祝福と呪いを同時に受ける私たち。フリーランスと人を育てない企業
「人を好きになるってなに?好きってなんなの?」
真っ白なシーツ、真っ白な枕、真っ白な肌、頬には涙が跡を着けている。事後というのは人はおそらく緊張が溶けるのだろう。緊張と緩和。
白といえば1番想起しやすいのは純粋さや無垢。なのに、なぜこんなにも性愛に満ちた部屋が白で満たされているのだろう。彼女は涙を拭く。
「ごめんね。いきなりでびっくりしたよね。昔から好きってなんのことかよくわからないんだ。」
今の私ならもしかしたら"何かそれらしいこと"を、彼女の胸がすくような言葉をかけられるかもしれない。しかし若干20歳の私にはどぎまぎするぐらいしかできない。
願うなら、できることなら、彼女が何処かで幸せであることを今も願っている。
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と、いうような《他人の幸せを思う》と言う行為。これは余裕がある時でないとできません。あなただって《他人の幸せを思う》のは余裕があるときでしょう。
誰だって時間が無いとき、他人を思うことはありません。お金が無い時に寄付をしようとは思わないのと同じです。余裕とは優しさでもあります。
誰かの幸せを願うのはある意味心の余暇であり、心の寄付でもあるのです。
あなたもそうであると思うのですが、生産性というのは会社員である以上常に意識させられるものです。生産性とは生産量÷従業員数や売上高÷従業員数などの計算方法がよく用いられます。
生産性の向上とは基本、1人の量を増やすor従業員を減らすで調整します。
しかしこの生産性の向上というものは、バカで醜悪でマヌケなものです。
作れば売れる時代ならまだしも、UNIQLOやトヨタのような大企業であればまだわかるのですが、中小がこれを、つまりは生産性の向上を目指したところで、バカで醜悪でマヌケな戦略になってしまいます。
なぜ私が、今日本の企業の大多数が行っている、生産性の向上がなぜバカで醜悪でマヌケな戦略と呼ぶのか?
DXもそうですが、人がやるべきところにリソースを割くのではなく、どれだけ(従業員の)余裕を無くせるか?に焦点を当てているからです。それを簡単に言うと、
「この人の余剰時間を別の仕事に回そう。そうすればこの人の仕事は必要なくなる。よし、人件費の削減、生産性の向上を達成したぞ!」
というようなことにだけ目を向けてるということです。そうすると人を育てる時間や、人との繋がりの時間を目減りさせているだけになります。
その上余裕、つまりはバッファを無くすことは失敗した時の対策も取れません。つまり失敗や納期ギリギリのものを間に挟むこともできず、結局残業などで対応しなくてはならなくなり、無駄が増えます。
また、現在の企業は余裕や余剰を嫌う様態がありますが、この考えはもっと悲惨なことを招きます。
それは、面白いものを、面白い人を作れなくなるというところです。
昔のCDが売れていた時代(私がここで語るのは基本洋楽なので一般的では無いかもしれません。)レーベル買いというものがありました。
defjamやsosodefから出たものを視聴もせずに買うというやつです。プロデューサーが同じであることが多く良曲である可能性が高いためみんなそうしていました。
これらの中にはもちろん、「あーハズレだな」と思うものもありました。しかし、大半の曲にそのレコード会社のビッグアーティストがフューチャリングされていることが多く一つ二つは気にいる曲があったので気にしていませんでした。
このレーベル買いが大きな役割を果たしていたのは新人発掘でした。ビッグアーティストの売り上げで、売れるか売れないかわからない新人を売り出すアルバムを作ることができるからです。
ビッグアーティストだって、自分が出ていくチャンスを作ってくれたのは先輩のアルバムだとわかっているので、売り上げが多少レーベルに取られても文句は言いませんでした。
つまりは一部の売り上げで大量の新人を育てることができる良き時代だったのです。
会社も昔はそうでした。一部の売り上げで新人を育てることができたのです。
しかしながら今はフリーランスになる人も多くなり、独立する方が増加していますので、即戦力になる人を何処の会社も探しています。
そうなると(優秀な人が独立を選び出すと)新人をそだてる余裕が会社になくなります。だからこぞって即戦力を探したところで誰も育てていないので即戦力を探すのは無理なのです。
なのになぜか企業は即戦力を探します。自分たちが育てられないので誰かが育ててくれた人をそこそこな値段で雇おうとしているのです。それはまさにバカで醜悪でマヌケな営みです。
またそのような即戦力を探している企業はチャレンジする器量がありません。余裕が無いのですから当然ではあるのですが。
チャレンジしなければ面白いものは作れません。つまりは大きな企業と正面からぶつかるような、いわゆる普通のもの、ありふれた商品しか作れないのです。
そうなると価格と納期でしか勝負できません。大企業とそこ(価格と納期)で勝負して勝てるはずがありません。まさに負け戦。
そしてなにより、面白い人の採用というのも無理になってきます。今すぐには役に立たないかもしれないけど面白い!みたいな人をとれなくなる。そうなると企業は硬直化していき同じような人しか居なくなります。
昔と同じことを昔と同じようにしていたらどうなるか?もちろんそれは衰退以外の何も起こしません。
それでイノベーションを叫んだところで何がどうなるというのでしょうか?ちょっとだけ良くなったように見えることをやり続けることになるだけです。
それこそもっとも忌避していたはずの"無駄な時間"をずっと長い間過ごすことになってしまうのです。ミクロの無駄を省くことによりマクロの無駄を生むという結果を招き入れます。
人の幸せを願うことは心の余裕が無いと無理である。と最初に私は述べました。今の企業にも日本の社会にも余裕というものがありません。この余裕が無いというのが今の日本の病理でもあります。
これから先もっと余裕は無くなっていきます。それは人口の減少からの売り上げの減少、生産者の減少から起きることです。
これを避けるため日本は海外労働者を招き入れています。しかしこれも長くは続きません。なぜならばそれに見合う、つまり海外からきて稼げるほどのお金を払えないのです。
最近私の周りでは海外労働者に頼る事業者が多く見受けられます。日本の労働者では海外からの労働者のように残業をして貰うことができないためです。
海外からの労働者は日本人に対して安く使えるか?と言われるとそうではありません。日本人と同じ時給を払わなければなりませんし、住むところも手配しなくてはいけません。
その上管理費用という名目で管理団体にもお金を払わないといけないので日本人に対して安いか?と問われるとそうでは無いというのが答えです。
ある意味私もあなたも、会社に所属しなくても生きていく術が増えている良い時代ではあります。ですがそれはーー誰にも育ててもらえないということの引き換えによってーーです。
それは呪いでありながら祝福でもあります。
つまりフリーランスの増加は企業の独占の終焉とともに、人を育てることの放棄でもあります。それなのに即戦力を探し求める。
つまり私は、つまるところあなたもフリーランスもしくは即戦力になるつもりでいないといけないのです。それはあなたを強くすること、余裕を持つことです。
強者であるということは同時に優しくなれるということです。「タフで無ければ生きていけない、優しく無ければ生きていく資格がない」ではないですが、強さは余裕を生みます。それは余裕という優しさをも生み出します。
私はできるだけあなたに強く、優しい人であって欲しいと望みます。望んだからといってどうということは無いのですが。強くそう思っています。
ーー願うなら、できることなら、あなたが何処かで幸せであることを今も願っている。ーー
それでは、また、水曜日に。
あどりでした。
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