アドラーに救われた人

アドラー心理学を学び、人生の価値観を変えることで人生観が変わりました。 その教訓を活か…

アドラーに救われた人

アドラー心理学を学び、人生の価値観を変えることで人生観が変わりました。 その教訓を活かし、日々の気付きを綴っていこうと思います

最近の記事

愛は花であると歌った曲の題名が何故薔薇なのか

ベット・ミドラーの名曲「The Rose」を知っていますか? 多分日本人の多くは高畑勲監督の「おもひでぽろぽろ」で 知った人が多いかなと思います。 僕がそうでした。 若い頃はその美しいメロディラインばかりに注目していましたが、 歳を重ねた今では、洗練された歌詞の意味にも注目するようになりました。 僕はこの歌の歌詞が大好きで、人生の本質を表したような印象があります。 この歌が問いかけている事はとてもシンプルです。 「愛とは何か?」 ある人は、か弱い葦を流してしまう川のよう

    • 年収360万以下は、生活保護以下という現実と社会システムの限界

      今日は珍しく、お金と労働と時間の話を書きます。 皆さんタイムイズマネー理論というものをご存じでしょうか? 人は労働というもので時間の切り売りをしてお金を稼いでいます。 お金が無ければ労働をして時間を金に変えるしかないですが、 働く必要が無いほどお金を持っていれば、 労働をしない事によってお金で可処分時間を得ることができます。 なので金銭の価値と可処分時間は同じ財産として換算するというのが タイムイズマネー理論です。 コスパの良い労働とは、より少ない労働時間でより多くの金銭

      • 能力主義の闇(人生は他人との競争ではない

        皆さん能力主義って好きですか? 努力した人が報われる、結果を出した人が評価される、 一見すごく平等で理想的なように見える価値観ですが、 僕は能力主義を否定します。 それは、個人の能力そのものは自分の努力だけではなく、 遺伝や家庭の経済状況による質の良い教育を受けられるかなど 環境面における影響も大きいからです。 要は運によるウェイトも非常に大きいという事です。 能力主義はその運が良かったという部分を軽視しがちです。 実際、東大に合格している人は家が裕福で質のいい教育を受

        • トラウマという寄生虫の厄介な点が一つある。それは駆除する際に麻酔を使えないことであり、駆除するには想像を絶する困難と苦痛が伴うことだ。だが、駆除を終えた時の開放感はきっとその苦痛を上回るだろう。その事を信じて勇気を出す他無い。

        愛は花であると歌った曲の題名が何故薔薇なのか

          トラウマは寄生虫のようなものだ。存在を認知したら摘出する勇気を持って駆除すれば良い。手術する勇気がないから寄生虫と共存する道を選ぶ。体の中を這いずる不快感を感じながら手術する勇気もなく放置する。すると寄生虫は次第に数を増し苦痛は増すばかり。手術か放置か?選ぶのはあなたの課題である

          トラウマは寄生虫のようなものだ。存在を認知したら摘出する勇気を持って駆除すれば良い。手術する勇気がないから寄生虫と共存する道を選ぶ。体の中を這いずる不快感を感じながら手術する勇気もなく放置する。すると寄生虫は次第に数を増し苦痛は増すばかり。手術か放置か?選ぶのはあなたの課題である

          トラウマは、自分がそれをトラウマだと認識した時点で、意識的な改善点へと変わる。だから、トラウマは存在しない。過去の体験を反面教師にできる人にとっては同じ事象でもトラウマにはならないのだ。辛い過去をトラウマにするかどうかはその人次第であり、その人の課題だ。

          トラウマは、自分がそれをトラウマだと認識した時点で、意識的な改善点へと変わる。だから、トラウマは存在しない。過去の体験を反面教師にできる人にとっては同じ事象でもトラウマにはならないのだ。辛い過去をトラウマにするかどうかはその人次第であり、その人の課題だ。

          過去は存在しない。問題はこれからどうしたいか(アドラー心理学とメメント・モリ)

          アドラー心理学は過去やトラウマを否定します。 それは現在自分が不幸であることをトラウマのせいにすることで 人生に言い訳をし続けるようになってしまうのを止める事と、 過去のトラウマによって出来上がったライフスタイル(傾向性)を 客観的に見て無意識から意識の場所に引きずりだして、 トラウマを無意識に自分の未来を決定づける要素から、 自分の意識で未来を変える一材料へ変換する目的があるからです。 トラウマがこの先の人生を決定づけてしまうなら、 今この瞬間に未来という試合結果は見えてい

          過去は存在しない。問題はこれからどうしたいか(アドラー心理学とメメント・モリ)

          シンセシアでゲーム音楽を弾くススメ

          今日はアドラーとは全く関係ない趣味の話です。 僕は今、趣味でキーボードを弾いています。 若い頃ドラムをやっていてバンドを組んだりしてたのですが、 社会人になってからは環境が変わり、騒音の関係で練習の機会が得られず、 バンドも解散してしまい音楽から身を引いた状態でした。 でも、音楽は今もずっと大好きで、特にゲーム音楽が好きで いつか弾いてみたいと思っていました。 それでも仕事が忙しいとか、うつ病とか色々あって 先延ばしにしてたら、義兄が膵臓がんで亡くなって、 自分はいつ死ん

