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あなたなら「熱血先生の話」

最近はニュースに取り沙汰されるとすぐに身元を割り出される。ガーシーもみんなが産んだ令和のモンスターだろう。

「あいつは悪いやつだから特定して粛清してやる。」

「あいつは有名人だ。今まで甘い汁を吸ってきたのだからこのくらいの誹謗中傷当たり前だろ。」

あなたが有名人の友達ならそう思うでしょうか?

「こんな酷いことよく書けるな。人の気持ちがないのか?」

そう思うのではないでしょうか?

報道を受けて、ネット上には石井容疑者の身元や所属中学などを特定するいわゆる「まとめサイト」が次々立ち上がる。だが、生徒たちの受け止めは異なるものだった。逮捕後にも複数の生徒や保護者が心境を気遣う電話やメッセージを石井容疑者の携帯に寄せていたという。> 「一度、部活も勉強もうまくいかず腐りそうになっていた僕に、『お前、そんなんでいいのかよ!』って本気で泣きながら叱ってくれたことがあって。家に遊びに行った時も、ダメなものはダメ。怒るとちゃんと怖いから、先生の授業にはいい緊張感が漂っていた。周りにも『先生がいなかったら自分はいまここにいない』そう言う生徒がたくさんいます」(前出の元生徒)
文春オンライン

あなたの学校にも熱血先生はいましたか?私の学校にも、もちろんいました。熱血先生が。

その先生は分け隔てなく不良も真面目な生徒も同等に"指導"していました。普通の先生は成績が良い生徒や真面目な生徒と不良が話していたら「付き合う友達は選べ」等と言うでしょう。

しかしその先生はすべての生徒にフラット。というよりも、どちらかと言えば素行が悪い生徒に肩入れしているように見えました。

そうなるとやはり不良と呼ばれる生徒から人気が出てきます。人気が出るとスクールカーストで言えばヒエラルキートップの方々に気に入られているのですから、陰気な側の人は好きにならなければいけません。

不良と真面目な子が喧嘩をしました。理由は真面目な子が少し発達の遅れがある子を馬鹿にしたようでした。それを不良が咎めたのです。

普通なら真面目な子を庇って終わりでしょう。しかしこの熱血先生は違います。理由をしっかり聞き真面目な子を成敗しました。

良いお話ですね。

しかしこの先生はフラットなのでしょうか?おそらく周りの真面目な生徒は「あの先生は不良を贔屓している。私たちはまじめに我慢して真面目に過ごしているのに。」

と思うのではないでしょうか?

例えばその不良の生徒は真面目な生徒を普段から威嚇したりいじめたり(いじりのつもり)してないのでしょうか?

おそらくは不良側にそんな意識はなくとも、真面目ながわは薄ぼんやりと"威嚇されているという意識"を持っていると思います。

ただでさえ恐ろしい見た目をしていて、楽しそうに過ごしている人達に対して卑屈にならないはずがないのです。そして真面目な方が大変に決まっています。

勉強する、着崩さずに制服を着る、毎朝遅れずに登校する。当たり前のようだけどその"当たり前"こそが難しい。大人になったあなたならわかるはずです。

その大変さを許容して努力している人が、卑屈になるいわれはどこにあるのでしょうか?

と、真面目なサイドに回ればこのような考えになるのではないですか?

あなたがどちらサイドに感情移入したかは解りません。どちらでもいいと思います。

私は職場でのパワハラもこれに当たるのではないかと思うのです。

例えばパワハラする側は真剣に相手のことを思い、必死でなんとかしようとした結果相手がパワハラと認識する。

もし相手がパワハラと認識しなければそれはパワハラではなく"落ちこぼれにも真剣に向き合ういい上司"でしょう。言葉が汚いのは論外ですが。

別にパワハラを受け取り手の問題にするつもりはありません。両方の問題でしょう。コミュニケーションの齟齬です。

なぜそう思うのか?

それはもし本当にどうでもいいなら、相手にすらしないというのを体感したからです。私にも部下がいます。年上の部下が多いです。正直どうでもいい(成長の望めない)部下に対しては少し優しくなれます。

なぜなら"興味がないしギャップが無いから"です。

ギャップが無いとは、できると思っていないからできなくて当たり前だと思っているのです。ギャップからは怒りや悲しみという感情が生まれます。

千円を持ってご飯屋さんに行って食べられるもの(購入できるもの)がなければ怒りや驚きが出ますよね?それは千円ならば食べれるはずだとあなたが思っているからです。それがギャップです。

高級レストランに行って千円で食べれなくて怒る人はいないはずです。ギャップが無いからですね。

ギャップが無いところには感情は生まれません。思っていることと違うことが起きるからこそ感情が生まれるのです。

つまり相手に対する期待です。

期待しているからこそ感情が生まれ、そこでコミュニケーションの取り方によって齟齬が生まれる。

ただそれだけなのです。

起きていることはそれだけです。生き死にに繋がるようなことでは無いはずです。

誰も悪くない。期待する側もされる側も。

あなたも悪くない、相手も悪くない。がんばってます。あなたは十分に頑張っていますよ。

明日はコミュニケーションの齟齬が起きないように少しだけ気をつけてみてください。

それでは、また、金曜日に。

あどりでした。

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