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「福田村事件」何が起きるかを知っていながら見届ける胆力が必要。

どうも、安部スナヲです。

「福田村事件」観て来ました。

関東大震災の直後に起きた愚劣で凄惨な虐殺事件を映画化した本作は、これまで数々の辛辣なドキュメンタリー作品を手掛けて来た森達也監督初の劇映画としても注目されている。

劇映画という形態である以上、様相はフィクションなのだが、事件そのものは事実がかなり忠実に反映されているようだ。

私はこの映画の公開が発表されるまで、事件のことを知らなかった。

その当時、血気に逸った民衆が朝鮮人に対して暴行や虐殺を行ったことはボンヤリ認識していたが、聞き慣れない方言の者も怪しいから殺すとか、そこまで他者という他者すべてに疑心暗鬼になり、見境いなく人を殺せる心理はいったい何なんだと思った。

この映画を観るにあたっては、最終的に何が起きるかを知っていながらその顛末を見届けるというストレスに耐え続ける胆力が必要だった。

物語は駐在していた朝鮮を離れた澤田一智(井浦新)とその妻・静子(田中麗奈)、そしてシベリアで戦死した夫の遺骨を抱いた咲江(コムアイ)が故郷の福田村へ帰って来るところから始まる。

村は大正デモクラシーによる民主主義の影響を受けた村長(豊原功補)と、バリバリの軍国主義で凝り固まった長谷川(水道橋博士)をはじめとする在郷軍人らが微妙に拮抗しながらも、長閑な日常が営まれていた。

出典:映画.com
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一方、香川から薬の行商をしながら関東へ向かう沼部新助(永山瑛太)とその一行15名。

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被差別部落の「エタ」である彼らは、自分たちよりさらに貧しい病人に、効きもしない薬を騙し売りしていたりする。

そんな実情を「悲しいのう」と言いながら、それでも生きるためには手段を選べない。

世知辛いのだ。

途中、心温まるような、いやな汗をかくような複雑な気持ちになる展開がある。

新助が朝鮮人の娘から飴を買う場面だ。

新助一行は道中、飴売りの娘に声をかけられるが、仲間の1人であるヤイチが「センジン(朝鮮人を侮蔑する呼び方)が売っとるもんやから、何が入っとるかわからんぞ」と言う。

ところが新助はそれを聞いて、逆に飴を買うことを決めるのだ。

かつて新助は「あいつらが売りよる薬やから何が入っとるかわからん」と言われたことがあるのだという。

つまり、蔑まれる立場として朝鮮人の娘にシンパシーを感じているのだ。

その直後、娘は彼らを追いかけて来て、飴を買ってくれた御礼の印として朝鮮扇子を贈るのだ。

暑い道中を労うように新助を扇ぎ、屈託のない笑顔でそれを渡す…

このやり取りが心温まる場面であればあるほど、胸が苦しくなる。

この扇子は後で必ず仇となる。

何と皮肉なことか。

智一が4年前に起きた「堤岩里教会事件」について静子に語る場面も苦しかった。

その時、日本統治下の彼の地にて、智一は通訳という仕事を通じて朝鮮人の虐殺に加担していたのだった。

その自責の念に苛まれていて、以来、彼はずっと虚ろな心持ちで過ごしている。

千葉日日新聞の女性記者・楓(木竜麻生)の存在も重要だ。

出典:映画.com

彼女は権力にズブズブにおもねり、事実を書くことを阻む自社紙と戦い、声をあげ、突き上げることをやめない。

このように要所々、差別への反感がストレートに描写されることで、常に問題の本質がどこにあるかということの道筋が見失われない。

やがてコトが起きる。

そのプロセスがまた辛い。

まず市井の人々は、独立運動への弾圧などによる反発から、朝鮮人に仕返しされるのでないかという不安に怯えている前提がある。

ましてや今のように正確な情報を受け取れるわけでもない、大正時代の貧しい農村に暮らす人々。

了見が狭いのはあたりまえだ。

そこに内務省から朝鮮人暴動への警戒が通達され、警察による意図的なデマが席巻する。

加えて愚かしいのは、長谷川をはじめとする在郷軍人の連中。

彼らは軍人として何の力も尽くせなかったことに劣勢感を抱いている。

その上でミリタリズムに飼い慣らされた排他思想の持ち主。尚更タチが悪い。

このような完全に歪み切った正義感と愛国心に蝕まれた軍人崩れが、ある意味〈無垢な〉村人たちを扇動するとどうなるか…

100年前の日本人の価値観を簡単に想像することはできないが、ひとりひとりが如何にか弱く確信を持てない存在であるかということは、いやというほど浮き彫りなる。

そしていよいよ新助一行に村人たちが襲いかからんとするその時、ほんの少しだけ揺り戻しが起きる。

出典:映画.com
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地震のあった日、静子は彼らから薬を買っていたことを思い出し、智一と静子は彼らが日本人であると、皆の前で渾身の勇気を振り絞って主張するのだ。

この時、ハラハラしながらも

「もしかして、殺戮は回避されるのでは?」

…と思ったところで、新助が言い放った核心の言葉。

その後、意外な人物が初手を下す。

この初手がいちばんショッキングだった。

あの〈静かな〉殺傷のあとの凍りついた空気…

村人たちの「もうあとには引けんぞ」という暗黙理の地獄…奈落…

人は鬼になるのだと知りました。

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