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私のバーストラウマやインナーチャイルドのこと。母よ、幸せであれ

腹の子の性別について考えるときに、私のなかの心の傷のようなものについて思い出します。

いつそのことを聞いたのかはもはや覚えていないのですが、母が私を妊娠し出産したときの話で、産まれてきて私の性別が女だと分かったときに父が、「また女か」と言ったと聞きました。オーノー。。。
父にしてみれば何気ない一言だったのだろう、言っちゃったんだろうなぁ〜と思いますが、母からしたら頑張って子を産んだあとにその一言は結構傷ついたのではないかな?と思いますし、もし赤ちゃんの私もそれを聞いていたとしたら、やっぱり悲しかったろうと思います。聞いていなくても言葉は分からなくても、エネルギーで感じて悲しんでいたはずです。(母に後から言葉で聞かなくても、そういうことがあったことは既に感じて知っていたはず)

ちなみに、忙しかった父は、出産時も立ち会えず出産して日が明けてしばらくしてから病院に来たそうです。孤独な出産だったそう。(今の時代と社会的に違いますから、父親がそんな感じのことは今より多かったろうとも思いますが)

驚いたのは、私を妊娠中だったころの母は、経済的な理由から妊娠5ヶ月まで意図的に病院に行かなかったそう。今の自分からしたら信じられない選択です。私が2人目だったということもあるのでしょうが。
そして、私が産まれるギリギリ直前まで、そのころは自宅でエレクトーンの教師をしていたのですが働いていたそうです。産んだあともすぐ復帰したそう。
自営業の父の経営不安定から常にお金のことは心配だったそうですから、それもまた結構キツい精神状態だったのではないかなーと思います。お金の心配ってストレスになりますよね...そして予想するに、身重の母を気遣うような優しさがその当時の父にあったとは、残念ながら思えません。m(__)m だから余計...きちゃうよね。


バーストラウマというのがあるというのを知ったのはここ数年前のことだと思うのですが、特に産まれるときの状況、例えば吸引されたとか帝王切開だとかでなんらかのトラブル的状況になり酸欠状態になるなど、赤ちゃんにとってそのことが辛い印象に残った場合にトラウマになってしまうようなことをいうようですが、それだけでなく、胎児期の母親の精神状況も赤ちゃんに影響してトラウマを作ってしまうこともあるようです。

それを知ってから、母に私の妊娠出産期の話を聞くと、どうも私にもそのバーストラウマがありそうだと感じました。
(バーストラウマについて、分かりやすいなと思ったサイトがありました。
https://www.ichigojyutsu.com/parent-child-relationship/birthtrauma/ )

そして、私が4歳くらいのときの大きなショックな事件があります。
父の誕生日だったか、父の日だったかどちらだったか忘れましたが、私は父になにかプレゼントをしたいと思い「いつもありがとう」というようなことを書いた手作りの賞状を作りました。そして、それを夕飯のときかなにかに渡したのです。
すると、、、父は鼻で笑い、、、(驚)
「こんなんいらんたい(こんなものいらないよ)」
と突き放したのです。(ヒーーー絶句!)

いやー今文章にしてても驚きますが、いやひどすぎてちょっと笑えるくらいですが、当時の幼い私はびっくりしたのと悲しすぎたのでその場をすぐさま去り、子ども部屋に引きこもり延々と泣いたことを覚えています。
か、か、かわいそう...(;o;)
あぁ....何回思い出してもやっぱりかわいそう。。。

この出来事は、私のインナーチャイルドの中でもどでかい傷と認識しています。これまでこのことを思い出す度に、悲しくなって涙が出てきました。でも、この傷を認めて、この時の私を抱きしるイメージをしたりすることで、だいぶ大丈夫になりました。そして、今の父は、自分のことを子として大切に思っているということを今はしっかりと理解できていると思います。ちなみに、大人になるまでほぼノンコミュニケーションだった父とは今ではちょくちょくラインしたり連絡を取る程の仲に変わっています。

ですが、当時、たぶんそのとき、私の父に対する扉は一旦パシャリと閉まってしまったと思います。
と、同時に、「お父さんは私のこと好きじゃないんだな」ということを言葉でなく感覚で身体に刻み込んだのではないかと思うのです。そして、私の性別が女だったことも、潜在意識の中で重なってきます。お父さんなんか嫌い、は、実は深く掘ると自分の半分も嫌いということにもなります。

そして、そこからその後続く両親の不仲、母が父に対して常に文句を抱え満たされていない状況(母が父を嫌い、は、母は私の半分も嫌い、ということなんじゃないかということにもなります)、父のいるようでいない不在感、そういうことがない混ぜになり、私の中に潜む「無価値感」は形成されていったんではないかな、と今は至極冷静に分析しています。

ですが、一方で、母の包容力と子どもを思う気持ちと行動力があったからこそ、私はグレなかったんだと思います。そして奥底に自己否定はあるものの、それでも自由に表現することを怖がらず音楽の道に進めたのはやはり母の手腕が大きいと言わざるを得ません。まぁ父の無関心もある意味良かった。無関心ではあったけど、習い事や学校などにかかる費用についてはなにも言わず出してくれていたことは大きかった、と今では感謝しています。

それにしても、子どもにとって、母親が幸せそうかどうかというのはとても大きく影響するなというのが体感的結論です。
数年前に夫ヨシとの会話の中で、「私はお父さんにお母さんのことをもっと大切にしてほしかった」と話したとき、思わずジョボジョボと泣いてしまいました。

幸せそうなお母さんを見てきたひとは、自己肯定感がとても高いのかなと想像するのだけど、もしそちらのタイプの方の話も聞ける機会があればぜひ聞いてみたいです。

今の私は、だいぶいろんなことを乗り越えたこともあり、精神的にはとても安定した状態であると思うのですが、腹の子にはそれが良いエネルギーとして伝わっているといいなぁと思います。
どうなんだろうなぁ。

それにしても、もし、この子が無事生まれて、ある日私に ありがとう なんて書いてある手紙や賞状をくれたりしたら、私は泣いて喜ぶと思うんだけどなぁ!!!!
(やっぱりずっと根に持っている 笑)


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【アディナーダ カバー曲動画】

いのちの歌
https://youtu.be/NnpnO45QMio

Woman 映画「Wの悲劇より」
https://youtu.be/U2N-AbxEuxI




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