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1次産業が発展してあらゆる食べ物の大量安定供給が可能になったら旬が復活した

最近スーパーやコンビニにいくと、やたらと初めて見る商品が目につきます。特に、ビール、カップ麺、スナック菓子。
あれ? って感じで目に留まる。こんなんできたんだ、へー食べてみようかなって思う。ついつい買っちゃう。

でもよく見てみるとそれらの商品はほとんどが、社運をかけて次の定番商品を開発しました! っていうのではなくて、季節限定、数量限定、何かとのコラボ、みたいなものだったりする。
つまりすぐに消えること前提の商品。
次から次へとそういう商品が作られるわけだから、多分ちゃんと売れてるんでしょう。
で、なんで売れるんだろうと考えてみると、その商品が新しくて今しかないものだからっていう以外に理由が思いつかない。少なくとも僕はそれ以外の理由では買ってない。

あれ、それって、食べ物の「旬」ってものの人工的な再現なんじゃないかな?

飯を食うのは楽しいものです。個人的には人生における楽しみとして最上位にランクインする行為のひとつだと思っています。
ただ、楽しみとして飯を食うには、味はもちろん、料理のバリエーションや、果ては食べるときの雰囲気やなんやかやなんかも影響してきます。飢えないための養分摂取とは異なるわけです。
つまり食べる楽しみっていうのは、基本的な生きるための食料が安定的に供給されている状態のもう一段上にいかなかければ実現できない。
まあこれを食ってれば生きてはいける。でも、ある程度満腹になったら別のものも食いたい。美味しいから、珍しいから、たまにしか食えないし、ここでしか食えないし、などなどの理由であえて他のものを食べるっていうのが、楽しみとしての食事になっていったんだろうと考えるわけです。

それが現代の日本ではさらに進んで、あらゆる食べ物が年間を通して安定的に供給されるようになっています。
だいたいのものは一年中いつでも食える。すると、その食べ物はレア度みたいなものが下がり、それを食べること自体は楽しみでなくなってしまったりします。
それが飽食の時代の悩みってやつ。食べる側も楽しみが減っちゃったように感じるかもしれませんが、売る側だって需要予測がしにくい。ずっと少しずつだらだら売れたりするわけです。そんな商品が増えると少量多品種生産になる。効率が悪い。利益が減る。みたいなことを考える人もいるでしょう

そこで、無理やり販売側が旬を作ったりしちゃうようになった。ブランド感を出した果物とか。無理にいつでも作るよりも、流通量や期間を絞った方が単価が上がるわけです。
しかし、半分工業製品とも言えるようなビールやらカップ麺やらスナック菓子はどうするか。旬なんて言ったって戯言なのはすぐにバレる。
じゃ、もう作らないって言っちゃえばいいじゃん。
琥珀エビスなんて毎年季節限定でちょっとだけ売られますけど、年間を通して作ろうと思えば作れるわけです。実際業務用のは年中流通してるわけだし。
でもコンビニやスーパーで買って家で飲める期間は限られている。だから見かけるとなんとなく買っちゃう。期間限定ってことで少し価格が高く設定されているので、客単価が上がる。普段から普通のエビスを飲んでる人でも琥珀を買えば単価は上がる。普段は発泡酒って人なら、もっと上がる。
でも消費者の側だって、なんてことはないいつもの生活の中に旬が生まれ、ちょっとした贅沢が生まれ、飲む楽しみが生まれる。今年もこの季節かーなんつって。あるいは、初めて飲んだわーって体験ができる。

まあ双方が嬉しいからいいか、という感じもするんですが、実は問題もあります。
特に期間限定製品、売り逃げができる構造だからって、つくりが雑なのがあるぞ!
まあね、あーこれはハズレだわーって思っても、それっきりですから。もう2度と生産もされず店頭にも並ばないんでしょう。でも明らかにお前これは適当すぎだろってのもあるんですよね。

それでも買っちゃうんですよね、ついつい。
新製品だぜ? 限定だぜ? 買うだろ? みたいなドヤ顔されてるのはわかってるんですよ。でも買っちゃうんですよ。結果それで不味いとね、まあ最初から騙されたと思って買ったんだからさあっていう負け惜しみは残しつつも、やっぱり敗北感があるんですよ。
あー悔しい。


ビール代になります。