのことか想像してほしい。(2回目)

南アでも、学校の教科書に使われたり、ベッシー作品が演劇化されて上演されたりしている。彼女にインスパイアされた短編映画もある。
今では、毎日のようにSNSに世界の誰かが彼女の本の感想をアップしているのを見かける。

そして、もちろんベッシー・ヘッドで博士論文を書いたり論文を発表したりする研究者は今でも多い。

2007年には生誕70年を祝い、ボツワナと南アでけっこうな規模の「ベッシー・ヘッド・フェスト」が開催された。

ボツワナ大学でのシンポジウムのほか、セロウェ村では様々なイベントが開催されとてもにぎわった。
このとき、国際協力大臣を務めて作家としても有名なユニティ・ダウ氏も来賓として参加しベッシーに思いをはせる挨拶を述べている。

南アフリカの彼女の出身地ピーターマリッツブルグでは、図書館にベッシーの名前が付けられた。

1960年代、アパルトヘイトで人種主義政権下の南アフリカ政府は、政治活動にかかわっていた若きベッシーのパスポートを発行せず、ベッシーは二度と帰国を許されない出国許可証だけで1964年に亡命している。
本人が亡くなってずいぶん経った2003年、南ア政府はベッシー・ヘッドに勲章を贈っている。
言葉にならない。




現在では、数名の研究者とベッシーの古い友人などが中心となって、ベッシー・ヘッド・ヘリテージ・トラストが設置されており、アーカイブのデジタルデータベース化や管理保存、世界中からのベッシー・ヘッドに関する出版をはじめとした問い合わせに対応している。

わたしは最初にボツワナを訪問してからもう25年ほどになるが、今も研究者の皆さんとは付き合いがあり、このヘリテージ・トラストの仕事を一緒にやっている。


★ ★

ここには、ほとんど事実関係のみだけ書いた。

わたしがベッシー・アメリア・ヘッドという作家を愛し、こうして活動を続けているのは、誰かの心に思いを届けたいからだ。
ベッシーの思いということではなく、ベッシー・ヘッドが描いた世界が、現在の誰かの心の奥深くに必ず届くと確信しているからだ。


まずは一冊の小説の翻訳出版だが、それすらもう十年も二十年もかかってしまっているのだけれど、わたしはこれをライフワークとして、何かを綴り、言葉を発信していくこと自体に幸せを感じている。

あとは、受け取るひと次第だと思うのだ。


こうして命日になると、いつも何かを書きたくなる。

いずれはブログではなくて、きちんとした形に書きまとめたいと思う。
そしてそれも出版できるといいかな。

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ベッシー・ヘッドとはだれか、わたしとベッシー・ヘッドについて



ベッシー・ヘッドの人生について(noteマガジン)



ベッシー・ヘッドの作品の引用(noteマガジン)






主な著作(ほんの一部ですが)
 長編小説

When Rain Clouds Gather, London: Victor Gollancz 1969 (本書)

Maru, London: Gollancz, New York: MacCall1971, London: Heinemann 1972

A Question of Power, London: Davis-Poynter, New York: Pantheon1973, London:Heinemann 1974

(歴史フィクション)A Bewitched Crossroad: An African Saga, Johannesburg: Ad Donker1984

(没後出版)The Cardinals: With Meditations and Short Stories ed. By M.J.Daymond, Cape Town: David Philip 1993

 短編集・エッセイ集

A Collectors of Treasures, London: Heinemann, Cape Town: David Philip 1977

Serowe: Village of the Rain-Wind Cape, Town: David Philip, London: Heinemann1981

Tales of Tenderness and Power, ed. By Gillian Stead Eilerson1989, Johannesburg: Ad Donker, Oxford: Heinemann 1990

A Woman Alone: Autobiographical Writings, ed. By Craig MacKenzie: Oxford: Heinemann1990

A Gesture of Belonging: Letters from Bessie Head, 1965-1979 ed. By Randolph Vigne: London: SA Writers, Portsmouth: Heinemann, Johannesburg: Witwatersrand UP 1991

 日本語訳

『力の問題 』中村輝子訳 学芸書林 1993年

『マル―愛と友情の物語 』楠瀬佳子訳 学芸書林 1995年

『宝を集める人』酒井格訳 創樹社 1992年

『優しさと力の物語アフリカ文学叢書』くぼたのぞみ訳 スリーエーネットワーク 1996年

まずは、わたしの訳した小説が出版されたら、セロウェ村のベッシーの墓前に挨拶に行きたい。


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