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≠写真のお話を時には昔の話で

何の事か、分からないと思います。
なので何の事かというと、
写真はいきなり生まれた訳ではありません、という事です。

「写真=photo」・ 光画 ∋ 陽画 ∋ 陰画 √太陽 
細分化すると、色々とありますが大体こんな感じです。
益々もって何の事か、分からないと思います。

それは、願望が発見を促し、試行錯誤から幾つかの道ができ、
それの成功への選択肢が複雑化しても、誰かが手繰り寄せた
そんな、写真の道筋の簡略化のお話です。

前の 後のお話 ヘリオグラフィー

昔々、ある所に
1798年 フランス中部
ソーヌ=エ=ロワールのシャロン・シュル・ソーヌ

「見ている景色が残せたら」と
真剣に [ 写実 ] を「夢みた人」がいました。

ジョセフ・ニセフォール・ニエプス

その人は リトグラフ(石版印刷) に関心をもって研究、
さらに光が作り出す像を定着させる技術の研究、

そして、風景の放つ光の像を平面へ定着 に成功しました。
 1816年に陰画の撮影の一旦の成功、しかし定着できず失敗。
その後 1826年 陰画の定着に成功し、後に陽画になる。
これは「ル・グラの窓からの眺め」という作品です。
この時はアスファルトを使っており、銀の使用はありません。

しかし、すったもんだされノーカウント扱いになります。
 露光時間が長く自然な状況が描写されていない、
また模倣に関わる問題は決して軽視できるものではない等。

結局、公としては後継の人が達成しました。
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール
1838年「パリ、タンプル大通り」の作品です。
これが今日的な「ダゲレオタイプ(銀塩写真)」の始まりの元で、
「ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ」という
世界初のカメラも発売されました。

それでもこの写真技術は最初の人が命名しました。
研究と挑戦をした人が「太陽で描く画」という意味の
「ヘリオグラフィ(Héliographie)」と残しました。

そんな、昔のお話です。
フランス革命に運命を翻弄され、さらに研究と発明の協力者だった
兄は事業に失敗し一家は困窮へ。それでも揺らぐ時代を駆け抜けて、
果てない同じ思いを息子とダゲールへ希望を託し、結実しました。

前のお話 カメラ・オブスキュラ

それは映像・時を固定したい、という試行錯誤
ピンホール現象の発見が起源で、紀元前から観察されていた様ですが、
像を投影する装置としては15世紀イタリアの写実的絵画の実践に
使われていた「カメラ・オブスクラ」がその装置になります。

その時には、これから
それは11世紀のイブン・アルハイサムの研究報告や
芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチのメモに残り、
イタリアの自然哲学者G.B.dellaポルタの1558年「自然魔術」の記述で
具体的に、カメラ・オブスキュラの「絵画への応用」が推奨されています。
そしてそれは幻の常態化を脱却し、固定装置の道具として完成され、
ダゲレオタイプ・カメラになり、フェルメールにカナレットなどの
「画家」に使われていきました。

また一方で「幻の灯火」としての発展もしていきました。

≠写真のお話

という事は
「カメラオブスキュラの映像」の「定着をヘリオグラフィー」
で行った、というお話が「前と後」になります。

そして記録装置と記録の支持体、それは同じ様で違いがあり、
同一でも、単独でも表現可能です。

そのルーツもぼんやりではありますが見えたと思います。

可能性の展開「支持体」
記録の支持体は記録装置に依存した存在と思われていたかもしれません。
そこで、「支持体に対して装置を行為」とした時の(定着を含め)
「単独の表現」はgigazineさんからの引用をご参考にしてください。

現代的ではありますが、元は同じです。
ヘリオグラフィーはいわゆる印画紙やフィルムの事でもありますが
そこには「定着」という事も含まれていると考えています。
なので、行為と重なる「定着に対する行為の捉え方」で
こんな素敵な表現ができることを知ってとても新しく感じ、
写真を学ぶ楽しさを増やしていただいた事への感謝を覚えています。

可能性の展開「装置」
お次は「装置の単独での表現」になります。
またまたgigazineさんからの引用をご参考にしてください。

映写とし継続的な記録としては残りませんが、装置として進化した姿です。
「物」として凄く格好良くて、この学びはそこからであった事を覚えてます。
また楽しい発信をありがとうございます、です。

その時のこれから、その先は
記録装置と記録の支持体、それから「術・graphy」へ至る道
共に同じ開祖的な存在がありました。
そして今や、記録の支持体は記録媒体が主流ですね。

前史のお話

それが今回のお話でした、「どこからどこまでが前史」になるか。
とても悩みましたが、「装置と支持体が揃った時」だと思いました。

違うという観点もあると思います。また至らぬ点につきましても、
なにとぞ、共にご寛容のほどお願い申し上げます。

現状や先を見据えるならば、その写真のルーツは、と思い
「≠写真のお話を、時には昔の話で 」させていただきました。
読んでいただき、ありがとうございました。

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