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こどもの英語教育。海外駐在での学校は、日本人学校かインターか
はじめまして。香港在住のネクタイ作家です。香港には2015年2月に上陸、現在4年目に突入です。今年10歳(日本では小4)になる息子がおります。
当時息子は幼稚園の年長で、4月から日本人学校へかよい始めました。2018年3月に3年生を終了し・・・4月からはインターナショナルスクールへ転校。
こうなるまでに私たち夫婦が悩んだこと、そして決断までに至った経緯を、おなじことで迷っている方の参考になればと、書いていきます。
また、途中からインターに転校した息子がどのように学習をすすめていくかも、これから随時更新していきます。
では息子の話しを、最初から順番にしていきます。
「香港での幼稚園」
息子は香港の幼稚園に、実質25日しか通っていません。日系の幼稚園で、会話もほとんどが日本語です。
ただ、英語の授業?が少しあったみたいなんですが、なんせ25日しか行ってないので、私もよく分からずにおわりました^^;
少し英語にふれる機会はあったようです。
香港へは、日本の幼稚園を卒園してから来ることもできました。年少から通っていたので、仲の良いお友達もいるし、そうした方がケジメをつける意味では良かったかもしれません。
ではなぜこんな中途半端なタイミングにしたか。これは私たち夫婦も頭から煙がでそうなくらいに、悩みました。
周りの意見はそれぞれ正反対。しかし最終的には前任者のアドバイスで、少しでも早く香港へいき、海外という環境にも慣れて、お友達を作って、それから持ち上がりで小学校へいったほうが、息子への負担が少しでも減るのではないかと言うことで、この考えに私たちは賛同しました。
これが正解だったか。こどもの性格にもよると思うのですが、息子はパッとお友達の輪に入っていけるタイプではなく、時間がかかる方です。
なので25日間で仲良しの子はできませんでしたが、小学校へ上がったときに、おなじクラスに知ってる子がいたというのは大きかったと思います。
これは親もおなじで、母親である私自身はこの25日間に良い出会いに恵まれ、今でも助けられています。これも私にとっては大きかった。
息子は小学校へ上がってからも、日本の幼稚園のお友達から貰った寄せ書きや想い出ビデオを何度も何度も見ていたので、寂しかったのだと思いますが、これも貴重な経験です。かならず将来につながっていくと、私は信じています。
「決めたことを、正解にしていく」
頭から煙がでそうなくらいに考えて決めたのなら「あの時の決断は正解だったね」と将来いえるように、これから生活していくことが大切なのではないかと思います。
こどものことで親は悩みますが、こうして「考えまくる」ということが、正解なのだと思います。
「海外での日本人小学校」
さて、日本人学校へ入学しました。海外の日本人学校では、日本の小学校とおなじ内容を学びます。
ただ、香港の日本人小学校では、英語の授業が毎日ありました。1年生のときから、毎日です。
しかしこれは国によって違いがあって、たとえばバンコクの日本人小学校では英語の授業は毎日ではないと聞きました。また「タイ語」の授業があるということ。
ちなみに香港の場合、広東語の授業はありません。外国語は英語のみです。
香港の日本人小学校の場合ですが、英語のクラスは6つくらいにレベルわけされています。ハーフちゃんも結構いるので、ベラっベラな子はベラっベラです。
そしてレベルわけがされてはいますが、いちばん上のクラス以外は、どんぐりの背比べだと、親たちは囁きあっていました。つまり、ほとんどの子が、英語が喋れないからです。
但し、毎日英語の授業がある分、ヒアリングは結構できていると思います。
それに街に出れば色々な言語に触れる機会があります。香港では主に広東語が使われていますが、イギリスの統治下でもあったことから、英語も飛び交っています。公共交通機関などでも、広東語、北京語、英語とアナウンスが流れます。
このような環境ですから、ヒアリング力は育ちます。こども達はみな、英語ならばだいたいの意味は分かるのです。ただ、返せない。
パッと英語で返せる瞬発力がないのです。
結局、お友達と日本語で会話している限り、海外にいても英語が話せるようにはなりません。
塾で英語を習ったり、家庭教師に英語を習ったりしても、日常的にアウトプットできる場がなければ「話せる」ようにはならないのです。
◆ここで話は少し脱線しますが、各言語の音の数について
英語学習をするときに「耳を慣らす」という言葉を聞いたことがありませんか?
