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罪のような意識

興味がない人に、自分の興味深い話をしてもなんにも響かない。
逆に「もっと役に立つ事に興味もったら?」と言われてしまう事もある。

これが好き、面白いって言っているのに、スルーされて他のを見てご覧、と言われてもねぇ?
悲しくなるだけだったね。

ここにいても良いと思えるための努力。
ここに居られないと困るからする努力。
どちらも大切な努力だと思う。

A 親の反対を押し切って…
自分を貫いていく
B 親の反対を押し切って…
完全に縁を切られる(出て行け知らん!って追い出されるカタチね)

結構、似て非なる物だと思う、思っていた。

理解してもらえなくても?
いや、理解して貰いたいよ。
わだかまり、とか、不和とか、気持ち悪い。
悪い事してるみたいで。

でも、自分はこれを好きなんだって見せたり言ったりを、「そうなんだねー、いいんじゃない」って言う人は、他に居た。
他の場所、家族ではなくて、私が出掛けた先。

喩えば入る店を間違えていた。
ハンバーガー屋さんで、日本蕎麦の注文をするような。
場違い。
自分の居場所が違うってこういう事か、と。

「(親や家族に対して)悪い事してるみたいで」の概念は、みんなが皆んな持っているわけじゃなく。
むしろ、そんなの関係なくない?ってアドバイスもあったりして。

変化はわかった、自分で船長やってる、舵を握る、主権、みたいな感覚を知っていくと、「悪い事してるみたいで…」の意識は薄らいでいく。
あと…「傷付いた自分」てのを無視したらいけない事がわかった。
悪気はなかった、大事にしてた、そういう周りの人の見え方も間違いじゃないから今更否定して「傷付けられたんだよ、悲しかったよ」と主張するのは無駄…伝わらないから言わなくていいこと。自分だけは、知っておかないと、先に進めない事実は、把握して良い。
そうする事でようやく、オリジナルの自分に、なれていく過程を踏む。

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