          シンセシアでゲーム音楽を弾くススメ

          書きたいというよりかは書かざるを得ない

          こんな記事、誰が読むのだろう? 自分の記事などよりも為になる記事は腐るほどある。 書いたって無意味だ。 多分誰しもがこのnoteで考えることなのではないかと思います。 僕自身、この問題に何度もぶつかり、退会しては 戻ってきてを繰り返しています。 もう4度目かな? SNSは時間の無駄とも言われています。 noteも一応SNSの範疇に入るかと思います。 無駄、無意味と思って辞めても結局戻ってきてしまう。 それはもはや、書きたいからと言うよりかは、 溢れ出る言霊を書き出さざるを

          書きたいというよりかは書かざるを得ない

          弱さを肯定し、人生の嘘に逃げ込むことは、自分の人格を自分で汚すことと同じ。そして勇気が持てない自分を、後ろ指さして嘲笑してくるのはもう一人の自分。人は自分の現在が誇らしいものであるかどうかぐらい理解できる生き物だ。自分に胸を張れる行いをする勇気を持とう、それしか幸福への道はない

          弱さを肯定し、人生の嘘に逃げ込むことは、自分の人格を自分で汚すことと同じ。そして勇気が持てない自分を、後ろ指さして嘲笑してくるのはもう一人の自分。人は自分の現在が誇らしいものであるかどうかぐらい理解できる生き物だ。自分に胸を張れる行いをする勇気を持とう、それしか幸福への道はない

          勝手に嫌って勝手に自滅していく人達

          以前書いた会社で僕を嫌う人について進展がありました。 僕の職場には僕を嫌う人がいます。 僕は全く相手にしてませんし、 挨拶感謝謝罪をきちんとして、人としての道を外れないように しているだけです。 ですが、相手は勝手に僕を憎んで勝手に問題行動を起こして とうとう会社で問題になってしまいました。 中には僕を気にかけてくださっている方も居て、 声をかけてくださる方も居ました。 ありがたい話です。 ただ、僕はこの手のパワハラには慣れていて、 感情的にどうこうということはほぼ無か

          勝手に嫌って勝手に自滅していく人達

          死と幸福のイメージ

          僕は長い間、人生と幸福とは何のためにあるのかを考えましたが、 僕の出した答えは「死を肯定的に受け入れるようになるため」という 結論でした。 人生は死を肯定的に受け入れられるようになるための刹那の積み重ねであって、幸福感とは、死を肯定的に受け入れられる状態になりつつあるという 実感であり、それが人生の途中精算のような形で表れてるのだと思います。 そして「今死んだら悔いは無いか?」という問いに対して、イエスと答えられるような状態を「幸福」と呼んでいると思います。 「幸福感」と「

          死と幸福のイメージ

          人生は勇気を試される試練の連続

          今更ながら「君たちはどう生きるか」を読みました。 帯に書いてあるように「人として大事なものは何か?」を 教えてくれる本でした。 主人公のコペル君はある事件の時、勇気を持てなかったことによって 過ちを犯してしまいました。 自分の不甲斐なさ、取り返しのつかないことをしてしまったことに 後悔の念で苦しみ、病気にまでなってしまいます。 友人に不誠実を働いてしまった。 その事実に対して、次の行動はどうするべきか? コペル君は悩みます。 最初は 「気づいた頃にはもう遅かったんだ」

          人生は勇気を試される試練の連続

          人が喜んでいる姿を見れるのは悪くない気分

          僕は一人が好きなタイプで、職場では仕事以外の話はほぼしませんし、 暇な時間があっても世間話を振ることはまずないです。 別に人が嫌いなわけではなく、あまり必要性を感じないというか、 職場には仕事をしに来ているのであって、馴れ合いをしに 来ているわけではないという割り切りがそうさせているのだと思います。 信頼関係なんて仕事をきちんと遂行したり、チームプレイが上手く行けば 勝手に構築されていると思っていますし、上っ面の会話なんて 要るのかな?という価値観です。 和気あいあいと

          人が喜んでいる姿を見れるのは悪くない気分

          プライドとかいう意味のわからない言葉

          プライドが高いって聞くと皆さんどんな人を思い浮かべますか? 多分、偉そうにして他人を見下したり、人の話を聞かない傲岸不遜 みたいなイメージかと思いますし、 大体そんな意味合いで使われてる気がします。 でも本来プライドという言葉は日本語で言う「矜持」が近い意味で、 自分の美学を信じる信念の強さだったり、 人としてより良くあろうという求道的な意味合いのはずです。 なので、「プライドを捨てろ」と言われると 「人としての美学を捨てろ」みたいに思えて 違和感を感じるのは僕だけでしょ

          プライドとかいう意味のわからない言葉

          他人軸の生き方では死を肯定することは不可能

          他人軸で生きるのは楽だが不自由な生き方とアドラーは言った 自分の価値を他人に決めてもらえるから楽だけど、いつ掌返しされるかもしれないという失う恐怖を常に持つことになるし、失った時に自分の価値も一緒に見失い不幸になる 他人によく見られるために自分の行動を決定するので本当の自分を生きられない不自由さもある 自分の人生の舵取りを他人に任せると自分で考えないで済むので楽だが どこへ連れて行かれるかわからない不安もでる 不自由は時が経つとともに不満となって現れる 自分の死という人

          他人軸の生き方では死を肯定することは不可能