つまり、聞き取れない音は発音をすることができないので、外国語を学ぶときにはまずせっせとその言葉を聞いて、まずは聞き取れるようにする、ということです。
私は学者ではないので専門的なことは分からないのですが、世界の言語で音の数が1番少ないのは、日本語だということ。
逆に音の数が1番多いのは、中国語。英語も多いです。
それで思ったんですね、そりゃあ日本人(自分も含め)は長く勉強している割には話せない人が多いわけだわって。
外国語を聞いていても、聞き取れない音は飛ばしてしまうので、そっくりマネしたつもりでも、相手に伝わらないという現象がおきるわけです。
「アウトプットの場がないと上達しない」
さらに島国でくらす日本人には、ヨーロッパのようにラジオつけてると多言語が流れてくる・・・なんてこともありません。
そんな環境のなか、いっしょうけんめい勉強しても、アウトプットの場もない、これでは話せないのも当然だ、と思いたくなりますよね。
そんな話を昔、聞いたことがありました。なので私は将来こどもがうまれたら、聞き取れる耳をつくってやりたいと思っていて、息子がうまれてからは赤ちゃんのときからずっと、中国語や英語のCDを流していました。
英語ならまだしも、中国語なんぞ私もサッパリわかりません。それでもただただ、流していました。
それの効果があったんだ!と私は思っているのですが、息子は耳がとても良いのです。
「英語が聞き取れる耳に育った」
例えばいまは香港に住んでいるわけですが、息子は電車や飛行機にのると、アナウンスをいつの間にかよく、聞いています。
私なんかは日本語でないとあたまに入ってこないのですが、息子はこれらをすぐに覚え、よくマネをします。
「つぎは◯◯駅」くらいなら英語でも広東語でも言えますし、香港じゅうのほとんどの駅名は、英語と広東語で言えます。
また空港、乗り換え、終点なんかの単語も、覚えているようです。つまり、私なんかは聞き取れないので完全にBGMになっているところを、息子はいちいち、聞いているのです。
これはわけが分からないながらも、中国語のCDを流し続けた効果だとしか思えません。
「英語のスピーチコンテストで優勝」
そんなこんながありまして、話は日本人小学校へ戻ります。息子の英語クラスは、在籍していた3年間ずっと、レベルが1番下のビギナークラスでした。
それでも3年生のときに、学校で行われる英語のスピーチコンテストに初めて参加、いきなり学年優勝をしたのです。
英語がベラっベラの子たちもいる中で、です。
当初わたしは、少し気持ちの弱いところがある息子に、とにかく場数を踏んで度胸をつけてもらいたい、結果はいいから何にでも挑戦をする人生を歩んでもらいたいと願い、コンテストに参加することを勧めました。
息子は必死に抵抗します。人の前で英語を喋るなんて無理!しかし私もあきらめず息子を説得し、じゃあやってみるということになりました。
「どうやって練習したか」
スピーチコンテストは、決められた課題の詞を話すというスタイルでした。自分で内容を考えて発表するわけではありません、ならば練習すればいいのです。
それに息子は英語が喋れませんが、いつも「発音はいい」と言われていました。発音がいいのは聞き取れている、ということ。
やはり息子の耳は英語の音がききとれる耳に成長していると、その度に思ったものです。
「自宅で英語学習、スカイプレッスン」
練習にはスカイプレッスンを利用しました。これも色々な種類がありますが、私たちが利用したのは「レアジョブ英会話」で、先生はみなフィリピン人です。
はじめは性別や年齢もさまざまに予約をいれ、息子に合うのはどんなタイプの先生かを探りました。発音のキレイな先生を選ぶのもポイントです。
また集中力の続かないこどもには、楽しくレッスンをする、根気強く待ってくれる先生が向いています。
スカイプレッスンの良いところは、なんと言っても通う時間がいらないこと。「今日は18時からレッスン」というときでも、ギリギリまで遊んで5分前、いや1分前にでもパソコンの前に座りさえすればいいのです。
