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今日はダルイなと思うときほどチャンス−狩猟系遺伝子をオンにして、いつもは選ばなかった人生を生きてみる–


アドラー心理学では、いわゆる「遺伝」も否定しなければ「環境」も否定しない。

遺伝や環境の影響は確かにあるよねと考える。例えば、アドラー心理学で「器官劣等性」と呼ばれる考え方は、弱い器官(や臓器)なんかは遺伝することを認めているし、「きょうだい順位」を重視するのも、環境の影響を受けていることの何よりの証拠だ。

ただ、それらが人生の決定因であるとは考えない。

つまり、人間は遺伝や環境の影響を受けながらも、最終的な道すじは自ら決めていると考えるのだ。これをアドラー心理学では「自己決定性」と呼んでいる。

理屈っぽい話はこれくらいにしておこう。

私はアドラー心理学を伝える者の一人として、ここでは「遺伝を否定しないんだよ」ということを言っておきたいだけだ。

そこで、今日の本題である。

「狩猟系遺伝子」と「農耕系遺伝子」についてである。これはアドラー心理学とは全く関係ないし、こんなものが存在するのかどうかも分からない。

先日、実家の書庫をあさっていたら、村上龍と坂本龍一による『EV.Cafe超進化論』という本が出てきた。



1989年に講談社文庫として出版されたこの本は、村上龍と坂本龍一が、6人の論客(吉本隆昭、河合雅雄、浅田彰、柄内行人、蓮實重彦、山口昌男)とそれぞれ熱い対談を交わすというつくりの本だが、これが今読んでもなかなか面白い。全然古びた感じがしないのだ。

特に面白かったのが霊長類学者、河合雅雄との対談で、テーマは「生物」。


河合雅雄によれば、そもそも人間は350万年前に生まれて、そのうち349万年くらいはひたすら「狩猟系民族」だったのであり、「農耕系民族」になったのは、たかだかここ一万年くらいのことだという。

もし遺伝子というのものの影響があるのだとすれば、(約350倍もの)長い時間を費やしてきた、狩猟民族的な要素が私たちに残っていてもおかしくはないだろう、という前提でこの対談は進む。


農耕民族にはコンスタントな勤勉さが求められるのに対して

「狩猟採集民は、ものごく勝手ですわ」と河合雅雄は言う。

我々だと生活のリズムというのがあるでしょう。三食たべていますよね。彼らには生活のリズムというのがないんです。うまいこといってるかと思うとすぐいやになって、もう寝とるわけね(笑)。獲物が獲れたといって、ガバガバーッと食って、またグーと寝るわけ。
EV.Cafe
坂本 サルは、そのリズムというのはないんですか。

河合 ないんです。

坂本 集団で水飲みに行ったりとか、決まった時間というのはないんですか。

河合 熱帯にいるサルなんか、特にリズムないです。好きな時食って、好きなとき寝てっていうのが彼らの生活ですわ。

村上 そうなんですかあ、狩猟民のほうが時間があるんですね。
EV.Cafe

ここで注目してほしいのが、狩猟民には「生活のリズムがない」ということと、「時間が(たっぷり)ある」ということである。ここでいう生活のリズムは、「習慣」と言い換えても問題なかろう。


一万年前に農耕民族になった我々人類は、いわゆる習慣の権化である。

仕事をする習慣、物を食べる習慣、歯を磨き、風呂に入り、毎日決まった時間に起きて寝る。この習慣がないと、我々現代人の生活はほぼ成り立たないと言っても過言ではない。

そして私たちには時間がない。1日がありとあらゆる予定で埋め尽くされ、常に何かしらやってないと不安で仕方がないのだ(という人は決して少なくないはずだ)

我々は習慣の権化だから、とにかく悪い習慣を良い習慣に変えることができれば人生はよりよくなると、多くの人が考えているようである。だからこういう本がやたらに売れたりするのだ。




アメリカのデューク大学の研究によると、人生の45%は習慣的な行動で決まるといわれており、そういう意味では確かに習慣は大事なものだ。


しかし、人生には「今日はダルイなあ」とか、「疲れたなあ」とか、「どうにでもなれ」と思うときがある。

そう、毎日コツコツ続けてきた勉強をサボりたいと思うときや、酒をたらふく呑んで酔っ払ったまま(歯も磨かずに)そのまま寝てしまいたいと思うときや、あるいはそんなつもりはなかったが(思わずムラムラして)異性と一線を踏み越えてしまいと思うときがあるのだ。


人生における課題の全てを、習慣によって、計画的に解決していくべきかどうか否か、これは大きな問題である。人生において何が正しくて何が間違っているのか。その答えは、本人の自己決定の中にしかないからだ。


私は最近、時には狩猟民族的に、(その場のノリで)習慣を逸脱した行動をとったっていいではないかと思っている。


なぜなら、その不確実な(予測可能ではない)行動の中にも、実は何かしらの意味があると考えるからである。

生きるということは選択の連続であり、何かを選べば、同時に(選択されなかった)何かを失っている。


だとしたら、習慣やリズムばかり重視するのではなく、時には狩猟系遺伝子を解放し、その時の気分で行動してみるのもわるくはないだろう。そこにはきっと、農耕系遺伝子オンのままでは決した選ぶことのなかった人生が、存在しているはずだからである。


だから今日、私は毎日続けてきたオンライン英会話をやらずに酒を呑みに行こうと思う。ちなみに、これは言い訳でもなんでもない。ただ、狩猟系遺伝子をオンにした結果にすぎないのだ。











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