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先生、試合を観に来てください

うちのクラブに所属する選手(小5)の話。

彼のお母さんから聞いたのだけれど、彼は1年生の頃からいわゆる「学級崩壊」の中心人物という位置付けらしく、今の担任の先生も、すでにそういう目で見てしまっているという。

ある時はそれに対する保護会が開かれ、他の子の保護者から「おたくのお子さんは、どこか障害があるんじゃないですか」とまで言われたとか。

冗談じゃねぇ。ふざけんなよと思う。


教室の前に先生が一人、その前に生徒が数十人ずらっと座るあのスタイルで、決められた机と椅子に40分も50分もずっとじっと座っていられる低学年の子のほうが、僕から言わせればよっぽどおかしい。
どれだけの我慢を強いて、どれだけ感性を閉じ込めているのか。

それとも、学校という場はそういう忍耐を身につける場所なのか。そしてそれに沿わない子は障がい者呼ばわりされるのだとしたら、そんな学校なんて行かないほうがいいとさえ思う。

周囲に同調させるのを是とする学校なんて、クソ喰らえだ。

彼を「学級崩壊の中心人物」とラベリングする大人達は、彼がサッカーをしている時の姿をその目で見てみればいい。
誰よりも走り、誰よりもボールに食らいつき、攻守ともに縦横無尽に走り回ってチームメイトのために戦ってる。
そして勝てば無邪気に喜び、負ければ号泣する。彼は純粋で、自分の感情に素直なだけだ。

上述したように、教師 対 生徒全員、という図式を未だに続ける日本の学校の学級運営そのものに、もう限界があるんですよ。
座りたい場所に座ればいいし、教師と生徒、生徒同士もお互いがもっとディスカッションできるような環境をつくるべき。

それに、面白い授業をすれば子どもは絶対に話を聞く。
それ以前に「僕はあの先生好きや」って言ってもらえるような教師になれば、子どもはちゃんとこっちを見てくれるもんだよ。
そういう努力を、学校の先生たちは一体どれくらいしてるんだろう。

ピッチ上での彼の姿を先生が見たら、どう思うだろうか。
教室で自分の思い通りにしてくれない彼の姿とのあまりのギャップに、何かを感じ取れる感性と理性と良識を、まだ持ち合わせていてくれればいいのだけれど。

本気で一度、先生を試合に呼んでみようかな。

※ この記事は、僕の別コラム Neutral football http://neutralfootball.hatenablog.com にて2018年9月に書いた記事を、少し改訂してnoteに書き移したものです。最近note書けずにいたので、こうしてアリバイのように過去記事をnoteに載せています。。近日中に、ちゃんと新記事を書き始めようと思っています。

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