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上司、親、伴侶への苛立ちや不安の解決策

彼は滑稽であった。なめられること、つまりは軽んじられることを特に嫌っていた。なぜなら舐められるとは弱いからだ。弱さとは無能さの証であり強さとは、ーー彼なりの解釈としてはーー弱さを見せれば足下を掬われるのだろう。

彼、とは昔の上司です。上司はなめられることを特に嫌っていました。

舐められているな。と感じたときは部下に対して激昂していました。小さな事でも大きなことでも。

社長に対して操業が困難であると伝えるとき(報告すれば確実に激詰めされます。)普段ならば自分で、つまり上司が報告するのですが、そのときは「俺は絶対にしない!」と拒否していたのです。

これには前日譚があります。

前日に私の先輩がその上司に楯突いたのです。機械の故障で操業を停止するかしないか?で揉めたのですが、操業を継続すれば不良率が上がるので停止を進言したのですが、上司は生産量が落ちるのを嫌がったのです。

そこで操業を止めるか?止めないか?で揉めたのです。そして勝手に部下は操業を止めた。そして上司は激昂したのです。

もともと折り合いが悪かった2人ですので、衝突も仕方ないとは思うのですが。

上司は止めたことよりも楯突かれたことにより激昂しました。普段ならば社長へ上司が報告するのですが、その時はほんとうに本人、つまり私の先輩に社長への報告をさせました。

当然ながら激詰めされました。そして社長に普段からの点検が足りぬ!始末書を出せ!と言われてしまいました。


これで上司からすれば「ザマァ見ろ!」なのでしょう。正直こんなしょうもない人についていこうとは誰も思いません。だからこそ転職したのですが。


人は誰しも人に軽んじられることを嫌います。そんな上司を私もあなたもしょうもないと嫌悪感を覚えます。しかしながらこの気持ち、軽んじられるのが嫌だというのは誰しもが持っています。

そう、まるで夜寝るときにまぶたを閉じるのと同じように、人にとって当然なのです。

そして私もこの上司が無能で権限の譲渡ができない、ダメ上司である。そう決めつけていました。

しかし、実際には無能だからではなく、弱かったからなのです。


自由を狭める理由

上司と部下というのは基本的に部下が裁量を求め、上司は部下の自由を削ります。その対立軸はあなたも経験してきたことでしょう。

親と子もそうです。子供はスマホが欲しい。親は心配だから与えたくない。これも構造から言えば自由の切望と自由を与えることの不安という対立軸で考えれば同じことです。

基本的に権限があるものはその権限を渡すことを戸惑います。忌避します。タバコの匂いを猫が避けるかのように。

その自由を与えないという行為は、部下の目線で見れば上司が無能に見え、子供から見れば信用されていないと感じる。

しかしこの自由の縮小や権限を与えないというのは、上司、親から見れば愛だったりするのですから事態はもっと複雑です。

「あなたも親になればわかる。」

と言われて育った人も多いことでしょう。いざ自分が親に、上司になると自由を与えるというのはとても不安なものです。人を信じるというのは人間にとってとても難しいことなのです。

ですからメロスが怒ることも「そんなにか?」と思ってしまいます。

「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
 聞いて、メロスは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ。」

走れメロス
太宰治

人を信じる。これほどまでに言うが易しの言葉は無いでしょう。いつまでも子供は子供に見えるし、部下は部下に見えるものです。

それに人にとって想定外というのはストレスです。突然の来客や、予定日の予報にない雨、犬の糞を踏むのも加えましょうか。

これらはとてもストレスになります。もっとも最近の私やあなたの想定外のストレスはコロナと震災ではないでしょうか?


不確定は不安やストレスの種

被災者の1か月後のアンケートでは実に66.8%もの人が自分が抑うつ状態である。と回答しています。

これは6か月ほどで改善されていくのですが、被災は自由の縮小であり制限です。しかも当然ながら想定外のことです。想定外というのは人間にとても大きなストレスを与えるのです。

それに、コロナ禍のアメリカでの調査によると、抑うつと不安症が3倍になったというデータがあります。これは想定外と自由の制限が人にストレスを与えていると思うのに充分な証拠でしょう。

上司や親が自由を削るのには理由があります。それは想定外を減らすためです。

想定内であれば人は納得できます。だからこそあなたに制限を与えて自分の思ったストーリーを描こうとするのです。レールの上を歩む電車が管理しやすいように、人もまたレールの上を歩ませたがるのです。

つまり自由の縮小、制限というのは上司の安心の担保なのです。あなたの自由が上司の安心の抵当権なのです。

しかしながら自由が無いというのは人に反抗心を抱かせます。それを心理学では心理的リアクタンスと言います。

親の「勉強しなさい!」は子供の今行っている遊びを夢中にさせるスイッチです。あなただって早く寝ないとと思いながら謎のTikTokを見てしまうのでは無いでしょうか?