今のこどもは宿題も多いし習い事で忙しいので、こういうことが地味に効いてきます。
パソコン1つですぐ海外とつながるなんで、外国語を学習するのに便利な時代になったもんです。それに外国語学校に通うのに比べ、レッスン料もかなりお安いです。
そんなわけで、ほぼ毎日、課題の詞を練習しました。コンテストとなるとある程度の戦略も必要です。
発音はもちろん、内容に合わせたゼスチャーも考え、先生にチェックしてもらいながら、より良いものへと変えていきました。
もともと発音と暗記力のいい息子はすぐに暗唱し、後半は見ている人を惹きつけられるよう演技力の練習を細かく行いました。
それでみごと優勝を果たし、英語集会では全校生徒の前で学年代表として、スピーチをしました。
全校生徒の前での発表は固定のマイクになったこともあり、練習通りの振り付けをすることが出来ませんでしたが、詞が飛ぶこともなく、息子は堂々とやりきりました。
運よく賞がもらえはしましたが、もらえるかもらえないかは重要ではありません。「挑戦すること」が大切です。とにかく、やってみる。そうすると必ず得るものがありますし、こどもの可能性はどんどん開けてく。
この経験が、息子の自信につながったのは言うまでもありません。
「その後の英語学習」
前より英語に対する抵抗感がうすれてきた息子は、コンテストの後もスカイプレッスンを続けました。
とにかく、アウトプットの場を持つこと。
「英語が話せる」という感覚を得るためには、瞬発力が必要です。正しい文を話そうとするのではなく、単語を並べるだけでもいいから通じることを目指す。
実際の会話では時間がどんどん流れ、正しい文を考えている余裕はありません。考えている間に、話題はみるみる古いものになっていきます。
その瞬発力を鍛えるためには、聞いているだけでは、覚えているだけでは育ちません、やはり人を相手にして「話す」ことなのです。
息子も少しずつ、先生の問いかけに返す姿勢を見せるようになってきました。そして自分からも、質問をするようになってきました。
パーフェクトな文ではありませんが、先生と息子は会話をしていました。
「インターへの転校を決めるまで」
前述した通り、息子はこの4月からインターナショナルスクールへ通っています。その滑り出しがどんなかは、またネタを溜めて書きますが、まず、転校を決めるまでのことを、お話します。
きっかけは、こうでした。
息子が小学1年生のときのクラスメイトに、1学期が終了した時点でインターへ転校した方がいました。
それまで日本人学校に通わせるという発想しかなかった私は、小さく衝撃を受けたのです。そして夫に相談しました。
せっかく海外にいるのだから、もっと英語教育にチカラをいれるのはどうだろう? と。
しかし当時、夫はこれに否定的でした。まだ日本語の基礎もできていない状態で英語の環境に移ったら、どちらも中途半端になるのではないか。
英語を話せるようになることは、これからの時代はより重要性が増してくるのは明らかだけれど、
日本人であるのに、自分の考えを日本語で組み立てられないのは如何なものか。
日本語で考えるチカラが未完成のまま「ただ英語が喋れる人」になって欲しい訳ではない。
・・・と、2人でいくら考えても答えが見えないので、こういった経験のある方に相談をすることにしました。相談をしたのは、
▪小学校低学年までアメリカの現地校に通い、小学校4年生から帰国して日本の中学、高校と通った方。
▪小学生(学年不明)から高校までアメリカの現地校へ通い、大学へ入るタイミングで日本へ帰国した方。
お二人はそれぞれ、アメリカで日本人学校のない地域にお住まいだったので、必然的に現地校で英語の授業を受けるしか選択ができなかったという状況です。
そしてお二人共が、タイミングは違うけれど、英語授業での教育を数年受けた後に、日本の学校へ切り替わる経験をしています。
私たちの場合、駐在期間が予定通りになれば、小学校の6年生から日本の学校に切り替わることになります。
