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【歌詞翻訳・解説】Poupée de cire, poupée de son(夢みるシャンソン人形、1965)【フランス・ギャル】



①概要

 このnoteでは主に「アイドル時代以降のギャル」についての話題を投稿するつもりですが、アイドル時代の有名曲やエピソードに関しても時折盛り込んでいく予定です。

 今回はアイドル時代のギャルを代表する曲"Poupée de cire, poupée de son"(夢みるシャンソン人形)を取り上げたいと思います。この曲は日本でもヒットした非常に有名な曲ですので、「フランス・ギャル」の名前を聞いたことがなくても、「夢見るシャンソン人形」というタイトルを知らなくても、多くの方がどこかで一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。1965年発表の楽曲ですが、今でもCMソングになっていたり、スポーツ選手の入場曲として使われていたりもします。

 発売当時のTV出演映像です(歌は口パク。当時の歌番組は口パクが普通だったそうです)

 2011年ごろのサントリーウーロン茶のCMにも使われていました。


②歌詞翻訳・解説

 ◆タイトルに関して

 まず"Poupée de cire, poupée de son"というタイトルですが、これは直訳すると「蝋人形、おがくず(の詰まった)人形」です。しかし、同時に"son"には「音」という意味もあります。「音人形」とすると文法的には正しくないそうですが(sonに冠詞が必要)、フランス人のファンの方の動画やサイトでは英語で"sound doll"(音の人形)と訳していることが多いです。おそらくゲンスブールお得意のダブルミーニング("おがくず"と"音"を引っ掛けている)を用いたタイトルで、どちらも正解なのだと思います。

 ◆歌詞翻訳

 日本語版の歌詞は「アイドルって綺麗だけど孤独で悲しい存在なの、私もいつか自分の歌う歌みたいな恋をしてみたいわ」といったような内容で、原詞とそこまで乖離してはいないものの、かなりマイルドになっています。原詞にはもっと強烈な皮肉と性的な暗喩が含まれており、「悪趣味」とまでいえるものになっています。しかし、そもそも「アイドル」という概念自体が1965年当時は生まれたてのものであり、ブリジット・バルドーやフランス・ギャル等フレンチロリータこそが「元祖アイドル」と言われることもあります。そのような時代から「アイドル」の真理を見抜きこの歌詞を書いたゲンスブール、たとえ「悪趣味」であるにしても、あまりに先進的すぎると思わずにはいられません。

Poupée de cire, poupée de son

Je suis une poupée de cire
Une poupée de son
Mon cœur est gravé dans mes chansons
Poupée de cire, poupée de son

私は蝋人形
オガクズの詰まった人形
私の心は私の歌に刻まれているわ
蝋人形、オガクズ人形

Suis-je meilleure suis-je pire
Qu´une poupée de salon
Je vois la vie en rose bonbon
Poupée de cire, poupée de son

私はマシなの?それとも酷いの?
サロンのお人形よりも
私の人生はキャンディーみたいなピンク色
蝋人形、オガクズ人形

Mes disques sont un miroir
Dans lequel chacun peut me voir
Je suis partout à la fois
Brisée en mille éclats de voix

私のレコードは鏡なの
その一つ一つの中に私が見える
私は一度にあちこちに現れるの
千もの声の欠片に散らばって

Autour de moi j´entends rire
Les poupées de chiffon
Celles qui dansent sur mes chansons
Poupée de cire, poupée de son

私の周りで笑ってる
ボロ切れのお人形たちが
彼女たちは私の歌に合わせて踊ってるわ
蝋人形、オガクズ人形

Elles se laissent séduire
Pour un oui pour un non
L´amour n´est pas que dans les chansons
Poupée de cire, poupée de son

お人形たちはされるがままに誘惑されていく
彼女たちの意思がどうであっても
愛は歌の中にしかないわけじゃないのに
蝋人形、オガクズ人形

Mes disques sont un miroir
Dans lequel chacun peut me voir
Je suis partout à la fois
Brisée en mille éclats de voix

