吉田寛

感性学・ゲーム研究。

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Notes再始動か?

Notesを再び使い始めるかもしれません。 最近不安定なツイッターに代わる情報発信ツールとして。

    • 上尾信也教授(上野学園大学)の論文盗作疑惑に反論します

      まず前提(三点)から。 (1)以下は前田氏(上野学園大学学長)への手紙のかたちで書かれていますが、現時点ではご本人に直接お届けする意思も機会もありません。私はこの問題を世間一般に知らしめるというより、ご本人に意見を申し上げたい(そしてできれば説得に成功して翻意していただきたい)ために、こういうかたちで書いています。 (2)私がこの問題の所在を知ったのはここ数日と、きわめて遅く、問題(すでに昨年九月に起こっていた)の経緯をきちんと把握していませんので、ひとまずの意見表明です。今

      • 「チンパンジーはキャッチボールができない」のはなぜか

         遊びはしばしば「人間的」な活動といわれるが、実際には、人間だけが遊ぶのではない。例えば、猿やチンパンジーも遊ぶ。よく知られるように、猿やチンパンジーも、独自の「社会」をもっているが、その社会のなかで遊びは重要な役割をもっている。しかしチンパンジーの遊びをよく観察すると、そこには、人間にはみられるある種のタイプの遊びが欠けていることが分かる。ヒト以外の霊長類には欠落している遊び。そこに眼を向けることで、われわれは翻って、人間や人間社会のあり方をより深く理解することができるだろ

        • ゲームは「平等から差別を」作り出し、儀礼は「差別から平等を」作り出す(レヴィ=ストロース)

          レヴィ=ストロースは、ゲームと儀礼をそのように比較・対照している。 ニューギニアのガフク・ガマ族は、最近フットボールを覚えたが、両軍の勝ち負けが正確に等しくなるまで、何日でも続けて試合をするという。それはつまり、彼らがフットボールという競技を「ゲーム」ではなく「儀礼」としてやっていることを意味する、というのがレヴィ=ストロースの解釈である。 レヴィ=ストロースによれば、ゲームは「離接的」である。つまりゲームは「平等」の状態から出発し、勝敗を通じて、結果的に「差別」を作り出

        Notes再始動か?

        • 上尾信也教授(上野学園大学)の論文盗作疑惑に反論します

        • 「チンパンジーはキャッチボールができない」のはなぜか

        • ゲームは「平等から差別を」作り出し、儀礼は「差別から平等を」作り出す(レヴィ=ストロース)

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        記事

          eスポーツが永久にオリンピック競技になれない本質的理由

          京都服飾文化研究財団(ワコールのメセナ活動)の研究誌『Fashion Talks...』12号に「eスポーツから考える──身体、技術、コミュニケーションの現在と未来」という論考を寄稿しました。私にとって初めてのeスポーツ論です。今は冊子媒体だけですが、そのうちオンラインでも公開される予定です。 そこではeスポーツの起源や基本的理論、国際組織や大会などについて概観しましたが(ご興味があればぜひ本誌をお読みください)最終章で取り上げた「eスポーツがこのままでは永久にオリンピック

          eスポーツが永久にオリンピック競技になれない本質的理由

          (物理的)ユーザー空間はユーザーにどう見えるのか

          ゲーム研究の用語で「プレイヤー空間(player space)」というものがある。それはビデオゲームのスクリーン(通常はテレビやPCのモニターなど)とプレイヤーの「間」に存在する空間である。スクリーン上の二次元空間である「スクリーン空間」、スクリーンの向こうに(奥行きのイリュージョンとして)拡がる「三次元空間」、そしてこの「プレイヤー空間」。ビデオゲームの空間はこの三種類で構成されている(図の出典:Jesper Juul. Casual Revolution)。 これまでプ

          (物理的)ユーザー空間はユーザーにどう見えるのか