もし香港でインターへ行くのなら、英語と同じくらい、日本語の教育はしっかりしておいた方がいいというのが、お二方の共通したアドバイスでした。
他にも色々と、経験談を教えていただきました。
英語の環境にいると、週に1回の日本語補習校だけでは大変で、中学や高校で帰国した子は、帰ってからが大変だったという話を、お友達からよく聞いたこと。
もし息子が今(当時小学1年生)から5年間インターに通って帰国した場合、日本の学校へ通うのはかなり厳しいであろうということ。
母国語あっての、英語であることを痛感したことなど、とても参考になるお話を伺うことができました。
ここまでで、なんとなく私たち夫婦は、インターは無いなと感じはじめていました。
そしてそれを確かめる意味でも、一度学校見学に行ってみることにしたのです。
息子に説明をしました。
「こんど、他の学校はどんな感じなのか、見に行くよ。その学校は今の学校と違って、先生も生徒もみんな英語を喋ってるの。授業も英語なの。世界中のいろんな国のこども達が、一緒に勉強したり、遊んだりしているんだよ」
「ふーん」
とにかく夫と私、息子の3人で、平日に学校見学へ行きました。
「日本の教育を離れること」
通常、インターに転校するといったら英語スキルを問われ、試験もあります。香港でも人気があり、ウェイティングリストがある学校も多いようですが、
そもそも、息子は英語の試験に受かることはできません。ですが、入れるインターがないわけでもありません。
見学に行った学校にはESL(英語を母国語としない生徒のためのサポートプログラム)があり、入学するのに、英語力は問われないのです。
普段の授業の様子を見させてもらいました。想像どおり、教室の雰囲気は、ガラリと違いました。
まず見える範囲の話をすると、机がみなホワイトボードの方を向いていない。それは同じ学年でもクラスごとに違いました。勉強している科目の関係もあったかもしれません。
生徒はみなパソコンで勉強をしていて、自由に席を立ったりもしています。
先生の机には、ぬいぐるみや、オモチャなんかも置いてありましたし、教室内も廊下も、とてもカラフル。
職員室は無く、休み時間も先生は教室にいるそうです。時には先生も一緒になってこども達と話をしたり、遊んだりもするそうです。
休み時間に入り、廊下で生徒たちともすれ違いましたが、なんとお菓子を食べながら歩いているのを見て、私は当然おどろきました。
学校に売店もあり、お菓子もたくさん売っています。インターに通うようになってから、メキメキと太りだす子も多いそうですね。
この学校は50ヶ国以上の国の生徒たちが学んでいるだけあって、パッと見ではナニジンなのか分かりません。
面白いなと思ったと同時に、しょうじき不安にもなりました。
こどもを産んだ時、まさか将来インターに通わせようか悩む日が来るなんて、想像もしていませんでした。
日本人がインターへ行く、私のイメージは「芸能人の子供が行くところ」でした。そもそも、なぜインターへ行かせようと思うのか。
「英語を話せるようにさせたいから」
「若いうちから国際感覚を身につけさせたいから」
「カッコイイから」
3番目はアホとしか言いようがありませんが、3つくらい書きたかったので絞り出しました。
上の2つは思っていることですが、インターは語学学校ではありません。勉強するのは英語だけではなく、とうぜん他の科目もあるわけです。
見学した学校によると、だいたい1年半〜2年で、英語の授業についていけるレベルの英語力が身につくそうですが、
その最長で2年の間、英語力は向上するでしょうが、他の科目はどうするのか。暫くは授業の内容が分からない時期が続くわけです。
国が変われば教育も変わります。
算数は答えの求め方が違うと聞きますし、理科も社会も内容がガラリと変わるでしょう。そもそも社会では日本の地名など学ぶわけがありません。そして、1番気がかりであること。
日本語を「読む」チカラは? 日本語で「書く」チカラは?
