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思いを言葉にしようとするとき、解り合えなくても寄り添い合えたらいいなと思う。

今日は2か月前に行った猫カフェの話をようやく投稿しようと記事を書いていたのだけど、途中で行き詰まってしまった。
これを読んで、読んでくださる方がどう感じるかを想像したときに、修正が必要かもしれないと思ったからだ。

もちろん誹謗中傷や悪意のあるようなことを書くつもりは一切ない。それは常に大前提だ。そもそもそういうの嫌いだし。


今回踏み止まったのは、もはや表現の類じゃないかとさえ思うところ。

たとえば「障害者」「外人」「障害を持つ」とか。
言う側に悪意があるわけじゃない、だけど言われた側は傷付くとか気になるとか、そういう類の。

本当に嫌な気持ちになる人も、なかにはもちろんいるのだと思う。
正直「それをイヤラしく気にするほうが腫れ物に触るみたいでどうなん?」と思ってしまう私がいるのも本音だけど、実際に嫌だという人がいるのなら、それを知ったからにはお互い配慮も必要だよねとは思う。

だけど、なんていうか、なかには自分の正義を振り翳したいだけの人も見受けられる。
言葉尻を捉えて、相手の本質を見ようとしていないのは、あなたのほうだ」と言ってやりたくなるような、醜く滑稽なセイギ。



遠回しに例え話をしていても、薄っぺらい気がしてきた。

意を決して話そう。



冒頭の行き詰まった記事の話に戻る。

「ペット」「犬」「猫」と、私は記事のなかで自然に書き連ねていた。
だけど添削で読み返していたときに、ふと思った。
——愛犬や愛猫がいる人からしたら嫌な言い方なのかな。

ネット情報を調べてみると、3割くらいの人が「ペット呼び」を不快だと思うと答えたという情報がある。少なくとも一定数はいるということか。
なかには「『犬』を『飼う』と言われるのも不快」という声も。

「ペット」という意味をどう捉えているかにもよる気はする。
私は「ペット」は「動物の家族」って意味で捉えてるんだけどな。

私にも昔、家族に大好きな猫がいた。だから「犬猫」を家族だと思うのは私だってそうだ。それは当然として、家族だけど、生物学的に、犬は犬、猫は猫、人間は人間だ。それを「犬」「猫」「人間」と表現することや、「ペット」という表現を使うことに、悲観したり、ましてや噛み付いたりする気持ちにはならない。その表現を悪意に捉えるほうが悪意がある、と私は感じてしまう。
だけどもしかすると、明確な悪意を持って傷付けられた経験がある人もいるかもしれないから、どうしてもそう感じてしまうという場合もあると思うし、そういう方の痛みを思うと一概には言えない。

そもそも、記事はまだ下書きの段階で、誰に何を言われたわけではない。そういう人もいるかもしれないと、私が頭のなかで「こう言われないかな?」「こう思われないかな?」と複数視点であれこれ考えているだけだ。

いっそ被害妄想だと言われたほうがラクなのだけど、世の中にはそんなふうに「ペット」「犬」「猫」という表現を良く思わない人も実際にいるというのが現実だ。

感じ方や価値観は人それぞれだから、自分のなかで「自分はこうしよう」とこだわるのは自由だし、それでも伝えたいときにはお互いに悪意なくシンプルに「こう呼んでくれると嬉しいな」「悪気はないのは知ってるんだけど、こう感じちゃうんだよね」「そうなんだね」と、解り合えなくても、寄り添い合えたらいいなと思う。




今回の件に限らず、何事もそうだ。頭や心で思うのは自由だけれど、それを口に出すのであれば、責任や覚悟が要る。

基本的に平和主義な私は、結局「これを言ったら気分を害してしまう人がいるかもしれない」と一度立ち止まって考えることをやめられない。
何度も何度も読み返して、このラインまでなら、万が一誤解で伝わっても自分の言葉でフォローできるかな、そんなことまで考えて、添削して修正して、読み返して、添削して……やっとの思いで投稿ボタンを押す。
投稿してからも不安は消えない。私は大丈夫だと思ったけど、人が読んだらどう思うだろう。数日は不安だ。

だから実際、立ち止まって考えた末に、結局外には出せない言葉のほうが多かったりする。
私が1本の記事を書くのに時間が掛かるのは、こういう背景があるからだ。

感じ方は人それぞれな広い広いこの世界で「これを言ったら気分を害してしまう人がいるかもしれない」を考えすぎると、何も言えなくなってしまう。

考えることを放棄はしないけれど、必要以上に考えすぎて仕舞い込んでしまう必要もないんじゃないかとは思う。それでも仕舞い込んでしまうことが多い私だ。


誰のことも傷付けない言葉は
誰の心にも響かない言葉だ

そんなことを、誰かが言っていた気がする。
ほんとその通りだと思う。

何か思いを言葉にしようとするとき、誰のことも傷付けない言葉なんてのはないのかもしれない。
それでも私は、なるべく傷付けない言葉を選びたくて、今日も立ち止まってしまった。

もう1日、しっかり添削して、じっくり考えてから、出すことにする。



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