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多様性から面倒臭さや煩わしさは切り離せない。でも、向き合うほどに許容できるようにもなる。

多様性をテーマに活動していると、よくこんな声が聞こえてきます。

「多様性って面倒臭い」「ああ煩わしい」
「別に違いを受け入れなくてもいいじゃん」

確かにそうですね。多様性というのは時として、とても面倒臭く・煩わしく感じるものだし、たまに距離を置きたくなってしまうものですよね。でも私は、その面倒臭さや煩わしさを多様性から切り離すのは難しいと思っているんですよね。

だって、そもそもひとりひとりの存在は違うものですよね?どんなにうまくいっている関係性があったとしても、そこには常に多様性が存在しています。全く同じ人間は存在しないので、そういう意味では常に面倒臭さが存在しているってことでもありますよね。良い関係性の中でも、時折喧嘩することもあるだろうし、敢えては言わないけど違和感や嫌悪感を感じているところもきっとあるはずです。実は慣れてしまっているけど、それも日々の面倒臭さに向き合って、いろいろなバランスを取って許容しているってことなんだと思います。

それをですね、面倒臭い・煩わしいからもういい!ってハナから突っぱねてしまうのは、自分は自分、あなたはあなたっていう壁をつくって、言わば、「分断する」と同じことですよね。分断するって「あきらめる」と同じことだと思うので、そうするともう他者との関係性を途切れさせる選択をしたということになります。

人はひとりではなかなか生きていけないと思います。面倒臭さや煩わしさがあっても、それでも許容して調和してバランスを取っていくことが必要だと思います。もしあなたがあきらめて自分と違うことや異なることに線を引き始めているなら、きっと段々と線の中に閉じこもって、窮屈になっていくでしょう。他にもまだ仲間がいるから平気だよと思っていても、一度線を引くと癖になって、面倒臭さや煩わしさを感じたら、きっとどんどん線を引いて、気づけば孤独になってしまうかもしれません。

だからこそ、多様性や人生には「面倒臭さ」や「煩わしさ」は織り込み済みで、あの手この手でなんとか向き合っていかなくてはいけないものと捉えてみるのも良いかと思います。切り離せないってことです。でも、向き合えば向き合うほど、許容範囲が広がって、いろいろな人と一緒に生きるバランスを手に入れることができると思います。

これからの世の中は、さらに多様さが増していきます。であれば、自分も多様性の一部分なのですから、それ自体をどんどん楽しめる方向にしていくのもいいことだと思います。面倒臭い・煩わしいものだけど、それを楽しみに変えるくらいの力を身につけていく必要がありますね。


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