日本語で考えて「話す」チカラは?
私たち夫婦はこの時点で、やはりインターではなく、日本人学校が良いと考えました。
まずは、日本語。
英語に関しては、将来息子が大学生になった時、本人が希望するなら留学に行かせてやれるよう、準備をしておこう。そう考えました。
しかしいくら親が「行かせるか」と考えていても、本人がその気でなければ、行かせようとは思いません。それはインターも、同じです。
私たち夫婦は、転校はせずに日本人学校へ行くと決めていましたが、息子の反応はどうだったのかが知りたくて、学校見学を終えてから息子に聞いてみました。
「英語の学校、どうだった?行けるとしたら、行ってみたい?」
「いやだ。いきたくない。いまの学校がいい」
即答でした。
「最適なタイミングがきっとある」
それからインターのことはすっかり脳の中から排除された生活を送り、思い出すことだって1度も、無かったかもしれません。
やっぱり頭から煙がでそうなくらいに考えたし、相談にのってもらったし、調べたし、動いてみて納得して決めたからです。
そもそも日本人学校に不満があった訳ではありません。どうか駐在の任期が1年延びて、この学校を卒業式したい!と願っていました。
しかしそれは、突然でした。
2018年2月。旧正月の連休中に、私はソファに座りながらふと、閃いたのです。息子も4月から、4年生か・・・
インターに転校させるのは、どうだろう!?
母親というのは時に、第六感的なものが働く生き物では、ないですか?
ここへきてちょっとオカルトちっくになってしまって申し訳ないのですが、私は重要なこと程、勘で決めるところがある、というのは否定できません。
いや勿論、下調べはします。必要な情報を得た上で、最終的には感覚で判断します。
皆さんもこういうとは、ありませんか?
住む部屋を借りるためにいくつか内覧をする。それで「なんとなくココは嫌だな」とか、入った瞬間に「ココがいい!」とか思うようなことが。
まあ要はそういう感じのことが、ソファの上で起きたのです。
私はすぐさま、夫に話をしました。
すると意外なことに、2年前は否定的だった夫が、今回は検討するそぶりを見せたのです。
2年前は何かと頼りなかった息子も、あの時に比べてだいぶ成長している。
インターに移ったら、英語の授業が理解できるようになるまで最長2年を見なければならない。その間の勉強は?
・・・という問題も、大変だろう、親子共々大変だろうが、今ならがんばれるんじゃないか?と思えたのです。
1年生の頃は、宿題に取り掛かるのも遅いし、終えるまでに1時間、ひどい時は2時間もかかっていた。
あの頃はそのことにも随分ヤキモキしていたものだが、子どもも成長し、3年生になったいまは、もう宿題も自分でやっている。
でも相談した方々が、口をそろえて大変だよとおっしゃってたように、実際やってみたら相当、大変なのは確かでしょう。しかしそれと同時に、
香港駐在が、予定通りであればあと2年。その残りの2年間を、英語力強化、世界を体験させるよい機会と捉え、インターで学習させるのはどうか、という考えもありました。
夫婦で再び話し合いましたが、それに時間はかかりませんでした。あっという間に考えは一致したのです。
そして次に、息子に聞いてみました。
「1年生の時、英語の学校を見にいったの覚えてる?」
「うん」
「あの学校へいま変わることも、いいと思う。そうすると、授業はぜんぶ英語になるし、先生やお友達とも英語で話すことになるし、きっとすごく大変になるだろうけど、それでもね、もしかしたら◯◯には英語の学校、向いてるんじゃないかなって、お母さん思ったのね。それでお父さんに相談したら、お父さんもいいんじゃないかって」
「うん」
「今せっかく外国にいるんだから、この貴重な時間を、日本人の輪にいるのではなくて外に飛び出してみるっていうのも、◯◯にとってきっと宝物の経験になるよ。どう思う?」
「うん。でも行かなくてもいいんでしょ?今の学校のままでも」
「もちろんいいよ。今の学校もいい学校だから、◯◯が今のままがいいって思うなら、変わらなくていい」
「わかった。ちょっと考えさせてくれる?」
ちょっと考えさせてくれる?
