「生きること」の意味を考えることが楽しい
生きることって何だろう?・・って、
よく考えてたいた思春期は、
「自分探しだ」とか、
「与えられた命を懸命に全うすることだ」とか、
「どんな人生か最初から神様に決められている」とか
「もう一つのあの世が本当の世界で、
この世は修行中だから試練に耐えることだ」だとか・・
その時々で何らかの答えを無理矢理出していた気がする。
あれから30年以上経って今思うことは、
「正解などない」ということだ。
なぜなら世界に76億人以上、
日本だけでも約1億2千万の人々が生きているが、
誰一人として同じ人生を生きる者はいない。
親も、国も、生活環境も・・・
体型や性格、交友関係、教育環境、
行動パターン、運命、、とキリがないが、
誰一人として同じ人生を歩む者はいない。
親、兄弟、子供など血縁関係、、
どんなに近しい存在であっても、
皆んな別の肉体に宿る異なる魂(別人格)で、
誰一人として同じ人生を生きる者はいない。
当たり前のことですが・・。
ただ76億人以上の人間がいて、
おそらくその多くの人たちが
「人は何のために生きるんだろう」と
同じように答えを模索している。
だからこそ、
正解などはない。
「何のために生きるのか」を
考え続けながら生きることが
「生きること」
なんだと、思うのです。
でもそれも分からない、、10年後には
また違うことを言っているかもしれない。
でも少なくとも今は、そう思っています。
あれ?
でも結局それって、、
「自分探し」ってことなのかも・・
ほら、
やっぱり今も揺れている。
でもそれでよいのだと思う。
そうやって答えのないことを探して生きることが
「生きる」ということなのでしょう。
ほらね、堂々巡り。
50年かけて分かったことって
たったそれだけだ。
でもそれが生きる醍醐味。
きっとこの答え探しは、
我々人間の永遠のテーマなのでしょう。
akko@エアリージュ