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読書感想をサボった本3冊

さらっと書きたい気持ちもありますが、おそらくさらっとはいかないでしょう。ちょっと嫌な予感が当たったような感覚です。


一冊目
『スマートな悪』

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000364519

良い本でした。買いたいと思います。

アイヒマンについて

ナチスのユダヤ人虐殺で知られる人ですが、軍部の指示に従ってただ行動したということしか知らないです。この本を読んで、実際にどういうことを行った人なのかを知りました。

めちゃくちゃ優秀な人なのだと。ユダヤ人を収容所に送るには様々な手続きが必要であり、色々な所に手続きしに行く必要がありました。引っ越しした時に住所契約や住民票の変更、免許の住所更新などと捉えると分かりやすいのかなと。アイヒマンは軍部の指令で、これを効率化させました。1つの場所に手続きに必要な処理を出来る人を集めて、流れ作業のように移住手続きを済ませたそうです。ベルトコンベヤーのように建物に人が入って、出てくる頃には手続きが終わっているという流れ作業です。実際にこの頃は役所の方でユダヤ人に対する対応が横暴だったらしく、手続き中も手荒なことをされたり、移動先が引き入れてくれなかったりして色々問題だったそうですが、アイヒマンによって効率的に進んだそうです。

自分がこういうことを行ったと考えたら、自分すごいな~と思いますが、「なんのために?本当にあっているのか?」と考えることが大切かなと。とは言っても、自分がやらなかったら殺されるとなるとやってしまうのも人間かもしません。今となってはこの出来事は間違っていると判断しますが、当時には自分が間違ったことをやっていると思えるか?と言えば違うのでしょう。

ガジェットという考え方

ガジェットは電子部品の補助という意味合いが強いが、元々は名前を忘れられた物だった。名前を忘れられるとはどういうことかと言うと、何かいい部品を探している時にたまたま見つけたよく分からないもの(名前を忘れられたもの)がピッタリ合うような存在である。具体例を挙げるなら、掃除用具として使われる歯ブラシのようなものだ。狭いところの汚れを擦って掃除したいけれども、本来の用途のものではデカすぎて入っていかない。そんな時に何かないか?と探して歯ブラシが見つかる。そんな用途で使われる歯ブラシ。ここでは別に名前を忘れられて使われるわけではないが、本来の用途を外れて使われるものをガジェットと言うと解釈した。

超スマート社会はシステムによってなんでも管理される社会で、自立共生社会は自分の必要性に応じてテクノロジーを自分好みに改造できる社会。
歯ブラシを例にすると、「歯を磨くもの」という特定のシステムに位置づけられるものだが、「これで掃除もできる」と自分なりに用途を見つけて使っていく社会と言い換えられる。
あるあるな例として、親や祖父母などの上の世代が「それってそうやって使うの!?」って驚くような(本来の使い方から外れた)使い方もガジェットに当たるのではないか。
個人的にだが、パズドラでも同じことを感じたことがある。パズドラはドロップを消して攻撃して敵モンスターを倒すというのが基本的な攻略コンセプトのはずだが、スキルだけでダンジョンをクリアするという攻略方法が表れた時も本来のスキルの使い方とは外れたものではないかと感じた。スキルはあくまでもダンジョンをクリアするための補助的な役割りだったのが、主になってしまった。これも本来の使われ方として異なるのではないかと。他にもゲームとしてはよくある話だと思うが、こういったものが発見されると、すぐシステムによる規制が入り、イレギュラーを無くしていくのが超システム社会なのではないかと。

この考え方が好きで今後大切にしていきたいです。

この本の中身を部分的には理解した所もありますが、全体的な目線でみると、フワフワしている部分が多いです。読み直したいと思います!

