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分厚いSF小説を読むことは、限りなく贅沢な時間を過ごすこと

私の周りには「趣味は読書」と言いながらも、ビジネス書自己啓発書以外は読まないというタイプの人たちがいるが、(あえて誤解と偏見を恐れずに言うならば)、私はそういう人たちにどこか貧相なイメージを持たずにいられない。

この本を読めばすぐに役に立つとか、すぐに使える知識が得られるとか、私がそういう即時的で生産的な読書が好きではないからだと思う。

効果があるとかないとか、ためになるとかならないとか、そういうことにこだわること自体が(薬じゃあるまいし)どこか健全でないものを感じてしまうのだ。(繰り返すが、これが私の偏見であることは否定しない)


今、確かに本の価格は安くはない。


でもそれ以上に、本を読むのは時間が取られるということが、われわれにとって一番の問題なのではなかろうか。インターネットやスマホによって「娯楽」が消費できないくらいに増え過ぎて、過処分時間(自由な時間を何に使うか)が注目されている今だからこそ、ただでさえ時間が取られる読書で「何を読むか」が問われているのだろう。


貴重な時間を使って読むのなら、少しでも自分のビジネスに「役立つもの」を読みたい。あるいは少しでも自分の人生にとって「ためになるもの」を読みたい。その気持ちは分からなくはない。読書は未来への投資であるという考え方だ。


しかし、私がその読書にどこか貧しいものを感じてしまうのは、今というこの瞬間を、単なる余暇として楽しめていないからだと思うのだ。


読書の真の醍醐味とは、時間を贅沢に使って純粋に楽しむことなのではなかろうか?例えば679ページもある、分厚い海外のSF小説を読みきるために費やされる時間が、どれほど贅沢であることか、それは押して知るべしだろう。

なぜならSF小説にそれだけの時間を割いたところで、何の役にも立たないからだ。

私にとっての読書の醍醐味とは、役に立たないものに没頭できること。そして、ただ面白い、それだけの理由でムダなことにも湯水のように時間を使える(心の)余裕のことなのである。


というわけで、この年末から年明けにかけて、ロバート・A・ハインラインの679ページもあるSF小説『月は無慈悲な夜の女王』を読んでみた。


2076年、月は流刑地として、また資源豊かな植民地として、地球から一方的に搾取されつづけていた。月には(地球で犯罪などを犯した)多くの囚人とその子孫たちが暮らしており、その社会は一妻多夫制であった

なーんていう、実に魅力的な設定で始まるこの物語は、679ページという膨大なボリュームであるにもかかわらず、読者を飽きさせない。

「普通の月世界人が興味を持っているのは、ビール、賭けごと、女、仕事、その順番なんだ」
月は無慈悲な夜の女王

と、主人公であるコンピュータ技術者(マニー)は言う。そう、月世界人は地球人と何ら変わらない、いたって普通の人間たちなのだ。ただ、月の重力は地球の6分の1しかないので、月世界人は地球人ほど強靭な肉体を持っていない。そして地球人のように、一夫一婦制でもないのだ。

月には女性が男性の半分しかいないので、月世界人の男性はみな、女性を崇拝し、大切にする。つまり月は、女性中心社会なのである。

そんなある日、マニーは自意識を持つ巨大コンピュータ(マイク)と、信頼できる仲間と共に、支配惑星である地球政府に対して、独立を宣言する。

この本は、月が地球から自由を勝ち取るための革命の物語なのである。


少しでも興味を持った方はぜひ本書を手に取って、贅沢に時間を使いながらむさぼり読んでほしいのであるが

ロバート・A・ハインラインという作家は、(改めて)才能のある作家さんなんだなと強く感じた。私は彼の『夏への扉』をSF作品の傑作だと思っているが

この本もそれに劣らず素晴らしかったからだ。

それからもう一つ、私はSF小説を読むことをムダで役に立たないといったが、最先端のテクノロジー(科学技術)はたいてい、SF小説の影響を受けているのまた事実である。

近頃では、誰もが口にするようになったあのメタバース(コンピュータの中に構築された3次元の仮想空間)という言葉も、実はこの(サイバーパンク系)SF小説が元ネタなのを知っていただろうか。



そう考えると、人生に無駄なことなんて何もないのかもしれませんね。




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