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フランス・ギャル名曲選③夫婦共作時代前期(1974〜80)

 ※ヘッダー画像はgetty imageより、おそらく1977年頃のギャルと夫のミシェル・ベルジェ


 前回に引き続き、「フランス・ギャル名曲選」と題して、個人的な好みで選曲したギャルのさまざまな曲を一気にご紹介したいと思います。今回からいよいよ夫ミシェル・ベルジェとの共作時代、フランス本国での人気に反して日本ではあまりにも知られていない、「フランス・ギャルの本当の黄金時代」に突入です。好きな曲が多すぎてなかなか絞りきれなかったので、この記事では夫婦共作時代を「1974〜80年」「1981〜92年」の2回に分けてお届けしたいと思います。(80年がギャルの大躍進の年でしたので、こちらで一度区切りました)

 なお、今後紹介する曲は注釈がない限り、全て76年にギャルの夫となるシンガーソングライター(かつピアニスト、プロデューサー、演出家に映像監督…といったとても多才な人物です)ミシェル・ベルジェによる作詞作曲です。「70〜80年代のフレンチポップス界を大いに発展させた」と言われるベルジェに関してはこちらの記事に簡単にまとめてありますので、併せてご覧ください。



◆La déclaration d’amour (1974)

 「愛の告白」
 
ミシェル・ベルジェからギャルへの初提供曲であり、この曲のヒットでギャルは「アイドル」から「実力派歌手」への転向に成功しました。なお、こちらはベルジェからギャルに贈られた「本物の告白ソング」です。エモい。詳細は以前書いた記事をご覧ください。


◆Comment lui dire?(1976)

 「新しい愛のはじまり」(直訳は「彼にどう伝えればいいの?」)
 ミシェル・ベルジェ作詞作曲プロデュースによる初めてのアルバム"France Gall"のトップを飾るナンバーで、その後シングルカットされました。歌詞は「ギャルが人気低迷期の最中にベルジェを見つけた」という実際のエピソードをそのままなぞったような内容になっています。不穏な感じのイントロとAメロから急にファルセット歌唱でのメジャー調のサビが続く、面白い構成の一曲です。

 初期のベルジェ提供曲はピアノ伴奏が非常に目立つ曲が多いです。もちろんベルジェによる演奏で、彼の流麗なピアノも聴き応えがあります。

◆Samba Mambo(1976)

 「サンバ・マンボ」
 
同じくアルバム"France Gall"からの人気曲です。一見ふざけているようなタイトルですが、「サンバの流行が終わってマンボのリズムが流行るように、好きな人が去っていってしまう」という真面目な失恋ソングです。ギャルのリズムに乗った歌唱も良いですが、2番の後の"Chacun prend la place de l'autre, et le bonheur des uns fait le malheur des autres"(誰もが他人に取って代わり、誰かの幸せが他人を不幸にする)というフレーズが心に沁みる一曲です。(宇多田ヒカルさんの「誰かの願いが叶うころ」みたいですね)

 この曲はフランスの元植民地ベトナムでの人気が異様に高いようで、今でもYouTubeに多数のカバーバージョンが投稿されています。もはや東南アジアの曲みたいになっていてこちらも面白いです。



◆Le meilleur de soi-même(1977)

 「わたし」(直訳は「自分自身の精一杯」)
 
77年発売のアルバム"Dancing disco"に収録され、その後シングルカットされました。"Dancing disco"「パリのナイトクラブ店員・マギーの物語」をテーマとした、いわゆるコンセプト・アルバムになっており、こちらも主人公マギーの心境を歌ったものだと思われます。美しく叙情的なメロディに誰もが共感するような歌詞が載せられた、個人的にとても好きな曲です。(恋をすると誰もが一生懸命になってしまうよね、私もそうだよ……といった内容の歌詞です)ギャルの透き通った歌声も楽曲に素晴らしくマッチしています。2番の後の大サビの前に今で言う「Cメロ」的なパートが入るという構成も、この時代にはまだあまりなかったのではないでしょうか(またこのパートがいいんです)。

◆Si maman si(1977)

 「聞いてよママン」
 "Dancing disco"
の最後を飾るナンバーで、のちにシングルカットされ、アルバムを代表するヒット曲になりました。メランコリックでありながらも美しく親しみやすいメロディーが魅力の曲ですが、歌詞の根底にあるのは「絶望にも似た人生への諦観」であり、非常に切ない感情を呼び起こす楽曲となっています。
 
