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支援者・保護者必見‼︎ 発達障害当事者が思う「子ども時代にしてもらってよかったこと」

世の中には、発達障害が足かせとなって苦しんでいる人もいれば、発達障害などもろともせず、むしろそれを武器にしてたくましく生きている人もいます。

なにが両者をわけるのでしょうか?

僕は、発達障害を抱えながらも、なんとか仕事と家庭を両立して、それなりに楽しく暮らしています。

発達障害を武器にたくましく生きている自覚はありませんが、発達特性を、それなりにうまく使いこなせるようになった感はあります。

今回は、僕が曲がりなりにも社会に適応して生きられている理由を深掘りしてみようと思います。

子ども時代に、親や大人たちにしてもらってよかったことを10個あげて、それぞれについて書いてみたいと思います。
長いので、目次からピックアップしてご興味があるものをお読みください。

発達障害の支援者の方、保護者の方にとって何かの参考になれば幸いです。




1.読書が好きになる環境をつくってくれた

父も母も読書が好きな人たちでした。
両親の共有の本棚には、子どもにはとても理解できないような専門書、おどろおどろしい奇書などいろんな本がならんでいました。
幼稚園の頃から、写真がたくさんのっている父の本をひっぱりだしては、大人の世界にこっそりしのびこんでいるようなワクワク感を楽しんでいました。
小さい頃のそうした記憶が強く残っていたためか、小学校に入ってからは『エルマーの冒険』をはじめ、いろんな本を図書館で借りてきては読むようになりました。

ASDには好奇心が強い人もいるそうですが、読書は僕の「知りたい」という強い衝動を健全な形で満たしてくれるものでした。
中学時代は、星新一のショートショートにどっぷりハマり、自作でSF短編小説を書いて弟に読み聞かせるようなこともしていました。
高校時代は、司馬遼太郎に傾倒して、歴史の世界にのめり込みました。
読書がきっかけであちこちの史跡や観光地を巡るようになり、自分の世界が爆発的に広がっていきました。

大人になってからも僕は読書にずいぶんと助けられました。
ASD故に、恋愛や人間関係でつまずきまくっていた僕は、答えを求めて本を読み漁りました。
本を読んで実践し、失敗を振り返り、また本を読んで実践する。
これのくりかえしが、僕の「生きる力」を育んでくれたのです。

万有引力で有名なニュートンは、読書などを通じて先人の積み重ねた努力の恩恵にあずかることを「巨人の肩の上に立つ」と表現しました。
発達障害のハンデを克服して、じぶんの力で道を切り開いていく上で「読書」は必ずや強力な武器になると思います。


2.小さい頃から冒険をさせてくれた

自分が子育てをしていると、いかにうちの親がリスクをとって僕に冒険をさせてくれたかがわかります。
(というより危険認識が甘すぎだったという説もあります…)
「あのエリアには近づくな」など簡単なレクチャーはありましたが、小学校時代は、なんの制約を受けることもなく、子どもだけであちこち出かけていました。
下水管を通って地元の街の地下を探検したこともありますし、自転車で知らない町にふらふら出かけるなんてしょっちゅうでしたし、放課後には友だちと山野をかけめぐっていました。

そして、忘れもしない、家族でドイツに住んでいた小学校5年生の夏、僕の母親は、南仏のプロヴァンス地方の林間学校に僕をたった一人で送り出したのです。
小学生に一人で海外旅行をさせるなんて、僕の感覚からいえば、限りなくクレイジーです。
というのも、当時から日本に比べてヨーロッパの治安は劣悪で、スリや移民による暴力事件が頻発していたのです。

そして言葉の壁です。
インターナショナルスクールに通っていたので、多少の英語はできましたが、フランス語に至ってはまったく話せませんでした。
飛行機で隣り合わせたイギリス紳士に助けてもらったりしながら、僕は一人で南仏旅行を敢行して、1週間の滞在を終えて無事に家族がまつドイツに帰り着いたのでした。

空港で迎えてくれた家族に興奮気味に旅行体験を語っているうちに、僕の心に「やればできるんだ」という自信がふつふつとわいてきたことを昨日のことのように思い出します。

「かわいい子には旅をさせろ」ということわざがありますが、小さな頃から不注意と多動が目立っていた僕を一人で異国の地に送り出すことは勇気が必要だったと思います。
ですが、その旅で得た自信は、今も僕を支える屋台骨であり続けています。


