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株式会社Adaptique|アダプティークを創業しました。

いわゆる創業エントリってやつですかね。(意味わかってへん)
はじめましての人もそうじゃない人もどうも、株式会社Adaptiqueの的場と申します。

2024年7月に東京の品川区(山手線の目黒駅3分ぐらい)に会社を設立しまして、早くも2ヶ月が経ちました。
登記とか経理とか創業融資関連が諸々落ち着きましたので、ちゃんと事業のことを考えていく一貫でnoteをはじめました。

今回は記念すべき第一回目ということで、自己紹介的なものを書き連ねていこうと思います。知的な人間ではないため、小学生の作文みたいな文面で失礼いたします。自分の言葉じゃないと想いが乗らないので!

私は大阪府池田市というチキンラーメン発祥の地の北摂エリア出身です。この話をしても誰も食いついてくれたことはありません。チキンラーメンは食いついてるくせに。

1社目:証券会社の営業マン

大学卒業後、三菱UFJモルガン・スタンレー証券というTHE証券会社に入社しました。全国転勤覚悟だったのですが、なぜか地元大阪配属になりました。
そこでは主に新規開拓のテレアポや飛び込みでお客さんを増やしていくというお仕事で社会人生活をスタートさせます。いわゆる泥臭い営業だったのでキツイこともありましたが、振り返るといい思い出もたくさんあります。
毎日数字との戦いの中で、数字意識と古き良き文化の叱咤激励により、メンタルを鍛えることができました。

2社目:Web広告代理店の営業マン

その後、IT系行かないと今後厳しそうやな~と思い、会社を先に辞めたあとに、東京に上京して転職活動を2週間程度行い、GMONIKKO株式会社というGMOインターネットグループのWeb広告代理店に拾ってもらえました。
ここで、社会人スキルのベースや多少の自信的なものを培えたと思います。
基本的にはGoogleやYahoo!、Facebook(Instagram)、Twitter、LINE、DSP、アドネットワークなどのWeb広告媒体を駆使して、お客さんの売上UPにつながる支援をしておりました。
1社大好きなお客さんがいて、その担当の方と楽しみながら必死でやってたら、ありがたいことに中途入社部門、セールス部門でもアワードをいただいたことは思い出です。書きながら思い出したけど、当時の部長にコンペの提案資料の最後にウケ狙い入れて。ってオーダーがあって、パワポのアニメーション使いまくって、意味わからん空気にしたことがあります。でも先方も優しすぎて、かすかに笑ってくれた記憶があります。そのコンペは負けました。(最近こういうのしてなかったから今度やりたい)

当時から起業を目論んでいたこともあり、社長自ら毎週朝からmtgで社内ベンチャーについてのビジネスプランを一緒にディスカッションしていただいたりしました。ただ、自分が未熟すぎて道半ばで諦めて、ノープランで独立しようと思い、渋谷のフクラスというきれいなビルは1~2ヶ月ぐらいしか満喫しないまま退職しました。

3社目:ベンチャー企業の営業兼マーケティング責任者

その後、独立といってもノープランすぎて、当時5~6人ぐらいだった前職の株式会社Lifunextの立ち上げ期にジョインします。最初は一般的なWeb広告代理店だったので、GMO時代の延長みたいな役割をメインにしてましたが、最初から営業責任者という肩書をもらっていたので、そこからは色々もがきました。
コロナ期に苦しかった飲食店、その飲食オーナー向けのメディア「FORO」を、サイトも作ったことない営業マンの自分が試行錯誤して個人的に作った経験があるのですが(1記事10時間ぐらいかかって頓挫しましたが、アドセンスまみれのサイトは残してあります)、そこでの経験を活かして、オウンドメディアを構築したり、Hubspot導入したり、マッチングサービス、経営者交流会、顧問サービス、展示会、ホワイトペーパー、SNS、メルマガ、アライアンス、補助金活用プラン…etc、色々チャレンジしてきました。上手く行った施策のほうが少ないですが、ありがたいことにチャレンジできる環境の会社でもあったので、すごく勉強になりました。