私のレコードは鏡なの
その一つ一つの中に私が見える
私は一度にあちこちに現れるの
千もの声の欠片に散らばって

Seule parfois je soupire
Je me dis à quoi bon
Chanter ainsi l´amour sans raison
Sans rien connaître des garçons

たまにひとりで溜息をついて
「こんなことをして何になるの?」と言うの
理由もなくこうして愛を歌って何になるの?
男の子のことなんて何も知らないのに

Je n´suis qu´une poupée de cire
Qu´une poupée de son
Sous le soleil de mes cheveux blonds
Poupée de cire, poupée de son

私はただの蝋人形
ただのオガクズ人形
私のブロンドみたいに輝く太陽の下で
蝋人形、オガクズ人形

Mais un jour je vivrai mes chansons
Poupée de cire, poupée de son
Sans craindre la chaleur des garçons
Poupée de cire, poupée de son

でもいつか私は私の歌みたいな人生を生きるの
蝋人形、オガクズ人形
男の子たちの情熱なんか怖がらずにね
蝋人形、オガクズ人形

 ◆超個人的解説


 
 翻訳しても歌詞が比喩だらけで非常にわかりにくいので、少しだけ個人的な解釈を書いてみます。

 ・「私」=この歌を歌うギャル自身、あるいは若さや可愛らしさを売りにしているアイドル。全体的に「ろくに恋愛を知らない若い女性アイドルが恋愛ソングを歌い、男性ファン相手に媚びを売って商売をする」「アイドルはレコードを量産するだけの中身のないお人形」といったような、「アイドル」という存在そのものを揶揄した歌詞となっている。しかもそれをアイドル自身に歌わせている。

 ・「蝋人形、オガクズ人形(音人形)」=見た目は綺麗だが心がない、中身に詰まっているものがゴミ、あるいは音が出るだけのお人形…といった、かなり辛辣な言葉で「アイドル」を喩えている。

 ・「サロンの人形」「ボロ切れの人形」=女性のこと?「サロン」の方は社交界の着飾った女性、「ボロ切れ」の方は一般女性(考えすぎかもしれませんが「男達に弄ばれてボロボロになった女性」とも言えるかもしれません)かと思われます。

 ・「私のレコードは鏡」「私はあちこちに一度に現れる」=一度録音した歌が大量のレコードになって多くの人があらゆる場所で聴けるようになる様を、鏡が割れてバラバラに散らばる様に喩えている。この時代はまだまだレコードしかないですが、後に主流となるCDはまさに見た目がですよね。ゲンスブールのセンスがすごい。

 ・結局最後は「自分自身も自分のしていることが馬鹿げたことだと知っている」と言い、「いつかは自分の歌みたいな人生を生きてやる!」と終わります。ハッピーエンド?のようでいて、「お人形アイドルにもいつかは終わりが来る」…とも読めるかもしれません。(実際ギャルのアイドル人気がすぐに低迷してしまったように)


③エピソード

 ◆ユーロビジョンコンテストでの優勝

 "Poupée de cire, poupée de son"は、作詞作曲はもちろん映画監督や俳優としても多彩な才能を発揮したことで有名な、Serge Gainsbourg(セルジュ・ゲンスブール)による作品です。1965年にシングル曲として発売されるのですが、その直前にこの曲でギャルは「ユーロビジョンコンテスト」に出場し、優勝しています。「ユーロビジョンコンテスト」とは、1956年から開始されている大規模な歌のコンテスト番組。ヨーロッパ各国から代表歌手が出場し、生放送で歌唱を披露してその順位を競う、毎年恒例のイベントとなっています。ABBAセリーヌ・ディオンもこのコンテストの優勝経験があります。

 こちらがユーロビジョンコンテストでの生歌唱映像です。

  緊張して音を外しまくっているのがよくわかりますし、これだけ聞くと正直に言って「ヘタクソな歌手だな」という感じです。また、レコーディング音源とは曲のテンポやイントロ、一部の音程が異なっています。

