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【2023】#Favorites

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aeuが読んだなかでお気に入りの記事。 面白いな、胸に響くな、好きだなと思った記事。 基準は、まったくない。 このマガジンに入っていないけど大好きな記事もたくさんある。ここに居る…
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#エッセイ

愛すべき滑稽

音楽を聴きながら書いたので 流しながらお読み頂ければ幸いです。 マイナンバー申請をしていない インスタで突如ギフトを 受けれるように設定してくれのようなことが アナウンスされて 法人にするか個人にするか 何がなんだかわからなすぎる まぁ聞けば教えてくれるのか 役所関係は苦手意識しかない SNSを運用していて こうするべきだとか ああするべきだとか 思う事は最近多いのだけど それが書けずにnoteは停滞している そもそも人それぞれ使い方があって 正解なんてない中で

愛された記憶

「ちえ」という名前は決して珍しくないから、これまでの人生で私は、たくさんの「ちえ」さんに出会ってきた。 千恵、千絵、知恵、智恵、千枝、千愛、知江⋯⋯。 命名に込められたそれぞれの意味や背景は異なるけれど、名前は、その人が生まれて最初に受け取る贈り物だと言える。 小学校に入学した時、同じクラスに「ちえ」ちゃんがいて、名前が同じというだけで親近感を持った私たちは、すぐに仲良くなった。 彼女には五歳上のお兄ちゃんがいて、いつもナイトのように守ってくれていたから、同級生の悪ガキたち

追悼。

チバユウスケ氏が亡くなりました。これは盛大なる呟きのようなものです。 昨日、仕事帰りの横浜駅のホームでスマホを開くと、Yahooニュースの通知で「The Birthdayのチバ」だけが見切れた状態でポップアップされた。 でも、なんとなく気づいてしまった。食道ガンの治療で活動休止中なのは知っていたし、Yahooニュースはチバの復帰を速報で知らせてくれるほどロックな媒体じゃない。であれば…。 嫌な予感は当たってしまった。チバユウスケ氏が55歳で死去。信じたくはないが、既に亡

ずっとガラケーだった理由。

この間、スマホをもって出掛けるのを忘れて あせった。 目的地からまた家までタクシー呼んで帰ったりして、なんだんねんみたいな気持ちだったけど。 しかし、今のスマホももってから2年が経った。 何代目ソウルブラザースとかじゃない。 初代スマホだ。 ずっとガラケーだったんすか? みたいにキャリアの担当の人にも言われ 続けてきて。 携帯がガラパゴスじゃなくて あたしがガラパゴスなんだよって 心の声が漏れ出そうなことも なんどもあった。 きっかけは、仕事のギャラをペイペイで しか

短歌で傷つけてしまったあの日の父へ。

父から携帯に電話がかかってきた。 絵本をこの間送った時のありがとうの 電話だった。 20分以上彼と話しながら今回は、父は 傷ついていないのだな、 よかったなって正直思った。 ずっと昔に短歌集が出た時、父と娘は ほとんど交戦状態で。 父に歌集がみつかってしまって、和歌山の 田舎の書店で買ってくれたのだけど。 わたしの書いた短歌にショックを受けて 彼が悲しんでいるのがすごくわかった。 手紙をもらった。 短歌の中の主人公はわたしではなく 架空の人間だと思って欲しかった

説得力

音楽を聴きながら書いたので 流しながらお読み頂けたら幸いです。 昨年末に亡くなった祖母 祖母自身が用意したお墓は大阪にあって 母親と兄弟とで漸く納骨をすませてきた もともと長男が檀家になり その長男つまり俺の叔父もなくなっているので その息子が務める。(従兄) なので、昨日今日と実は 東京から京都で降りて、レンタカーを借り 京都に住んでいる妹と合流して 大坂にいって1泊後に戻ってきて 何とこの後、仕事があるという(笑) 絵を描くときは苦行と思っているのに 描けない状況

Message

音楽を聴きながら書いたので 流しながらお読み頂ければ幸いです。 4日で4枚。1日1枚ってところかな。 それが画用紙サイズで1/8サイズならね 既にだしたものもあるけど・・・ なんか少し見えた気がするんだ ボールペンで絵を描くとき 一番しんどいのは黒く塗る部分 絵柄は最初にできていることは多いけど 塗りながら変わっていく事は多い でも、なんか見えたのはそこじゃない 4枚の絵で個人的に一番好きなのは 一番最後の絵だったりする これは4枚描いた中の3番目に描いたやつ