人は禁止されれば余計に禁止された行為に執着してしまいます。ロミオとジュリエットがそうだったように。

これらを総称して心理的リアクタンスと言います。

そしてまた当然のように上司や親が安心したいのにも理由があります。それは当然の欲求なのです。コインの裏表のように。


アメリカの心理学者アブラハム・マズローによる「欲求階層説」は、人間の欲求を5つの階層に分けて説明しています。その中で、「安全欲求(Safety Needs)」は、基本的な生理的欲求(食事、睡眠など)の次に位置します。この安全欲求には、身体的な安全や心の安心、安定した環境などが含まれます。人々はまず生理的欲求を満たし、その後に安全欲求を満たそうとするのです。


認知的不協和理論
アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによる「認知的不協和理論」によれば、人々は自分の信念や行動が一致しないと感じたときに不安や緊張を感じます。この不協和を解消するために、人々は自分の信念や行動を一致させようとします。

ホメオスタシス
「ホメオスタシス(恒常性)」は、生物が内部環境を一定に保とうとする性質です。心理学的には、心の安定や平衡を保つために人は安心感を求めると考えられます。安心感が得られると、心のバランスが保たれ、ストレスや不安が軽減されます。

これらの理由から私やあなたの上司、親は私たちを《カゴの中の鳥》にしたくなるのです。


幸せの青い鳥

しかし、私やあなた、あなたの上司や親にも当然解決策があります。それはまさに《カゴの中の鳥》が探し求めていた青い鳥になる必要があるのです。

チルチルとミチルは、とうとう青い鳥をつかまえることが出来ませんでした。
 でも、チルチルとミチルが、ふと鳥カゴを見ると、中に青い羽根が入っているではありませんか。
「そうか、ぼくたちの飼っていたハトが、ほんとうの青い鳥だったんだ。しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね」
 二人はお互いに顔を見合わせて、ニッコリしました。
 魔法使いのおばあさんは二人に、しあわせはすぐそばにあっても、なかなか気がつかないものだと教えてくれたのです。

幸せの青い鳥
メーテルリンク

つまりは私にもあなたにも青い鳥が存在しているのです。外に答えを探すから私もあなたも見つけられないのです。

実際には良い上司、良き親は《青い鳥》なのです。

想定外というのは想定していないから想定外なのです。つまりは両者が想定していれば想定外では無いのです。

「言わなくてもわかるだろう」は親と子ですら不可能です。ましてや他人である上司と部下では不可能に決まっています。先生と生徒も然り。親と子も血を分けたといえ他人です。

つまり両者共に想像ができていないから不安になるし自由が削られていると感じるのです。つまり両者の共有知にヌケモレがあることが原因なのです。

例えば上司と部下。部下からの報告にヌケモレがあれば上司は不安になります。業務が自分の思った通りに進んでいるか?や自分の想像しうるリスクを排除しているか?です。

当然ながら部下には経験値がありません。だからこそ上司は部下に説明しなくてはならないのです。これが上司の安心するための最大の行動です。

家族でも同じです。基本的に妻が怒るのは夫の説明が不足しているからです。安心さえさせてあげればもっと夫も自由になるはずです。しかしその説明をめんどくさがるから妻は不安になり、両者共に余計なストレスを産んでしまうのです。

まぁ私なのですが。

つまり私やあなたの苛立ちや不安というのは、相手をおもんばかることでしか解決しないのです。相手の気持ちを想像することでしか解決の糸口は見つからないのです。


弱さと強さ

おもんばかるとは、相手の立場に立つということです。

例えば車の運転中、信号のない横断歩道で止まってる人を見かけて「お前暇だから歩いているんだろう?俺は急ぐから車に乗っているんだ。悔しかったら俺のような生産性の高い人間になれよ。」

と思う人は驕りでしかありません。急いでいるor急いでいない、ではなく弱いものの見方、弱いものの見え方をできるか否か?が重要なのです。

急ぐ、急がないというのはあなただけの概念でしかありません。当然逆もまた然りですが。

両者の配慮によって世の中は成り立っています。

ベビーカーを畳め!でキレる人には配慮、つまり弱い立場に立った側の論理、ロジックを理解しようとする優しさが無いのです。

弱い強いというのはシーソーです。イキってる不良がめちゃくちゃ怖い先輩にビビるように。世の中は強者弱者のシーソーゲームなのです。

舐められない人というのは決まって怒らない人です。怒らないんだけど怒りを含ませる。大きい声で怒鳴る人よりも小さい声ですごむ人のほうが怖いのです。

なぜならば怒るという行為の裏側に《弱さを見せたく無い》という弱さが見えるからです。

だから普段から怒る人は若干バカにされるのです。そこに恐怖は無いのです。冒頭の元上司のように。

強さ弱さはシーソーのように、振り子のように、ヤジロベエのようにふれています。

これさえ覚えていれば、つまり弱さ強さはふれているというのを覚えていれば、誰にでも弱い人への配慮ができるはずです。

つまり私やあなたの《青い鳥》、苛立ちや不安の解消方法は相手をおもんばかる、相手の立場を想像する。ここにあったのです。

配慮とは強さです。思いを馳せるとは強さです。他人を憂うのは強くなければできないのです。

If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない。

レイモンドチャンドラー
プレイバック

私が望むのはあなたの苛立ちや不安の解消は、あなた自身の優しさでしか無いと気づいて欲しいというだけです。

青い鳥や心理学を用いてあなたに納得も得心もできるような説明をすることくらいしかできません。

それでも憂うのです。というよりも私のようなものには憂うことしかできないのです。それでどうなるというものでも無いのですが。それでも憂いているのです。

それでは、また、水曜日に。

あどりでした。

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