二冊目
『共感と商い』

茶筒を代々作ってきている開化堂の信念、企業文化を語っている本です。

近年の効率化・DXってそんなに大切なもの?と考えさせられました。時代に追い付くことや目先の利益を優先して、自分たちが本当に大切にしてきたことが損なわれていく企業がとても多いそうです。これも著者自身が海外で事業展開することで知ったそうです。

物柄という人柄のものバージョンと呼べるものがあることを知りました。最近の日本の製品にはそれが失われて、見た目(金額、パッケージ)、性能に価値観が置かれている。昔のソニーには物柄があるが、今で言う所のアップルがその例だと言う。昔のソニーに関しては分からないが、アップルはデザインを売っているということを聞いたことがあるのでこのことに繋がっているのだと思った。

ビジネス視点でも職人とアーティスト、企業では始点が違うことを知りました。職人は頼まれ仕事、アーティストは自分発祥、企業は年次の売上目標から。

三冊目
『人類を熱狂させた鳥たち』

鳥と人間の関わりの歴史について知ることができました。

雑学的な話を箇条書きで書くと、

・スペイン南部のエル・タホ洞には鳥の壁画が多く残されている。
・ミサゴという鳥は卵を2~3個産むのに150回も交尾していたのは正直驚いた。それに交尾直後の精子優先という現象がある。以前に交尾していたオスの子どもよりも後に交尾した子どもの方が先に産まれるという現象だ。
・キツツキの舌はめちゃめちゃ長い

です。交尾の話は素直に驚きましたし、キツツキって木をつついているイメージしか無かったので素直にへーって感じです(笑)

海鳥の役割

海鳥を食べる文化もあったそうです。食べる鳥と言えば鶏、鴨くらいが日常かなと思います。大多数は鶏ですが。

他の肉もそうですが、肉の種類って牛肉、豚肉…と大きな括り上の名前しか知らないなと。よく知らない上で書きますが、牛は地名+牛、豚は養豚農家の名前+ポークというイメージが多く、個体名的な言い方はしない印象があります。1つの品種しかなく、育て方で違いが出るのかな?って勝手に思ってます。

海鳥の役割に関して本書では以下の記述がありました。

「海鳥は撃つためでなければ、人間にとって何の役に立つのか、何の飾りなのか」

p310

この時はまだ1800~1900年代であり、島民の食糧や人間の強さの象徴として鳥が殺されていた。今となっては鳥は殺されなければ意味のない存在とは程遠いと思ってます。素人ながら海鳥の役割について思うことは、トレーサー的な存在です。胃の内容物に含まれるプラスチックゴミや餌からどこに生息しているのかを調べることです。他にも気候変動での生息域の変化を調べる指標になるのかなと。でもこういう話は近年の話であって、何十年前には提起できない話かなとも思いました。

現代に至る海鳥の保護に関しては鳥を保護するという目的よりも、人間に役立つ存在として保護されたようです。陸地が近いことを示したり、害虫を食べてくれたり、はたまた、漁をする際には餌の位置を教えてくれたりといった目的です。

鳥愛好家の呼び名

鳥好きと聞けば、「バードウォッチングでもするんですか?」と第一声に出てきそうだが、バードウォッチは鳥好きの1つの呼び名でしかないようです。

他にもトゥイッチャー(希少種を追い求める人)、デュード(知識を身の丈異常にひけらかす人)、ロビン・ストーカー(リビングの窓越しに観察する人)などが紹介されていた。

最後に

結構、雑に書きました。『人類を熱狂させた鳥たち』はもう一度読み直したいけど、厚さから遠慮したいな…とも感じてます。アリストテレスの話や古代エジプトでの鳥との関係性がよく分からなかったのと、西洋諸国が新大陸を発見し、資料を持ち帰るため(標本作り)に数多くの鳥を殺していたことを今省みると、鳥類保護の観点からみると殺戮に当たるのでは?といった議論をもう少し理解したいなという気持ちもあります(この話はサピエンス全史でもオーストラリアで殺戮を繰り返して生物の多様性を減らした。みたなことにも関わっていることなのかな?って思ったりもした)。


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