自己紹介-ゴリラの流儀

はじめまして 自己紹介記事を書いてみました。 男は朝も早いのに ワゴン車を運転する 「何処に行くのですか?」 『上野動物園です。  子供たちが少しでも楽しんくれるために  イメージトレーニングしたいのです』 目的地に着くと男はワゴンを降りて 上野動物園のゴリラの檻の中に自ら進む ■■プロフェッショナルファイル■■ ~~ゴリラの流儀~~~~ きゃらを 職業『ゴリラ』 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 子供たちが見ている前で 男は嬉しそうに ぶら下がったタイヤで

思春期の娘

音楽を聴きながら書いたので 流しながらお読み頂けたら幸いです。 年齢が少し釣り合わない娘がいる 先に名誉を守る為に書くけど 俺は熟女派だ(笑) 当時小学3年生だった娘と 一緒に暮らすことになった 彼女の祖父母に 色眼鏡で見られることはあった 継父だし色々気を使う娘が不憫で よくドライブには連れていったけど どこか遠慮する娘を不憫に思っていた ただびっくりドンキーに連れていくと びっくりするほどテンションが上がる そんな遠い記憶は確かにい今も残る(笑) 娘が中学2年生

こんな時代もあったよねと、プロフィール更新いたします。

noteに来て3年になるのに、ぐずぐずとプロフィールを 書くことにしり込みしてたりしてました。 どなたかのプロフィールは書かせて頂くのは好きなのに。 じぶんのはちょっと遠い目になってしまう。 noteの中でこんな時代もあったよねみたいな、中島みゆき してみるのもいいのかなと。 今日はプロフィール的なものを書いてみたいです。 プロフィールであり。 今までこんななんかどこの馬の骨かわからんものを みつけてくださってありがとうございますの 御恩を感じた方へのお手紙のような感

『父が作ってくれた味噌ラーメン』

昨日は父の日でしたね。 私の父は、これまで何回かnoteでお話している通り、私が高校生のころに亡くなりました。 長年病気を患っていた人ではありましたが、まさかその病が原因ではなく、ある日突然、命を奪われることになるとは家族の誰も思っておらず、父が亡くなった事実はまさに青天の霹靂で、正直、今も信じられないような気持ちになることがあります。 もう父が亡くなって15年以上も経つのに、未だに心の整理がつかないなんて、おかしな話しですよね。 そうそう、話は変わりますが、そういえば

あたらしい父に会っている気がする。

父と1年ぶりに会った。 父が趣味ではじめたことに お祝いすることがあったので 上京してきていた。 父と呑んだ。 父に母のことをすこし打ち明けた。 母は父にとって元の妻になる。 わたしは子供だから元子供では ないのだな。 近所のお寿司屋さんだった。 思えばここのお店は母とはいかない。 父が上京してきたときだけに行く 店になっている。 去年ちらしずしを頼んだんだってね と、覚えていたのでびっくりした。 にぎりにしとけばよかった、失敗 したって思った

裸のままの言葉で、ごめんね。

わたしにとってTwitterはいまかなり 大事な場所になっている。 ガシガシ営業してますとかじゃなくて。 わたしの頭の中を整える場所に なってくれているからだ。 心に思いついた形のないものの 輪郭を与えるために。 そこに感じた言葉を拾い集めながら その輪郭線をつなげている。 そしておずおずとツイートしている。 この間はこんな風に書いていた。 幼い頃はうまく喋れない子供だったので 祖母が定規で丁寧に切ったちいさなメモ 代わりのちらしの裏に、不満を書いた

迷いの時に聴く曲 BUMP OF CHICKEN『ダイヤモンド』

生きて行く上で、なんとなく進む方向に迷った時に脳内再生されるのがこの曲です。 BUMP OF CHICKENのダイヤモンド。 この曲を通して藤原君が伝えているのは「自分を大切にしよう」ということのみ。 歌詞の中で特に好きなのが、 可能性という名の道が 幾つも伸びてるせいで 散々迷いながら どこへでも行けるんだ という一節。 無責任に夢や希望を歌うのではなく、ただ現実として、「君にはたくさんの可能性があるんだよ」と教えてくれる。 インディーズでリリースした2枚のアル