香道道具

香りに聞く・・・情念、マインドフルネス、そしてゲランのミツコ

12月1日、世田谷の龍雲寺にての「年の瀬感謝の聞香会」でした(香道では香りを嗅ぐ、匂うとは言わず「聞く」とします)。第一部は香道御家流、設立51周年になる香親会 原田堯薫先生の主催、そして第二部は香親会の幹事でいらっしゃり若手香人のエース(と別の方の記事で以前拝見しました)木下薫先生の主催でした。

香道には御家流(三条西流)と志野流大きく2つの流派がありますが、宮様流と武家流と理解していいと思います。武家流はどうしても、作法に厳しくなるものなのですが御家流の本会では香を楽しむ、味わうことを優先としてくださり、暖かい柔らかい雰囲気が終始ありました。

この日は、「茜」と「苔筵」という銘の香を鑑賞させていただきました。茜は香木のうちでも最も格の高い伽羅、苔筵は真那伽という種類の香木です。「六国五味」という言葉があり、六国とは〇〇産(厳密には経由地、出港地)、五味は香水で言えばノート(香調)といことになります。雑ですけれど、ワインに例えればブルゴーニュ、ボルドーなどの産地、酸味とか果実味とかのテイストでしょうか。そしてブルゴーニュ産の繊細なテイストのワインにもいろいろな出来栄えがあり、上質なものは地域や畑の名前以外にオリジナルの名前が付けられる、それが銘といえるかな。※ちなみに伽羅だけはエリア名ではなく、「黒い」の凡語からきているようです。

拙文をご覧くださった薫先生によると、香の名は、天皇から賜るもの、あるいはそれに比する古文書に認められるもの、銘は近現代に、希少な香木と巡りあった老舗お香屋さんが、宗匠に命名していただいたもののようです。めいにも銘と名がある。日本の言葉の妙と。「茜」も「苔筵」も、御家流の先代宗匠、三条西堯雲様によるそうです。


茶道や華道に比べると香道が、そんなにあちらこちらで見受けられないのは、香木が有限であるから、と聞いたことがあります。香木は東南アジアの熱帯雨林に生息するある種の樹木が外傷を受けたことで樹脂が沈殿しやがて凝固し、その部分だけが腐敗せず、原樹が土の中にかえり他の部分が腐敗しても、その部分だけは残っている。それを掘り起したもの、といいます。なんとも気の遠くなるお話。それだけ年月をかけ自然の力を大いに借りてできるものですから、希少の中の希少と言えるかもしれません。うろ覚えですが、香木になりうる原樹を見極めるとか、探し当てるとかも原住民の中の限られた方が代々継承していると聞いたような。。。

さて、香席ですが、茶室というこれまた究極のシンプルの空間で十数人が寄合うように座し、順番に、そして大切に大切に銘香を聞く。ほんの数十秒の至福のために。けれど、その至福のクオリティと言ったら!この日は世田谷での開催だったけれど、それが飛行機や新幹線を使わないと行けない地でも、何時間もかけてきっと、行ってしまうと、これを求めて、と思いました。

そう、その一瞬のために何百倍もの労も厭わない、「道」が説く世界観にはそういう価値と吸引力があるのだな、とこの日、私はつくづく思ったのでした。これぞ、得難いマインドフルネス、と感じました。

さて、不慣れな所作で鑑賞させていただいた香ですが、茜には華があり、それでいて香りが幾重にも緻密に折り重なっているような「丁寧さ」を感じました。そして「苔筵」こちらは、後で木下薫先生にお教えいただいたところによると、香人の間では、「女のうちうらみしたる香り」とされ、そのようでありつつ「躍動感あふれている香り」ともされる、とのことでした。私の印象は何か、秋の日の澄み切った清々しさにも似たものでしたが、面白いものです。

実は「苔筵」と聞いて、香水のシプレータイプということをすぐに思いました。シプレータイプは、1917年に現代香水の革命児フランソワ・コティにより世に送り出された香水「CHYPRE」からきているのですが、この時、世に初めて提供されたノート(モッシーノート)は苔を原料としたものなのです。草原から森林へそしてその森の奥深く太陽光の届かないような、樹木も土も湿り気を帯びた空間の葉や木の香りのくゆり、独特の苦みと(多くは共に処方するフルーティーノートのせいで感じる)独特の甘み、その絶妙なバランス、深遠さ。

苔筵の躍動の中にも同じ個性を感じました。私は、香を聞かせていただいた後にその銘に因む歌を詠むという時に、苔筵を「シープル(シプレーの古い言い方)」と言い換えてしまうという、(素人のくせに)はしたないことをしたのですけれど「そういうのもまた斬新ね」となんとも大きなお気持ちでお言葉頂きました。

翌日、木下薫先生から、「シプレーといえばミツコもそれにあたりますか」と追伸をいただきました。そうです、ミツコは現代香水の父とも言われる大天才、ジャックゲランによるシプレータイプの教科書のような香水です。そして、そこに日本女性の名が冠せられているのも嬉しいですね。クーデンホーフミツコからとも、フランスの小説「ラバタイユ」の作中人物の日本女性からとも言われています。ラバタイユは邦訳がないのですが、海軍中将の奥さまでありながら、敵国のフランス将校と恋に落ちた女性の名だそう。第一次世界大戦の時代設定。情念を垣間見るエピソード。

香を聞く、~私は自身のワークショップで香水や香料を使うのですが「香りをかぐ」という音の響きがどうにも苦手で、香道から拝借して「香りを聞く」としています~、これ、情念に触れることであり、マインフルネスであり、香りが見せてくれる「いまここ」の自身の真相~熱い思いやいろいろ~そして合理性や蓋然性では測れない「有り難さ」とうものが身に染みた第一部でした。


※お写真は木下薫先生から拝借いたしました。(最後のミツコ以外)

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