3.人とちがっていることに誇りをもたせてくれた

思春期を迎えた頃、僕は他人と自分の違いに少しずつ気づきはじめ、思い悩むことが増えました。
自分の言動や思考が、周りと比べて異質だと思うようになって、ふさぎ込むことが多くなったのです。

そんなとき、中学校の先生との交換日記に、先生が書いてくれた言葉があります。
先生曰く、ユダヤの格言だそうです。

「人とちがっていることを誇りに思いなさい」

今思い出しても胸が熱くなるこの言葉に、当時の僕がどれほど勇気づけられたかは言葉ではいいあらわせられません。

僕が今も人と意見を異にすることを恐れず、自分の考えを大切にできるのは、あのとき先生に教えてもらったこの言葉があるからといっても過言ではありません。
きっと発達障害を抱えていると、人と違うことに敏感になって、たくさんの不安を抱えてしまうと思います。
そんなときは、どうか、人とちがっていることこそ尊いことなんだと教えてあげてください。


4.努力を認めてくれた

発達障害による過集中ゆえに、僕は小さな頃から「これ」と決めたことに関しては寝食を忘れて打ち込みました。
幼稚園の頃、毎朝誰よりも早く起きて自転車の練習をしていたことも、スキー合宿で一人雪原に残ってひたすら滑走練習をしていたことも、大人はみんなたいそうほめてくれました。
当人は努力をしているつもりはなかったのですが、「たくさん練習をする=いいこと」というマインドセットがつくられました。

もっと大人になってから、努力には「正しい努力」と「まちがった努力」があることを知り、ただやみくもに練習すればいいというものではないことを学びました。
ですが、「努力をしないと上達はしない」という大前提をしっかりわからせてくれたことはありがたかったと思っています。


5.お金の大切さを教えてくれた

うちの親は、少額のお金を子どもたちに管理させることで、お金の教育をするというスタイルをとっていました。
貯めるのも自由、その場ですぐ使うのも自由といった感じでした。

小さな頃から衝動性があった僕は、もらったお金を当時流行っていた『カードダス』や『ガン消し』に全部つっこんでしまうこともありました。
堅実な兄はもらったお金を貯めて、より高額なミニ四駆をゲットしたりしていました。
後悔して親に泣きついても「それは君が使ってしまったからや」と一切とりあってくれませんでした。

また、当時もらったお年玉は全て親の管理下に入っていましたが、何年かに一度子どもたちに高額なものを買い与えては「これはお母さんがお年玉をうまく増やしたから買えたんやで」といいきかせていました。

そんな、お金に関する実地教育は、今もしっかりと僕の中に生きています。

お金は便利だけど、衝動的に使ってしまうのはダメで、しっかり運用していかないといけない。
そう学ばせてくれたおかげで、今も決して多いとはいえない収入で、なんとかやりくりをしてそれなりの暮らしができています。


6.働くことのよろこびを教えてくれた

まだ祖父母が健在で農家をしていた頃、田舎に泊まりにいくと、必ず早朝4時から開かれる朝市に連れていってもらっていました。
祖父母が育てた野菜を袋詰めしてお客さんに渡すお手伝いを小学校2年生頃からさせてもらっていました。
勿論、収穫も手伝わせてもらったりしました。
育てた野菜を市場まで運んでお客さんに届ける一連の流れを経験できたことは、かけがえのない財産になりました。

「小さいのに頑張っとるね」「どうもありがとうね」

市場のお客さんにそんな声をかけてもらえたことで、働くことの意味を幼いながら考えられたことは、僕の中に絶えることのない労働意欲を育んでくれました。
18歳ではじめてアルバイトを経験してから、40歳の現在まで、うつでまったく働けなくなった期間も含めて、「働くのがいやだ」と思ったことはありませんでした。

そして、その労働意欲は、いうまでもなく、今の自分が働きつづける原動力になっています。


7.動物や植物を愛する心を育んでくれた

発達障害を抱えていると、周囲の人間と関わることにひどく疲れてしまうことがあります。
そんなとき、森にでかけて、いろんな生物や植物と心の交流を図るとものすごく落ちつくんです。

動物や植物もこちらが働きかけると、当然ながらある種の反応を示します。
それらは人間と違って、自然法則にわかりやすく支配されています。
人間の言葉でいうと、彼らは「素直」なんです。
僕はむかし飼っていた猫も、今育てている植物も、大切な家族だと思っています。
そうやって動植物と心を通わせられることは、発達障害者として生きる僕の「孤独感」をかなり和らげてくれます。

