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【ピリカ文庫】お母さんが朝顔になった日

 その日、お母さんは朝顔になった。

 5月の連休が明けた頃、シュンが通う小学校では「生活」の授業で朝顔の栽培が始まった。
 種を植え、たっぷりのお水をまいて発芽を待つ。
 シュンが母に、学校で朝顔の栽培が始まったことを伝えると、大の朝顔好きの母は「毎日観察日記を付けるといいよ」「育つのが楽しみだね」と言って、それはそれはすごく喜んでいた。

 翌週、茶色い土のなかに黄緑色のかわいらしい芽がぴょんと出ているのを見つけたシュンは、母に言われたとおり観察日記を描いて、駆け足で家に帰った。

 そうしたら、母はいなくなっていた。


 翌日学校へ行くと、担任の先生が「シュン、お母さんがいないあいだ寂しいと思うけれど、お母さんは必ず戻ってくるから、大丈夫だからな。困ったことがあったらすぐに先生に言いなさい」と言った。
 先生は、お母さんが朝顔になったことを知っているみたいだ。
「前々から、母は朝顔になりたいと言っていたんです。まさか本当に朝顔になれるとは思いませんでしたが」
 シュンがそう答えると、先生は一瞬ポカンとして「シュン、本当に大丈夫か?」と訊いた。
「大丈夫です、先生。お構いなく」
 そう言うと、シュンはお辞儀をしてその場を立ち去った。
 後ろで先生が「相変わらず1年生とは思えない敬語だな……」とつぶやいたのが聞こえた。
 シュンは母子家庭だったが、教師をしている伯母がしょっちゅう育児に口出しをしており、シュンも目上の人に対する敬語やマナーについて厳しく指導されていた。


 その日から、シュンの朝顔の観察日記が本格的に始まった。
 芽が出た翌日にはさっそく双葉が開いていた。
 朝顔は日に日に葉を増やし広げながら、つるをぐんぐん伸ばしていく。毎日目に見えて大きくなっていく朝顔の観察をすることは、シュンにとって楽しみであり癒しだった。

 ただ、つるが伸びはじめた頃には、シュンはクラスで孤立していた。
 休み時間のたびに教室のベランダへ出て朝顔に話し掛けているシュンに、声を掛けてくる者はだれもいなかったからだ。
 先生も「朝顔ばかり観ていないで、たまにはみんなと遊んだらどうだ」と言う。けれどシュンは、自分が遊びほうけているあいだに母の分身である朝顔が枯れてしまうかもしれないことのほうが、クラスで孤立するよりも怖かった。
 実際「シュンくんって何考えてるかわからないよね」「なんか怖いよね」「変だよね」などと陰で言われていることも知っている。それでも、何か嫌がらせをされるということはなかったので、シュンは別に構わないと思っていた。


 ところが、最近状況が変わってきた。

 ある日、いつものようにシュンが朝顔を眺めていると、後ろからぶっきらぼうに呼び掛ける声があった。
「シュン! 黒板消すの手伝えよ!」
 同じクラスのレンだ。
「ぼく日直じゃないよ」
「知ってるよ、おれが日直だからな。ただ朝顔見てるだけなんだから暇だろ、手伝えよ!」
 レンの有無を言わさないような物言いに、シュンは「わかった」と言うしかない。
 レンは最近妙にシュンに絡んでくる。それも毎回朝顔の観察を楽しんでいる時に邪魔をしてくるのだ。
 このあいだなんか、わざわざ『ザツヨー 雑用  あるー?』と職員室中に聞いてまわってまで、シュンにザツヨーを押し付けてきた。
 日に日に頻度が増えている気がする。
 シュンが強く断れないのをいいことに、レンのそのような行動は7月に入っても続いた。


 種まきからちょうど2か月ほどが経った7月のある日、シュンにはつらい出来事が起こった。
 シュンが朝登校すると、教室のベランダに並ぶ、クラスのほとんどの朝顔が色とりどりの花を咲かせていた。ところがシュンの朝顔は一つとして花が咲いていなかったのだ。
 毎日お日さまがいっぱい当たるように、だれよりも一生懸命お世話をしていたのにどうして。
 シュンはいたたまれなくなって、自分の朝顔のプランターを強く突き飛ばし、教室を飛び出した。
 自分の朝顔にだけ花が咲いていない光景を目の当たりにしたとき、シュンは自分のそばにだけ母がいないことを突き付けられたような気持ちになってしまった。
 朝顔がお母さんじゃないなんて、そんなことは当たり前にわかっていた。
 だけど、朝顔の花が咲いたら、その時にはきっとお母さんが戻ってくるんじゃないかと毎日願いを掛けていた。