 当時のユーロビジョンコンテストでは、例えばフランスの「シャンソン」のような、ゆったりとしたテンポの古典的な楽曲を披露するのが一般的でした。しかし、この"Poupée de cire, poupée de son"「イエイエ」と呼ばれるテンポの速いロックンロール調の楽曲で、当時としては最先端の作風です。そのため、コンテスト当日は他の出場者から中傷されたり、オーケストラが伴奏を嫌がってゲンスブールと揉めたりとトラブルが多発したとか…。そのせいでギャルの歌唱は最初から音程を外すなど、不安定になってしまったようです。しかし会場の混乱に反して、生中継を見ていたヨーロッパ中の視聴者は、この新しい音楽に熱狂しました。そして視聴者による電話投票で圧倒的な支持を獲得したことにより、ギャルは見事優勝の座を勝ち取るのでした。

  

 ◆日本での人気について

 ユーロビジョンコンテストでの優勝を受け、"Poupée de cire, poupée de son"は「夢みるシャンソン人形」という邦題で、日本でも同年に発売されました。

 実はギャルのレコードが日本で発売されるのはこれが初めてではなく、1963年のデビュー後すぐに日本での1枚目のレコードとなる「審判のテーマ」("J'entends cette musique")が出ています。

 若い方には想像しづらいかもしれませんが、1960年代の日本では当たり前のようにフランス語やイタリア語のレコードが販売されたり、フランス・イタリア映画が流行したりしていました。フランス語を学んだことのない私の両親(1950年代生まれ)が簡単なフランス語の意味をいくつも知っていたりすることからも、当時はフランスの文化が日本人にとって非常に身近だったのがわかります。特にフランス語の発音はローマ字に近くてわかりやすいこともあり、フランスの音楽は「シャンソン」や「フレンチポップス」と呼ばれて親しまれていました。
 
 「夢みるシャンソン人形」は日本でも大ヒットを記録し、この曲のタイトルの通り、ギャルは「フランス人形のような美少女」として一躍人気アイドルになります。その後、この曲には日本語詞がつけられ、ギャル本人歌唱によるレコードが発売されたほか、弘田三枝子や中尾ミエといった当時の人気歌手によってこぞってカバーされました。

 日本語版。ギャルのカタコト日本語がキュートです。

 「シャンソン人形」のあとも次々とギャルのレコードは発売され、1966年には来日コンサートも行われています。この時彼女は2週間日本に滞在し、浴衣を着たり東京の街を歩いたりと、日本を満喫したようです。ただ、同時期に活躍したフランスの女性歌手シルヴィ・バルタンやフランソワーズ・アルディ、ジェーン・バーキンらが何度も来日しているのに対して、ギャルの来日はこの一度きりでした。このことがギャル=60年代アイドルという日本でのイメージに拍車をかけているのかもしれません。


④有名なオマージュ


 「夢みるシャンソン人形」は後世の音楽や創作にも影響を与え、多数の楽曲や小説作品のオマージュ元になっています。

 なぜかアニメソングばかりです。私はウエディングピーチ世代だったので、「夢みるシャンソン人形」を初めて聴いた時「ウエディングピーチの曲じゃん」と思いました…。Bメロはかなり異なりますが、Aメロや全体的な曲調がそっくりです。

 こちらの小説もミステリー好きの方には有名な作品だと思いますが、「夢みるシャンソン人形」がモチーフとして使われています。

殺人鬼フジコの衝動 真梨幸子

 私も数年前に読んだことがあり、非常に面白い作品だと思います。が、かなりグロい描写や胸糞展開がありますので、耐性のない方はお気をつけください。(私ももう一度は読みたくない…)


※「アイドル時代以降のギャル」についてはこちらの記事にまとめてあります。興味のある方は読んでくださるとうれしいです。



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