最終的にはインバウンドの問い合わせが月1~2件あるかないかぐらいの数が20~30件程度来るようになったことは、改めてSEOの重要性を感じました。

あとは途中からスタートアップ起業をセンターピンにした営業戦略に切り替えていったこともあり、出資の話とかも経験できたことは良かったです。
自分のメインのお客さんもスタートアップで色々と試行錯誤しながら支援をしていたのですが、やはりいろんな難しさがあり、そこをどう乗り越えるのかを一緒に考えるのが苦しくもあり、楽しかったです。

営業とかマーケティングとかそういう話やとざっくりこんな感じですが、前職時代には組織づくりを一緒にできたことがすごく良い経験になってます。
実際に5~6名だった会社が40名程度になるまで一緒にやってきました。
採用活動や人事制度、MVVの策定なども色々やりました。みんなも経験のない中、あーだこーだ言いながらちょっとずつでも前に進んで形になっていくのは楽しかったです。決まっても浸透しないことも多かったりで決めすぎても良くないなと思ったり。ご愛嬌ご愛嬌。

組織が大きくなってくるといろんなところに問題が生じます。その1つに各個人のモチベーション、パフォーマンスです。私は営業部のみの管掌でしたが、苦戦していた他の事業部があり、閉じるか閉じないかの瀬戸際だったので、それやったら見せてほしいということで、自分の管掌に加えました。

急に偉そうに指示しても意味ないので、ちゃんと各メンバーと話すことが最優先と思い、目標設計とかの前に、何時間も話しました。メンバーもしっかりと向き合ってくれてパフォーマンス発揮してくれそうやな~と思った反面、ここまで焚き付けてしまったのであれば自分も生ぬるくできないと思い、自分の部署の中で誰よりも早く出社することを決めて、半期過ごしました。(1回だけメンバーに負けたことありますが、その人は家に帰っていないというイレギュラーくんだったのでノーカウントです)
結果としては、みんな楽しくやってくれたような感じで、半期のアワードもみんなで受賞できたりで自分のやり方は間違ってなかったのかな?と少しの自信を持つことにも繋がりました。

4社目:株式会社Adaptiqueの創業

という良い経験をさせてもらったこともあり、こういうことを「自分の会社でやりたい」というエゴが生まれてしまいまして、素晴らしい会社を退職して独立することになりました。まだまだお返しできていないことのほうが大きいですが、レバレッジかけて自分が独立して会社を大きくしたほうがお返しできる規模が大きくなるんじゃないかという気持ちもあります。(キレイゴト)

過去の経験をつらつら書きましたが、今後はどうするのか。
引き続きスタートアップ企業を中心に、マーケティングとセールス面で支援していく事業を展開していきます。

今までと違うところは、Web広告代理店のビジネスモデルの広告費の20%みたいな形態は変えます。固定費をベースにしたサービス形態にしつつ、領域毎で細分化して提供していきます。
あと、毎月毎月思いつきで進めるやり方もおかしいので、PJT化をして、企業の目標スケジュールに合わせてロードマップ作成して計画を立てながら実行していく取り組みもデフォルトにします。

仲間ほしい

どういう会社にしていきたいか、みたいなのはまた追々発信するとして、一緒に良いサービスを提供していく仲間を募集していこうと考えています。

▼MVVのVALUE

  • 一旦やってみよう

  • 決断する覚悟を持つ

  • 決して驕らない

  • メリデメだけじゃない、感情ファースト

  • 一喜一憂して、楽しもう

最近は「せっかくやから」が口癖になってるみたいですが、こういう感覚に少しでも近いなと思ったらお話しましょう。
僕はいたって普通の人間ですが、たぶん良い組織を作れると思ってます。
よろしくお願いします!

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