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「碁盤斬り」清廉潔白が、正義にならない世知辛さ。

どうも、安部スナヲです。

白石和彌監督作品というところに力点を置くと、どうしても人がトチ狂うまでのプロセスやゴアなバイオレンス描写を想像しがちですが、本作は原案が古典落語というので、さらに謎めき、絶対観たいと思って観て来ました。

【あらましのあらすじ】

ある事件の濡れ衣によって故郷の彦根藩を追われた主人公・柳田格之進(草彅剛)。今は江戸のボロ長屋で、娘のお絹(清原果耶)と慎ましく暮らしている。

判子彫りの内職などで辛うじて生計を立ててはいるが、家賃の支払いもままならぬほど、生活は困窮している。

そんな、愚直なまでに真面目で世渡り下手な格之進とお絹を気にかけるのが、吉原「半蔵松葉」の女将・お庚(小泉今日子)。

格之進から囲碁の手解きを受けているお庚は、納品された判子の代金に「碁のお勉強代」を上乗せし、一両支払う。

その帰り、格之進はふらっと立ち寄った碁会所にて、富商・萬屋源兵衛(國村隼)と、ひょんなことから「賭け碁」を打つことになる。

源兵衛の姑息な打ち手に嫌気がさした格之進は、勝てた筈の対局を投げ出して、賭け金一両をみすみす譲ってしまう。

この日をきっかけに、源兵衛と格之進は「囲碁友達」となる。

源兵衛は、実直な格之進の人柄に次第に惹かれていく。

格之進とお絹が萬屋での「十五夜の宴」に招かれた夜、彦根藩から左門(奥野瑛太)という男が格之進を訪ねて来る。

格之進は左門から、自分を追いやった冤罪事件の真相について知らされる。

あの濡れ衣は、格之進と因縁を持つ柴田兵庫(斎藤工)が仕組んだ罠だった。さらに死んだ妻・志乃(中村優子)も、柴田に陵辱されていたという。

あまりの理不尽に格之進は怒りを滾らせる。

翌日、柴田への復讐を果たす旅に出ようとする格之進のもとへ、萬屋の手代・弥吉(中川大志)があらわれ、昨晩、萬屋のハナレで紛失した五十両について格之進を問いただす。

またしてもの思わぬ嫌疑に、ますます怒り狂った格之進は、武士の面目のため、ある行動に出て…

出典:映画.com


【感想】

思ったよりも、ずっとやさしい映画だった。

世知辛いというには残酷過ぎる世で、不器用に生きる武士の苦味走った哀愁は、藤沢周平の世界を想わせる感じもあった。

原案である古典落語「柳田格之進」は、噺の導入部に「水清ければ魚棲まず」という有名な故事成語が必ず出てくるが、この映画に登場する格之進以外の人たちは、源兵衛もお庚も柴田兵庫でさえ、歪んだ世の慣わしのなかで、それぞれ何かを背負い、清濁合わせ飲みながら生きている。

では、それができない格之進のような男はどうなるか…その成れの果てが食い詰め浪人たる今の姿であり、それを世知辛いというのだ。

この映画がやさしいと感じるのは、世の中と折り合いをつけて来た源兵衛らと、折り合わなかった格之進が、互いに相手のなかに尊さを見出し、それを救いにするからだと思う。

碁の打ち方も、商いのやり方も狡っ辛い源兵衛だったが、格之進の人柄に惚れてからは、どちらにおいても清く、フェアになる。

出典:映画.com
出典:映画.com

最後には、「不得貪勝(むさぼれば かちを得ず)」と記した額を、来年の〈商訓〉とし、大晦日に床の間に掲げる。(話し上、重要な種明かしになるところでのこの額の使い方が実にうまいんだ!)

また、格之進が不正を直訴したせいで禄を失ってしまった藩士たちを、柴田兵庫がある行為によって助けたという〈ウソ〉を聞いて、格之進が「嬉しかった」というくだりも、なかなか感慨深い。

結局、歪んだ世界では清廉潔白が正義にはなり得ないことを、彼は仇敵である柴田からも教えられることになる。

善人づらや正義漢に甘んじている奴ほど、人を不幸にするということは、結局、娘のお絹を、身売りするかしないかというところにまで追い詰めたことにもあらわれている。…つくづく世知辛い。

原案の古典落語は格之進と源兵衛が囲碁を通じて心を通わせ、そのさなかに五十両紛失事件が起きてドタバタするまでの話しだが、映画では彦根藩の御進物番という立場と格之進の性格をうまく膨らませ、見事な脚色をしている。

柴田兵庫の格之進に対する嫌悪も、単に不正を暴かれたことへの恨みだけではなく、正義や理に対する考え方のちがいから生じているということが、ちゃんとわかる描かれ方をしている。

キャスティングは完璧だった。なかでもMVPは私的に満場一致でキョンキョンだ。

出典:映画.com

もとの落語では、女衒が出て来るパターンはあるようだが、置屋(遊女の派遣所)の女将というキャラクター設定はオリジナルで、これが今のキョンキョンにどハマりしている。

いつも格之進を心配し、それとなくサポートしてくれて、お絹のことも、それこそ我が娘のように可愛がる。そんな情深さを持つ反面、廓から脱走しようとした遊女を容赦なく拷問にかける。あの仏と鬼のコントラストは見事。

あそこで「因果な商売だよ」と、重い溜息を吐くように言うところは、往年の江波杏子あたりを思わせる貫禄があった。

あとキョンキョンで印象的だったのは顔の老成感。年相応の皺やたるみを隠さないというか、敢えて強調しているようにも見える。

あの顔には九歳で身売りされてから、廓の世界でのしあがって来たお庚という人物の年輪が刻まれいるように感じた。

キメであるクライマックスの決闘シーンは座頭市や緋牡丹博徒などのオマージュが盛り込まれていて楽しかった。

出典:映画.com

決闘の大舞台となる碁会所の中庭にわざわざ池があるのも、わざとらしくて良い。

もっと派手な殺陣を長く見たかった気もするが、あれくらいがこの映画のトーンと様式に合った塩梅なのかも知れない。

映像演出も、さりげなく凝った画が多くてさすがだったが、この映画としてもっとも象徴的なのは、やはり碁を打つシーン。

盤に碁石を置く力加減や、打ち手の微妙な表情。あの息を飲む緊張と高揚は囲碁ならではだ。

…などと宣う私は囲碁はサッパリプー。ぜんぜんわからんのですがね。

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