 "Dancing disco"は他にも"Musique""Ce garçon qui danse"など名曲揃いの超名盤だと思います。ギャルのアルバムの中で私は一番好きです。


◆Viens, je t'emmène(1978)

 「誘惑のダンス」(直訳は「おいで、連れて行ってあげる」)
 
何ともいえない邦題がついていますが、フランスではヒットした名曲です。こちらはアルバム収録曲ではなく、1978年に行われたギャルの復活後初となるコンサート"Made in France"のために製作され、シングルA面曲として発売されています。
 
 曲は邦題の通りダンスナンバーで、初期のディスコで人気だった「フィリー・ソウル」調のメロウなサウンドが特徴的です。そこにギャルの甘い声が乗っているのがたまらない、こちらもとても好きな一曲です。歌詞は要約すると「私の音楽であなたを不思議な世界へ連れて行ってあげる」といった感じで、「アイドル」の殻を脱いで「歌手」へと生まれ変わったギャル自身をアピールするような内容となっています。

 歌詞に出てくる"la baie de Yen Thaî"というフレーズは中国の「煙台(イェンタイ)湾」のことのようですが、当時の日本語訳には「イェンタイ湾が何なのか不明」と注釈がありました。ベルジェの見識の広さを物語るエピソードだと思います。

 コンサートのために製作したからか、こちらの曲には珍しくちゃんとした振り付けがついています。ギャルの可愛らしいダンスも堪能できる一曲です。


◆Il jouait du piano debout(1980)

 「彼は立ったままピアノを弾いていた」
 1980年発売のアルバム"Paris, France"からの大ヒットナンバーであり、歌手フランス・ギャルの代表曲と言える楽曲です。詳細は以前書いた記事をご覧ください。


◆Bébe, comme la vie(1980)

 「人生の旅路」(直訳は「ベイビー、なんて人生は」※〇〇なのだろう、と続く歌詞が省略されています)
 こちらもアルバム"Paris, France"からの一曲です。ソフトロック調の聴き心地の良いサウンドが特徴ですが、おそらくこれはギャル夫妻の第一子ポーリーヌ(78年11月に誕生)に向けた「子守歌」だったのでは…?という気がします。歌詞も「親は子どもより先にいなくなってしまう」という、人生の真理を我が子に説くような内容となっています。

 こちらの動画は夫のベルジェと共演したTV番組からの抜粋のようです。歌唱は生歌ですがかなり安定感があり、お得意のビブラートが抜群に綺麗です。15年も時を経てはいますが、あの「シャンソン人形」と本当に同一人物ですか?と言いたくなります。

 ポーリーヌはこの曲の発表直後に先天性の難病を患っていることが発覚し、闘病の末1997年に亡くなってしまいました。その後、ギャルはこの曲について「もう聴きたくない」と語っています。悲しいエピソードの残る曲ではありますが、本当に素敵な楽曲です。

◆Plus haut(1980)

 「もっと高く」
 "Paris, France"の中の一曲で、アルバムの発売当時はシングルカットされることもない地味な曲だったようです。(TVでの歌唱映像も私が確認した限りでは残っていません)しかし、ギャルはベルジェの死後この楽曲をセルフカバーし、巨匠映画監督ゴダールによるMVまで作成しています。また、晩年にはインタビューで「ミシェル・ベルジェの好きな曲は?」等と聞かれると、必ずと言っていいほどこの曲を挙げています。

 おそらく理由はこの曲が「夫婦の愛を歌った曲であるから」だと思います。ギャルはこの曲に「愛の讃歌」であるとコメントを残しています。ベルジェがギャルに提供した曲は初期こそ半ば自伝的なラブソングが多いものの、すぐにそのテーマは純粋な音楽の探求や物語性の追求、あるいは社会問題への視線、若者達へのメッセージへと移り変わっているように感じます。そんな中で書かれた"Plus haut"はギャルにとって「とっておきの一曲」だったのかもしれません。



 本来はこちらの記事でベルジェ作のロックオペラ"STARMANIA"(1979)の楽曲についても触れるべきだと思うのですが、今のところオリジナルバージョンの映像を見る術が全くありません。(サウンドトラックはサブスクで聴けますが…)STARMANIAに関しては今後の課題にしたいと思います。

 

【補足】サブスクで聴くフランス・ギャル

 今回ご紹介した曲はすべてApple Music、Spotifyなどのサブスクで聴くことができます。聴き流しや作業用BGMにもピッタリだと思いますので、是非聴いてみてください。("Viens, Je t'emmène"などアルバム発売時の未収録曲もしっかり入っています)





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