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イエス様はそう言うけれど

英語で「Understand」(アンダースタンド)って言葉があるじゃないですか。
日本語にすると「理解する」ってやつ。

「理解する」という意味をなぜ英語では「Understand」と言うのか。この言葉の由来については諸説あるらしいけれど、最近、思わず「なるほど!」と膝を打ってしまったこんな説を紹介します。

新約聖書で、イエス・キリストが「弟子の足を洗う話」があるそうです。
その中でイエスが、弟子たちに「あなたたちは、互いに足を洗い合わなければならない」と言ったそうな。

相手の立ち位置、歩んできた道。砂の上、岩場、草の上、、
足がこれだけ汚れるほどに歩いて歩いて、ここまで来たのだろうと。
だから
相手の足下(Under)に立つ(Stand)ことを『理解する』と言うようになった。

なるほど!ってなりますよね。
「Understand」の由来を説明するにはこの説が最もしっくりくるし、それこそ、最も理解ができる。

自分なりに解釈すると

血だらけの足、泥まみれの足、汗まみれ、傷だらけの足。
人の足の汚れは、その人がこれまで歩んできた道の証であり、その人の人生そのものである。
その道に想いを馳せ、この汚れがあるからこそ、今のこの人がいるんだということを理解してあげなさい。そして、寄り添ってあげなさい。

と、イエス様は言いたかったんじゃないでしょか。

やばい。クリスチャンになりそう。今、かなりイエス様に惹かれている。
今度泊まるホテルの部屋の引き出しの中に聖書があったら思わず読んじゃいそうだ。アパホテルに置いてある不気味な本は、死んでも読まないけど。

ともかく
自分とはどうしても相容れない人に、世の中ではたくさん出会う。
人間は人と人の間で生きているんだから、それは仕方ない。

思想や意見が違う人、政治的立ち位置(右と左、保守とリベラル)が違う人、言動が自分とは正反対な人、その他⋯
生きていれば、人はさまざまな「自分とは違う人」に出会い、衝突したり、嫌ったり憎んだり、許せなかったり、恨んだり、羨んだり、避けるようになったり。

個人的にも、自分の周りでも、そういう人はこれまでたくさんいた。今でもたくさんいる。
僕は人間が全然できていないから、そのつど「なんで!?」と苛立ち、意味わかんねぇと軽蔑し、ふざけんなよ!と呆れたり怒ってきたことが多かったかもしれない。できれば関わりたくないと、自然と避けてしまっていた人もいたと思う。

ということはその反面、僕もそう思われていた、もしくは「こいつは人を理解できない哀れなやつだ」と、心の中で笑われていたこともきっとあるんだろう。

自分とは意見が違っても、正反対な真逆な立ち位置の人でも、自分の正義や理性とはかけ離れた人でも。
その人には、そうなるに至ったその人なりの「これまでの道」があり、足の汚れがある。
それは自分とは違う道を歩んできたのだから、自分とは足の汚れ方が違うのも当たり前。
そんな視点に立って、自分とは相容れないような人でも、まずは理解してみよう。今ではそう思える。

自分の知り合いの人でも、本当に温厚で、物腰も柔らかくて、話していても謙虚で、本当にいい人なのだけど、たまにFacebookの投稿を見るとかなりの「右方面」な方で、絵に描いたような嫌韓投稿をしてたりしていて。そういうのを見かけるたびに

あんなに温厚で優しい◯◯さんが、なんでこうなっちゃうんだ?
とずっと疑問だった。この思想だけはどうしても理解できないなぁ、とも思ってた。

でも、このイエス様の教えを聞いて
きっとあの方にもこれまでにいろんな人生の道があって、他人にはわからない足の汚れがあった上だからこそこうなっているのだろうと、今なら思える。

この方とはきっと一生うまくやっていける。人として好きだし、違う道を歩んできたことを想像すれば、自分との違いもおそらく理解できるから。

イエス様、ありがとう。


・・・


と、ここまでは
Facebookにあげたら「いいね!」がたくさんつくような、キラキラで意識高い僕!系の文章でしたが(嘘は書いてない)