息子からこんな言葉が出てくるとは、驚きました。成長を感じましたし、頼もしくも思いました。
そしてその、翌日。
息子が私のところへ来て、
「ママ。おれ、英語の学校いく」と言ったのです。
今回は、家族全員の考えがあっという間に一致しました。そして驚くほど、そこに迷いはありませんでした。
2年前に、さんざん悩んだ時間があったからこそ、今回は早くに決断することができたのだと思います。
決まるときには、すぐ決まる。
2年前は息子も嫌だと言ったし、親だけの考えで決断しなくて良かった。それとなんとなく違うなという感覚も、無視してはいけないなと思いました。
あと1つ、母親の第六感ではないですが、転校を考えた理由がありました。
「こどもの性格も考慮する」
前にも触れましたが、息子は少し気が弱いところがあります。
メガネをかけているのですが、お友達にふざけて取り上げられた時でも「やめて」「返して」と言えません。
また、自分からお友達の輪に入っていこうとはしません。かといって寂しそうにしている訳でもありません。
誰とでも遊ぼうとは思わず、自分に合うと感じる決まったお友達とだけ遊びます。また、1人でいても平気です。
これはひとりっ子の特徴でもあるかもしれませんが、むしろ、1人で好きなように過ごす時間も、気に入っているようでもあります。
例えば私の子ども時代は、誰とでも仲良くしなさいと言われて育ち、行きたくない集まりにも行ったし、必死に周りに合わせるようなことも、こどもなりにしてきました。
しかし息子の場合、そういったことを全くしないのです。そして人からどう思われるかなども、全く気にしていません。
また、人がどうしているかなども、気にしていません。友達がやっているから自分も同じことをしたい、という発想もありません。
恐ろしいまでの、マイペース。
そんな個人主義的なところが、海外向きだなとは感じていました。
「こどもの個性を活かしたい」
日本の教育は、平均的にできることを良しとする傾向があります。
不得意な科目があれば、それを平均レベルに持っていくことにチカラを注ぎます。
しかし私たち夫婦は前々から、不得意なことはそのままでいい。同じ時間を使うなら、できる部分をもっともっと尖らせていくことにエネルギーを使いたい、そう考えているタイプでした。
息子は字が雑で、これに関しては1年生のときから、年ごとに先生が変わりますが、ご指摘をうけつづけてきました。
その件で、電話がかかってきたこともあるくらいで、そうすると私も必死になって、息子に字のことを注意します。
しかし、まいにち漢字の練習をする中で、私はまいにち息子にガミガミいい続け、このままでは息子はどんどん、自信をなくしていくのではないか。
まいにち息子を叱ることで、同時にたいせつな個性も潰しているのではないかと、悲しくなる時もありました。
息子は漢字が好きです。
特に画数の多い文字に興味を示し、香港の交通標識や地名などを紙に書き、壁に貼っています。
それが文字を美しく書くことに囚われすぎて、その「漢字」自体が嫌いなってしまうような結末だけは、避けたい。
確かに字を丁寧に書くことは、読む側のためにも大切なことです。
書き方教室にも通いましたが、2年経っても変わりませんでした。文字自体に興味はありますが、それを美しく書くことに、今は興味がないのです。
これは自発的に「こうなりたい!」と思わなければ、いくら時間とお金をかけても身につかないんだと、思い知らされたできごとでした。
漢字のトメやハネ、バランスよく文字を書く。それが日本の美しさの中の一部分でもありますし、そういった繊細さが、多くの優れたメイド・イン・ジャパンを作り上げてきたのは事実です。
ですから日本の教育を否定しているのではないということは、念の為に付け加えておきます。
そういったことなどからも、インターという環境へ行くことで、
▪自己主張が弱く、気弱で受け身である息子の性格に、少しでも衝撃を与えられたら。
