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◯◯とは、何か。フットボールとは、何か

サッカーコーチとして、最近は高校生と関わる時間が多い。

技術だの戦術だのを落とし込むこともある程度は必要だけれど、それはあくまでも表面的なもので、一番重要ではないと思うんです。
この時点で、多くの指導者の人と自分はかなり齟齬はあるんですけど。初めてチームを見る人には、結構よく誤解される。嘲笑をされることもある。クソッタレ

一般的なサッカーをさせたなら、自分らより強いチームには一生勝てない。だからその分、自分らの良さを全面に出して、なおかつそれを武器に狡猾に戦って、一般フットボールコーチピーポー的な人には「非常識」「ナイーブ」と言われるようなことにもあえて取り組まないと、少しの結果すら出せないんですよ。

もちろん結果を出すことが最優先ではない。でも、高校生は結果も大事。だからそこも追い求める。その反面、僕が最優先しているのはやっぱりサッカーの楽しさや美しさを選手それぞれが知って、表現できて、やっぱりサッカー楽しいな、卒業してもずっとサッカーしていきたいな、やっぱサッカー好きだわ、となってほしい。

そしてサッカーをすることでサッカーを知り、サッカー以外を知り、人を知り、自分自身を知る。
選手達とサッカーを通じて一緒に過ごす時間は、僕はそんな時間にしたいと思って接している。

だから普段彼ら彼女らと話す内容も、当然それに即したものになっていくわけです。

僕は、彼ら彼女らと言葉で繋がりたい。言葉を共有したい。

その中で、その言葉の概念や意味を、選手それぞれ一人一人が自分のものとして持ってほしい。
ぶっちゃけ僕は、彼ら彼女らに練習の場で伝えるのはそれだけでもいいとすら思ってる。具体より抽象っす。そこ大事。

【 例 】

「サッカーは自由なものだ」
ならば、自由ってどういうことだろう

「大人になろう」
ならば、大人とは何か。

「楽しくサッカーをしよう」
楽しさって何だ?

「美しいサッカーをしよう」
美しいって何だろう。君はどういうものが美しいと思う?

「強いチームより、良いチームでいよう」
そもそも、良いって何?

うまさとは、何か。
攻撃とは、守備とは何か。
プレーしながら、守るものは何なのか。

「サッカーではなく、フットボールをしよう」
サッカーとフットボールの違いって何だ?

これらの答えは、一人一人違っていい。むしろ違わないと気持ち悪い。
その違いを、仲間同士の相互理解で補い合う。むしろ、違いを武器にする。
違いの相互理解は速さにも繋がる。チームの戦術にすらなる。

そうしていく中で、
「フットボールとは、何か」
これを、一人一人が自分の言葉で明確に持ってほしい。

そうやって自らのサッカー観を持ち、自分の言葉を持ち、選手が一人で自立していくことで、ようやく
「サッカーよりも大切なものがたくさんある」
ということも自分の心で理解し、知っていくことになるんじゃないかなと思う。

◯◯とは、何か。
そして
自分は、いったい誰なんだ。
もはや哲学の領域ですが、これを選手が思索することもフットボールをしていく上で大事な要素だし、選手をより魅力的なフットボーラー、魅力的な大人にしていくためには、欠かせない要素でもあると思うのです。

そうなるまでが、指導者が寄り添っていくことのゴール。
そのゴールに向かって日々試行錯誤してるけど、日々、自己嫌悪の夜を過ごしているのです(ぴえん)

文中、サッカー と フットボール が混在していますが、これは意図的です。
文脈と行間、大事。

僕は選手達に「フットボールしてます」と言ってほしいんですよね。
(伝われ)

 過去のnoteは こちら から。



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