そうは言いつつ、僕はやっぱり未熟な人間だ。
自分の中でどうしても理解できない、許せない、認められない人もたくさんいる。それが現実でもある。

人種や性別で差別する奴はどんな理由であれ絶対に許せないし、そんな奴が目の前にいたら確実に喧嘩になる。勝つまで戦う。

いじめをする奴なんて一生刑務所に入ってればいいと本気で思うし、動物を虐待する奴は同じ痛みを10倍返しくらいで味合わせた後、二度と帰れない無人島へ島流しにしたらいい。自分が飼っている犬や猫がそいつに虐待されたら、僕は間違いなくその場でそいつを殺してしまうだろう。

安倍晋三や麻生太郎、菅義偉や河野太郎のように、権力をカサにして国民のことなど何も考えていないような奴らのこと、そしてそんな奴らと自らを同化させてる哀れな「肉屋を支持する豚」な奴らのことは心の底から軽蔑しているし、安倍晋三なんて史上最低の総理大臣だし、早く逮捕されろと本気で思ってる。

権力を間違って使う権力者の「足下に立つ」なんてしなくていいし、理解する必要なんて全然ないんですよ。
倒して失脚させるべき存在だと、本気で思ってる。皆さん選挙は必ず行きましょうね。

このように

まだまだ未熟な自分には、その人が歩んできた道とか想像もしたくない、つまり自分にとって「Understand」なんて無理な人も、世の中にはたくさんいる。
上にあげたような大袈裟なケースでなく、自分の身近にいた人だって、正直今でも許せないような人はいる。

「この人って本当にいい人だよなぁ」
と最初は思っていた人が、だんだん付き合っていくうちに実は「ただ、誰にでも《いい顔》をしているだけ」なのだと気づき、誰にでも迎合して意見を合わせてその場ではいい顔をして、裏では全く違う顔の薄っぺらい人だったと気づいた時の絶望感と失望感は、自分にとって、なかなかの香ばしい出来事だった。

イエス様ならば「それでも、彼の足の汚れを見なさい。そのそばに寄り添いなさい」と言うのかもしれないけれど、ご存知の通り、僕はそこまで器がデカくない未熟な人間だ。正直、その人の足の汚れを見る心の余裕はなかったし、今でも、その人の足下にはおそらく立てない。きっとこれからも。

でも本音では、そんな人のこれまでの道も足の汚れもちゃんと想像して、理解したい。

もちろん、差別野郎や虐待野郎やクソ政治家たちなんて理解したくもないけれど、せめて
「仲たがいしている」程度の人のことは、やっぱり理解したい。

でも、でも。

もう一つの本音として
「もう、そんな時間も余裕もない」と思い始めてる自分もいる。

気づいたらもう、こんな年齢になった。同い年のジダンはレアルの監督になってCL優勝もクラブ世界一も成し遂げたし、同い年のキムタクはキムタクだし、同い年のヒーロー、名波浩は今日、松本山雅の監督に就任した(がんばれ)

そんな中、彼らと同い年の俺はいろいろとヘマを繰り返しながら、乃木坂とTWICEとあいみょんとBLACKPINKにハマり、休みの日には大磯港でサバを狙って釣り糸を垂らし(釣れない)
今さら、こんなnoteを書いている。腹筋やると決めたのに、毎日続かない。

もうこんな歳。人生の折り返し地点はきっと過ぎてる。いつ死ぬかだってわからない。いつ病気になるかわからないし、交通事故に遭うかもしれないし、コロナにかかって入院できずに家で苦しみながらあっという間に死ぬかもしれない。

だから、時間がもったいない。自分の中で無理せず理解できる人とだけ付き合って、でもその人たちのことは全力で幸せにして、そうして無理せず生きていきたいという思いの方が、今では圧倒的に強くなってる。

イエス様の教えを本当の意味で理解し実践できる日は、一生来ないかもしれない。
いや、でもやっぱり⋯と、その狭間で揺れている。
イエス様の言葉に、胸をグルグルにさせられている。一生未熟なままで終わりそう。どうしよう。まぁそれでもいっか。

それでは聴いてください。BLACKPINKで「Love To Hate Me」



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