▪「個」をたいせつにする環境で、思い切り自分の枠を飛び出していくことができたら。
▪できる部分をもっと伸ばしていくことに集中してエネルギーを注げたら。
そんなことに期待する、という側面もあったわけです。
ただ、外国の教育を受けてから日本の教育環境へ戻ったとき、それこそ馴染めない、という問題も出てくる可能性があります。
そのことも頭にはありましたが・・・
良い面だけのいいとこ取りは、できません。まだ起きてもいない問題を心配するよりも、大きなメリットを受け取ることに期待して、選択をすることにしました。
これだけ気になるのなら、やらないで思いを残すよりは、可能性を信じて飛び出し、失敗や挫折が起きたとしてもそれは、生きるための武器にしていけば良いのです。
「最終的な決め手となったのは」
家族の考えは一致し、迷いもありませんでしたが、1人だけ、相談をさせていただいた方がいます。
教育の専門化でもあるとても有名な方、とまでしか言えませんが、小学4年生に上がるこのタイミングで英語環境に移ること、
これに息子は同意していること、などをお話しました。
すると、このようなお返事をいただきました。
▪小4なら、日本語の基礎もできて、英語を勉強するにはよい時期
▪本人も転校を受け入れているなら、移るとよい
▪将来は日本の伝統的な教育で大学を目指すにしろ、ずっと海外でやっていくにしろ、この時期に英語を習得するのは財産になるだろう
これを受けて、私たち家族の決意はさらに強固なものとなり、私はさっそく転校へ向けての行動を開始しました。
まずは、日本人学校の担任の先生へお手紙を書きました。先生はとても励ましてくれ、応援してくださり、とても嬉しく有難かったです。
そして2年前に学校見学をした際にお世話になった、インターの担当の方へメールをし、
家族そろって、インターの面談へ向かいました。
「多角的に判断する」
私たちはこのようにして、日本の学校での小4へ上がるタイミングでインターへの転校を決めましたが、これは各ご家庭の環境によっても、変わってくると思います。
しょうらい日本に戻る予定がなく、ずっと海外で暮らすことを決めたご家庭の場合、ずっと海外の教育でやっていくということで幼稚園からインターへ入れることも、あるでしょうし、
駐在期間が1年なのか、5年なのか、またその時にこどもが何歳なのかによっても、判断は違ってきます。
駐在期間が明確でない場合も同じです。もし1年になったとしてもインターへ行くのか、長くなったとしてもずっとインターでやっていくのか、
そういう起こりうる可能性のパターンを、想像しておくことも大切です。
あとは子どもの、性格。
小学校高学年ともなると、こどもによってはお友達と離れるのを強く拒むこともでてきます。
皆が同じ方向を向き、横一列にならぶことになれてきた子どもが、いきなり個人主義の環境へ入ったときに、適応していけるタイプかどうか。
また逆に幼いころから「個」を重視する環境になれてきた子どもが、まんべんなく平均レベルにできることが求められる教育環境へ抵抗なく入っていけるかどうか。
そういったことも総合して、考えてみる必要はあります。
しかしこれも「日本人学校がある」という恵まれた環境にあるからこその悩みです。
選択肢があるからこそ迷うわけですが、どのような選択をしたとしても、その環境で精一杯やっていく、がんばる子どもを親がサポートする、
そうすれば、こどもはどんな場でも、大きく成長していくと思います。
ここからは、
インター転校後の息子のようす、学習の進め方、私たちの苦労、喜びなどを記録しています。
▪息子のようす、転校1〜3ヶ月目
▪日本語学習について
▪漢字学習について
▪英語学習について
▪インターの宿題
▪7月は日本の小学校へ通います
他にも思いついたことあれば随時足していきます。最新状況更新中。
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