 シュンが校舎の脇にある花壇の前でしゃがみ込んでいると、隣にそっと担任の先生が腰を下ろした。
「シュン、これ落としたぞ」
 それは、シュンがポケットに入れて肌身離さず持ち歩いていた母からの手紙だった。

「シュンへ お母さんは、びょうきがよくなるように、びょういんにおとまりするよ。先生やかんごしさんがついているから、だいじょうぶだよ。 シュンのせいじゃないんだよ。会えないあいだも、お母さんはシュンのことが大好きだよ。 お母さんより」

「先生、どうしてお母さんは病気になっちゃったの」
「そうだなあ。お母さんはもしかしたら、たくさんたくさん頑張りすぎちゃったのかもしれないなあ。シュン、もしかして、朝顔のプランターの場所をいつも移動していたかい?」
「うん。はやく花が咲いてほしかったから、少しでも長く太陽が当たるようにしてた」
「そうか。朝顔は日光が大好きなんだけどな、『短日植物』っていって、1日の日照時間が減ると花を咲かせる性質を持ってるんだ」
「たんじつ……にっしょう……?」
「ちょっと難しいかな。簡単に言うと、朝顔が花を咲かせるには、もちろん日光も必要なんだけど、光の当たらない時間もある程度必要なんだ」
「ずっと眩しいと疲れちゃうから?」
「そうだね。それと同じで、人が元気でいるためには休む時間も必要なんだ。きっとお母さんもずっと眩しいところで頑張りすぎちゃったから、元気になるために今は休む時間が必要なんだよ」
「お母さん、ほんとに朝顔みたい」
 シュンがそう言うと、先生は「そうだな、素敵だな」と笑った。
「あっ……朝顔、倒してきちゃった。大丈夫かな、ダメになっちゃわないかな」
「少し転倒したくらいどうってことないさ。根が腐っていなかったら大丈夫。朝顔は強い花だからな」



 1か月後。

 シュンが夏休み期間中、学校から家に持ち帰ってきている朝顔をベランダで眺めながら、母が幸せそうな顔で言った。
「お花いっぱい咲いてるね」
「うん!」
 あの日シュンが学校で転倒させた朝顔は、レンを中心にクラスメイトがきれいに戻してくれていた。
『みんなどうして……』と思わずシュンが口にすると、『シュンくんのことはよくわからないけど』『シュンくんがこの朝顔を何より大事にしてたのはみんなわかるから』との声で満場一致だったという。
「お母さんね、朝顔が大好きなの」
「知ってるよ、朝顔になりたいくらい好きなんでしょ」
「そうそう。それと何より大切なシュンの名前もアサガオにするくらい好きなのよ」
「ぼくの名前?」
「そう。シュンの名前の漢字は『アサガオ』とも読むのよ」
 そう言うと母は紙いっぱいに大きく『蕣』という字を書いてみせた。
「しゃんと支柱まわりに支えてもらいながら、自分の力で上に上にすくすく伸びていける。そんな子になりますようにって」
「支えがないと、つるがぐちゃぐちゃに絡まって身動きが取れなくなっちゃうもんね」
「あら、よく知ってる」
「ぼくはクラスの朝顔博士だからね」
 フフンとシュンがドヤ顔をしてみせると、母は小指をシュンのほうへ差し出し晴れやかな声で言った。
「お母さんもこれからはちゃんとまわりを頼るようにします」
 シュンも自分の小指を差し出し、ぎゅっと握る。
「じゃあこれで、お母さんも朝顔の仲間入りだね」
 シュンは無邪気に笑ってそう言うと、母の腕に自分の両腕を絡ませた。

 日中の気温の高まりを予感しつつ、まだ気温の上りきらない朝。
 ベランダで青と白の大きな朝顔の花が二人を見守っていた。





(3,212文字)

ざっくり2,000文字くらいとのご依頼でしたが、
多くても可とのことでお言葉に甘えてしまいました。

ピリカさん、このような素晴らしいご機会をいただき、
ありがとうございます。
あとがきは、後日別記事にて執筆しようと思います。


#ピリカ文庫
#朝顔
#蕣
#創作大賞2023
#オールカテゴリ部門
#生きる力



(2023.10.22 Sun. 追記)

後日あとがきを投稿しました:)
前後篇に分かれています。

【前篇】朗読と作者によるオーディオコメンタリー的な

【後篇】主に制作秘話&作品解説と正真正銘のあとがき



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