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日本海軍軍人伝

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日本海軍の軍人について
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2023年5月の記事一覧

爵位を得て華族になった日本海軍軍人

爵位を得て華族になった日本海軍軍人

 明治17(1884)年から昭和22(1947)年まで60年にあまり、日本には爵位制度が存在しました。海軍軍人で爵位を得た者を挙げていきます。なお家柄や相続など本人の功績以外の理由での叙爵は除きます。

華族と爵位 明治のはじめ、堂上貴族と大名諸侯をあわせて華族とし、皇室の藩屏と位置付けた。しかし華族に関する法整備は遅れた。明治17(1884)年7月7日に華族令が制定され、この中で公侯伯子男の五等

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海軍大臣伝 (ゼロ)総説

海軍大臣伝 (ゼロ)総説

 日本海軍の海軍大臣についてとりあげていきたいと思います。
 以下は参考記事です。

海軍大臣とは 海軍大臣は明治18(1885)年の内閣官制で設置された。明治憲法では国務大臣のひとりとして天皇を輔弼し所管の行政の責に任じるとされた。その点では内閣のほかの閣僚と差はない。
 しかし軍については憲法に特別の規定があって、第11条「天皇は陸海軍を統帥す」(原文カタカナをひらがなにした。以下同様)、第1

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海軍大臣伝 (1)西郷従道

海軍大臣伝 (1)西郷従道

 初代海軍大臣の西郷従道はその直前まで陸軍卿で、陸軍中将の階級を持っていました。そうした人物が突然海軍大臣に就任できたのはそうした時代だったからとも言えますが、実はそれでも海軍大臣は勤まるという証拠でもあります。
 前回の記事は以下になります。

陸軍時代 西郷従道は薩摩藩の出身で天保14(1843)年5月4日生まれ、有名な西郷隆盛の弟で、兄を大西郷と呼ぶのに対し小西郷とも呼ばれた。通称を慎吾とい

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海軍大臣伝 (2)樺山資紀

海軍大臣伝 (2)樺山資紀

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は樺山資紀です。
 前回の記事は以下になります。

陸軍軍人として 樺山資紀は天保8(1837)年11月20日、薩摩藩士の家に生まれた。幼名は覚之進。同僚の樺山家の養子となる。戊辰戦争に従軍したあと、新政府の陸軍に出仕して明治4(1871)年には陸軍少佐に任官。明治7(1874)年には陸軍中佐に進み、西南戦争では熊本鎮台参謀長の職にあり、司令官の谷干城中将

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海軍大臣伝 (3)仁礼景範

海軍大臣伝 (3)仁礼景範

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は仁礼景範です。
 前回の記事は以下になります。

揺籃期の海軍で 仁礼景範は薩摩藩士の出身で、天保2(1831)年2月24日に生まれた。幕末にはすでに壮年で、倒幕に奔走したが慶応2(1866)年に藩命でアメリカに留学したため戊辰戦争には参戦していない。明治元(1868)年に帰国、新政府に出仕してはじめ兵部省、のち海軍省に勤務した。明治7(1874)年海軍

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海軍大臣伝 (4)山本権兵衛

海軍大臣伝 (4)山本権兵衛

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は山本権兵衛です。
 前回の記事は以下になります。

海軍兵学寮生徒 山本権兵衛は嘉永5(1852)年10月15日に生まれる。父は薩摩藩の祐筆だった。薩英戦争には年齢をいつわって砲弾運びに加わり、戊辰戦争に従軍した。維新後は東京で勝海舟の薫陶をうけ、これからは海軍の時代だという勝の勧めに従って築地の海軍兵学寮(のち海軍兵学校)に入寮する。当時の生徒の中には

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海軍大臣伝 (5)斎藤実

海軍大臣伝 (5)斎藤実

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は斎藤実です。
 前回の記事は以下になります。

海軍士官として 斎藤実は安政5(1858)年10月27日、仙台藩伊達家の一門水沢伊達氏に代々仕える家系に生まれた。水沢伊達氏家臣としては高い家格ではあったが、仙台藩主からみれば陪臣ということになる。維新の後、明治6(1873)年に海軍兵学寮(のち海軍兵学校)に入寮して海軍士官の道を選んだ。当時の日本海軍は薩

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