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「値上げしない」は美談ではないが、美学ではあるのかもしれない

今朝、なんとなくつけていたテレビで「築地で50年以上やってきた老舗ラーメン店、食材や燃料費の高騰や値上げ交渉に直面するも、毎日来てくれるお客さんのために値上げはせず!」みたいなVTRが美談テイストに仕上げられて語られていました。

この番組を見た率直な感想は「この手の話をするには(主たる視聴者層への影響的に)最悪の曜日、時間帯、番組内容やな」と、「いつまでテレビ局はこの感じで番組作りするんやろ」という呆れのハーフアンドハーフですかね。

こういうのをテレビで見た方は、往々にして「テレビでやってたあの店は価格据え置きしていたのに、ここは値上げするのか!けしからん!」みたいになったりするので。。。

ただ一方で、昔からのスタイルを変えずにおばあちゃん店主が一人で、翌朝6時の開店に向けて夜中11時から仕込みを始めているという話や、毎日来てくれるお客さんへの想いなどを聞いていると、これはもう頑として曲げることは出来ないこの人の「美学」なんだろうな……というのも感じました。

「美談」というのは本人が語るにしろ、第三者が語るにしろ、最終的にそれが「美」であるかどうかを判断するのは"本人以外の人"です。客観的に明文化されたときの、ストーリーとしての美しさへの評価なので。

ただ「美学」に関しては逆で、他人が「美」というレッテルを貼ろうが貼るまいが、本人の中でこだわりが極まって「これをやり続ける以外ありえない」という状態になっていたとしたら、それがもう既に「美学」なのだと思います。

ここは分けて考えるべきだなと今朝テレビを見ながら思いましたし、自分の中に「美学」と呼べるものを持つことは、こういった時代を生きていく上で大事なことなのかなとも考えたりします。

あとは、他人のしていることをみて「美談か否か」に関する意見を表明することはあっても、その人が大事にしている「美学」を否定したり、取り上げて奪ったりすることがあってもいけませんね。

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