上尾信也教授(上野学園大学)の論文盗作疑惑に反論します

まず前提(三点)から。
(1)以下は前田氏(上野学園大学学長)への手紙のかたちで書かれていますが、現時点ではご本人に直接お届けする意思も機会もありません。私はこの問題を世間一般に知らしめるというより、ご本人に意見を申し上げたい(そしてできれば説得に成功して翻意していただきたい)ために、こういうかたちで書いています。
(2)私がこの問題の所在を知ったのはここ数日と、きわめて遅く、問題(すでに昨年九月に起こっていた)の経緯をきちんと把握していませんので、ひとまずの意見表明です。今後、新たな事柄が分かってくるなかで、意見や立場を修正・変更することはありえます。また、私は(元)音楽学者ではあっても、ルネサンス音楽史や音楽理論史の専門家ではないので、理解や判断に基本的な間違いがあるかもしれません。その場合はご指摘ください。そして、より専門が近い人達にもぜひサポートをしていただきたいです。
(3)以下は、上尾氏の論文の盗作疑惑を晴らすために、その学術的正当性を説明することを目的としています。学内誌に投稿された論文の盗作疑惑がもしも成り立つとしても(私はその点を否定していますが)それが懲戒解雇の正当な根拠になるかどうか不明です(おそらくならないでしょう)。またそれが著作権違反に該当するかも不明です(おそらく該当しないでしょう)。しかしその辺りは、別の専門家の判断にお任せすべきことであり、私の意見には含まれません。

ということで以下、本文です。

上野学園大学 前田昭雄学長

 上尾信也氏の論文「ヴィルドゥング『ムジカ・ゲトゥトシュト Musica getutscht』 (1511)と音楽の転換―楽器と実践の近代へ(1)」の草稿を読ませていただきましたが、ここには先生が指摘されているような「剽窃」や「盗用」は見られません。それのみならず、いかなる「研究不正」の要素も含まれていません。この論文は、この分野の研究成果としても、そしてまた上尾氏の仕事としても、いたってオーソドックスな──もちろんこの語は優れていることを含意しています──ものです。
 私が疑問なのは、どうして先生ほどのご業績とご経験のある音楽学者が、学内記念誌の編集委員長という立場から、この論文に盗用の嫌疑をかけられたのか、ということです。まったく解せません。無理に頭を捻って考えるなら、この論文は先生が理想とする音楽学のあり方からかけ離れていたのかもしれません。新奇性や独自性に乏しい、地味な仕事に映ったのかもしれません。
 たしかに音楽研究の「花形」や「醍醐味」は、偉大な作曲家の創作の軌跡を、自筆楽譜や出版楽譜、手紙、日記、当時の演奏記録といった豊富な資料を駆使して明らかにすること(先生ご自身がシューマン研究で見事に示されたような)かもしれません。それは私も(羨ましさ半分で)認めます。
 しかし他方、音楽学は多様な主題と方法をもつ学問です。著者の情報もほとんど残されていないような理論書を解読し、そこから、各時代と地域の音楽実践や思想のあり方を探るような研究も、音楽学の重要な一分野です。中世・ルネサンス音楽史研究のわが国における泰斗である上尾氏が長年取り組んできたのは、まさにそうした仕事です。この論文は、ヴィルドゥングの理論のなかに、「思想」としての音楽から「実践(演奏)」される音楽への変化を読み取ったものであり、それが明らかにするのは、ヨーロッパ的な(クラシック)音楽そのものの誕生という、非常にダイナミックな歴史的出来事です。これほど野心的な論文は、この分野においても滅多にありません。
 近代以前の音楽理論書を研究する場合、版本の確認や校訂版の作成に並び、「訳と註釈」が研究者の基本的な仕事となります。上尾論文後半の「抄訳」は日本語でそれを試みる貴重なものです。概略とはいえ、ヴィルドゥング『ムジカ・ゲトゥトシュト』の全体像に日本語でアクセス可能になることは歓迎すべきことです。これを学問の進歩と呼ばずに何と呼ぶべきでしょうか。
 またこういう研究の場合、著者の生涯や著作の成立に関する基本的情報(上尾論文では前半)に加えて、理論書の解釈や註釈(同じく後半)の部分でも、主要な先行研究(このケースであれば、Beth Bullard, 1993)と字句やデータが必然的に重複します。それはむしろ先行研究を適切に踏襲している証拠であり、剽窃や盗用の結果では断じてありません。本論文は先行する研究業績に適切に依拠しています。引用や参照の仕方もまったく慣例通りです。
 というわけでぜひ、問題を司法の場にもっていく前に、この論文を適正に評価できる専門家を(必要であれば、学外からも)招いて、第三者委員会(のようなもの)を作り、査読と検証をやり直していただけないでしょうか。中世・ルネサンスの音楽理論の研究者(日本国内にも優れた方々がおられます)に意見をうかがえば、ほぼ全員が「この論文は盗作ではない」とお答えになるはずです。どうかその声に耳を傾けてください。どうかわずかばかりの勇気を出して、音楽学の主題と方法の多様性をあらためて認め、学長として、また編集委員長として、この論文の盗作の嫌疑と(それが直接の理由であれば)著者の懲戒解雇を撤回してください。そのことが結果的に先生自身をも救うことになると、私は確信しています。そして以上で書いたような理由に鑑みれば、この問題を法廷で争うのはどう考えても賢明ではないと言わざるを得ません。それによって先生は、貴重な時間だけでなく、多くの研究者からの尊敬やこれまで積み上げてきた名声を失うことになります。それを見るのは苦痛でしかありません。
 また、この論文に盗作の嫌疑がかけられ、その著者が処罰されるようなことがあれば、われわれは──先生自身も含めてです──ほとんどいかなる研究活動もできないことになってしまいませんか。私が本当に危惧するのはそのことです。
 しかしながら、これくらいのことは、私のような若輩者から指摘されるまでもなく、先生は重々お分かりになっているはずだろうとお察ししますので、今回の件はますます不思議で仕方がありません。