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思う以上に衝撃波
カウンセリングを続けていたある回で、ショック、というものは、思う以上に、日常にあって、人は受け取る、という事に気付くことが出来た。
気付けた、というのは、気付いた時に選択できる、受け取らないという選択肢に罪悪感を持たないこと。
「身を守る手段を得た」ということ。
自分の診断は、ASD寄りであり、日常の些細な違いに気付き、そこに拘り、バグを抱えたままになる事がストレスの原因だったりする。
気付かない限りストレスは蓄積される。
人が気にしなかったのではなく、脳が、人間生活を守るためにスイッチを切り換えていると言われたりする。
忘却、忘れる、「そんな事あった?」は悪意でない限り、その人間を守るよう働いている。
カウンセリングでは、R12とかPG指定の映画を例に出された。
映画はあまり観ないから気付かなかったけど、そういえば最近アニメ映画に付いていた。
子供、児童や思春期とか微妙に発達や、育成が色々なものに左右される年齢として、内容が衝撃的だから、見る事知る事を推奨しないか、もしくは、親が子供に異変がないかよく見ていてください、という意味なんだそうだ。
知らなかったです。
マジか、と思った。
だからか、と思った。
私には思い当たる事柄が次々と浮かんだ。
と同時に、
「あ、衝撃を受けて、まあまあな威力があって、それがまだここに隕石みたいにあるってことなの?!」
とその時その事実に思い至って声に出た。
勿論、その日常に潜んでいるショック、衝撃を与える出来事は、人に平等に見せられているはずなので、受け取る側の問題でもある。
だからここで、脳の防御機能があるんだと考えられる。
泣いたりする事も、自分のSOSを周りに報せる為だとすれば、SOSを受け取った人はなんらかのケアをするだろう。
子供が泣くなら、どうした?と聞いたり、聞いてから大丈夫、と安心させたり。
泣くってそういう意味もあるんだと初めて知った。
泣かないから平気だと思われたんだ。
こわいとか言わないから平気だと思われていた。
私は自分自身の感情に疎かったし、内面水面下でめちゃくちゃ考えて、足掻いてた。
というか、
衝撃が強過ぎて固まった、
イメージがこびり付いた、
そしてそのままそのきっかけを与えられれば思い出し、繰り返し考えてしまう。
考える事は悪いことではないが、もうどうしようもない事を、忘れるな、というメッセージを伴うと、方向性がわからないまま、囚われてしまう。
私は、毎年必ず、8月頃から年末年始を経て3月には、死にたい、はやく終わりたい、となるそれを、子供の頃からずっと何十年も繰り返していた。
繰り返すうちに、スイッチの入る出来事が増えた。増えた事は自覚出来たが自分の何がそういう方向に向かわせるのか、理由がわからない。
理由がわからなくて、誰にも言えず。
言ったところで「疲れているのでは?」と返され、疲れか、と思い込んで。
そのままそれに蓋をするようにしてきた謎のスイッチに、答えがあった時、ようやく、スイッチをオフにする、思考回避する方法を知る、に辿り着いた。
そんなこんなで
以下は専門家の説明がしっかりある!
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