僕が生き物を愛でる心をもつようになったのも、生き物をいじめると烈火の如く叱られ、いきだおれた動物を手厚く葬るとめちゃくちゃほめてくれた記憶があるからだと思います。

発達障害者は、自他境界があいまいな人も多いので、動植物との親和性が高いと思います。
生きていく上で感じる疲労を少しでも軽減させるためにも、生き物を愛する心を育むことは有効だと考えます。


8.助けを求めたらいつでも助けてくれた

僕が子どもの頃は、まだ自治会のイベントが活発に行われていて、近所の大人とはみんな顔見知りでした。
下校したら親がいなくて家に入れず困っていたときも、親に家を追い出されて泣いて近所を歩き回っていたときも、いつも周りの大人が声をかけてくれました。
子どもゆえの厚かましさでいろんなことをお願いしても、みなさん嫌な顔をせず助けてくれました。

「大人=助けてくれる存在」

と思えたことで、子ども心に、どれほど安心感をおぼえたかはかり知れません。

小さな頃の大人の関わりというのは、その子どもの対人関係の基礎をつくります。
発達障害を抱えていると、うまく人に頼れません。
僕も、人の手を借りるのはどちらかというと苦手なのですが、どうしようもなくなったときに迷わずに人に助けを求められるのは、助けを求めたらいつでも応えてくれた当時の大人たちのおかげであるといえます。


9.失敗に対して過度な叱責をしないでくれた

好奇心と行動力だけは、むかしも今も人には負けないと自負しているのですが、その背景には「失敗は悪いことではない」というマインドがあるからです。
母親の口癖は「失敗は成功のもと」で、むしろ挑戦することに重きを置いてくれていました。

僕は今でも、失敗を恐れて行動をしないスタンスを忌み嫌っていて、「とにかくやってみよう」を大切にしています。
勿論、最低限の計画性は必要だと思いますが、なにごともやってみないとわからないことばかり。
とくに発達障害を抱えてると、「頭で考えて理解する」ということに苦手意識をもちがちです。
行動を起こす→そこから学ぶ、というサイクルを回していくことは必要不可欠です。
なので、当事者が失敗をしても叱責はNGです。
叱責すると「怒られた」という負の感情だけがインプットされて、大切な挑戦心がくじかれてしまいます。

ぜひ、失敗を奨励できるような環境づくりをしていきましょう。


10.勉強しつづけることの大事さを教えてくれた

発達障害を抱えているとただでさえ生きづらいのに、今の時代は変化のサイクルがはやく、昨日覚えたことも明日には役に立たなくなっていることがあり、発達障害者にとっては社会にアジャスト(適応)していくことはいっそう大変です。
それゆえ、仕事に関することはもちろん、社会の仕組みについても、生涯勉強をつづけていくことが不可欠になってきます。

しかし、勉強というものは多くの人にとって、退屈で、場合によっては苦痛を伴うものです。
人間というのは本来衝動的な生き物ですので、長期的な利益よりも目先の欲求に飛びついてしまいやすいのです。
ある程度の意志力と忍耐力がないと勉強を習慣化することはできません。
ですが、ひとたびそれが習慣になってしまうと、難なく勉強をつづけることができます。

僕の父親は暇さえあれば書斎にこもって勉強をする人でした。
子ども心に外国を飛び回って仕事をしていた父親の姿はかっこいいなと思っていました。
身近に勉強することのメリットを体現してくれる存在がいたことは、親に「勉強しろ」とどなられることの何倍もの力で僕を勉強に向かわせてくれました。

発達障害か否かに関わらず、子どもは「楽しい」ことに敏感です。
親やまわりの大人が楽しんで勉強をしていれば、子どもはその背中をみて育ちます。
勉強をして自分の特性を活かす道がみえたら、発達障害を抱えていても、明るい未来がまっているはずです。



いかがでしたか?

大人になってから、自分の思考パターンや行動パターンを変えるのは至難の業です。
とくに、発達障害を抱えていると、子ども時代にインプットされたものを、状況にあわせて柔軟に変化させていくことが難しくなります。

つまり、子ども時代の関わりというのは、当事者の将来を左右する重大な要素となります。

僕の個人的な体験談が多くなってしまい、客観性には欠けてしまいますが、なにかの参考になれば幸いです。

イルハン

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