見出し画像

気づくための眼鏡

友人の結婚式を兼ねて京都を訪れた。
京都は1年半前まで約4年間住んだ街であり、新卒時代を過ごした思いい入れのある場所である。

そんな京都のお気に入りの場所の一つKumagusuku
私がいた頃はアートホテルだったのだが、現在は営業形態を変え様々なユニークなお店とギャラリーのある場所になっている。

画像1

Kumagusukuにある作曲家・ソシテ或日のアトリエでの1枚

そんなKumagusukuのふと訪れた一室で、不思議な眼鏡屋さんに出逢った。
部屋に飾れているのは、ヘンテコな新しいのに古びているような、レンズのない、タイムスリップをしたような眼鏡たち。
そして、ダンディな師匠と素朴で軸のある印象を与える小柄な女性。

あまりにも熱心にみるものだから、師匠が一言「かけてみる?」と。
返事はもちろん「YES」ユニークな眼鏡たちをかけてみた。

画像2

世界は思った以上に変わらず見えて、でも何処かヘンテコな感じ。
そんな世界を見ながらふと思った、「そもそも今眼鏡を付けずに見ている世界が正しいなんて誰が決めたんだ」と。

そもそも私たちの目には物をみるための視細胞がない部分があり、日常の中でも常に見えない箇所を反対の目や記憶等で補っている。
色の見え方が異なる場合もあるし、一部見えてないところを脳が補い続けている場合もある。
同じ画像をみていても、意識するかどうかで見え方の印象は大きく異なる。(Ex. 赤色のものを見つけてください。と言われる前後の見え方)

今見えている画像は絶対的な物ではなく、あくまでも現時点で自らが作り出した世界であり正しいものなんて存在しない。
ただそこには、他者と共有できる観点が多いため、共有するものとして視覚要素が活かされている。
ただそれなけなのではないだろうか。

レンズで補正された視点で世界を見るのではなく、常に他の見え方があることを認識することが、世の中を正しくみることに繋がるのだろう

視力を変えることはできないけれど、視野を広げることができる。
そんな眼鏡と出逢った不思議な昼下がりの物語。

画像3

Société Nouvelles Lunettes 視覚研究所 
Société Nouvelles Lunettes はフランス語で社会の新しい眼鏡


いただいたサポートは他のクリエーターさんのサポートやマガジン購入に使わせていただきたいと思っています。 noteを通じて、みんなの気持ちが少しでも豊かになりますように。