【#NIKKEI】玉川学園の幼小中高一貫教育は、まるでApple製品のような完成度が期待できる。

 引用した記事の内容としては、玉川学園(幼稚園から大学までを抱える学費が高めの学校法人)において、幼稚園から高校までを一貫教育をする構想ある、また秋入学によりグローバル対応を目指す、という2点である。本記事では前者について取り扱う。


一貫教育の意味

 一貫制でないの学校は、小学校・中学校・高等学校、ごとに、決められた学習範囲を学ぶことになっている。つまり、学習を大きな枠組みで見ると、それぞれの学習内容(範囲)は標準化(共通化)されており、どの小学校で学んでも、どの中学校で学べるし、どの中学校で学んでも、どの高校でも学べることになる。つまり、最適化なるものはされておらず、その調整は生徒本人に委ねられる、というのが現状だ。
 一貫制である学校は、実は、小学校・中学校・高等学校、ごとに、決められた学習範囲を学ぶだけではない。目的から逆算した学習プロセスが構築可能である。一貫制でない学校の場合は、小学校から高等学校まで別々の3校へ入学することになり、厳密には不明点が多い。一方で、一貫校である学校の場合は、同じ学校で学習するのだから、ある程度柔軟に学習内容や学習進度を変えることができる。一般的には、中高一貫校の場合、高校2年制までに高校の範囲を全て終え、高校3年生は受験に集中する、とされている。また、場合によっては、高校生の段階で大学の内容を予習するという人もいる。

iOS(Apple)とAndroid(Google)の関係と似ている

 ここでスマートフォンのOSについて考えてみる。着目したい点は、対応端末と不具合だ。
 米Apple社の提供するスマートフォンOS、iOS、は対応端末は自社製品のみに限定され非常に少なく、一方で不具合は少ない。これは、ハードウェアとソフトウェアの設計を一貫して製造者であるAppleが行うためである。
 米Google社の提供するスマートフォンOS、Android、は対応端末は自社・他社製品を問わず幅広く提供されているが、不具合は多い。これは、ハードウェアとソフトウェアの設計を一貫して製造者であるGoogle社が行うわけではないため、そもそも想定されていない機能が追加されたり、アップデート時に相性が合わなくなったりするためである。
 どうだろうか。一貫教育である学校はiOSと一貫教育でない学校はAndroidと似てはいないだろうか。

まとめ

 一貫的なプロセスの管理は提供価値の管理に通づるものがあると考える。提供物の構成者が限定されるため、不純物が少なく、提供価値の予測と実態に乖離が生じにくいためだ。一方で、多様性は損なわれる。提供物の構成者を限定すれば同時にそれはリソースの限定であるからだ。Appleの認証が必要なライトニングケーブル(Appleの許可が必要)の提供者数と概ねオープン標準のUSB(申請は必要だが、概ね誰でも使える)の提供者数では、圧倒的な差がある。
 教育も同じである。一貫的な教育プロセスを提供する一貫校は、徹底的に管理されることから、目的に合わせた教育が可能であるし、価値観の共有などは非常にやりやすいだろう。しかし、多様性という面では懸念が残る。公立の場合は、様々な学校出身者が特定の学校に集約されるという構造があるため、様々な価値観をもった人と直接関わる機会がある。しかし、一貫校の場合は同じ人と長い間過ごすわけであるから価値観は固定されるのではないだろうか。個人が自由に情報を発信し、個性に焦点を当てる時代背景に照らし合わせると、多様性の担保という意味では少々難しいように思う。

#日経COMEMO #NIKKEI

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