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目から鱗の大刺激

前置き
adams fragrance familyのサロンのことを考えながら自己観察するNOTEの3日目。
adamsといえば香りの人、ありがたいけれどこれは私が放った煙幕?そんな自問自答から始まった。
そこで、サロンのテーマを切り口に考えを深める自分に向けたNOTE。

「ときめく会話」「目から鱗の大刺激」「穏やかな風」「エレガントな尊重」
これがサロンの中で起こっていてほしいこと。願いでありマストである。
二つ目に目から鱗が落ちるような刺激、大刺激とまで謳っている。

イワンのバカを思う
よく「凪の人」という言い方があるけれど、私をそっちにカテゴライズする周囲の人も多いかもしれない。あるいは、そうだと言って納得する人。
楊貴妃を究極の天然とかつて考察したように、究極の凪の人と言えば私にとっては「イワン」。トルストイのイワンのバカの主人公。
思考停止でもない、長いものに巻かれているでもない。
朗らかに信じる。信じて委ねているから右往左往しない。
だから彼の人生は平穏無事とは程遠い、けれど精神世界に嵐はおこっていない。
だから平穏ということと外的刺激は相関しないのかもしれない。
・外で風が吹きまくっても、気持ちが翻弄はされない
・外での風に気持ちも翻弄される
・気持ちが翻弄されないように、風のない場所に身を置く

私は心の中はうねってるけれど、外見はそうでもないみたい
生きていたら思考は停止することはないのだから、意識も気持ちも吹く風に弄ばれる。感情がうねることが、私が鼓動している証とも思う。
それでも、「いつも会うとほっこりする」「穏やかな気持ちになる」と言ってもらえるとしたら。(これは明日予定の「穏やかな風」につながるかも)
そのような安心感を損なわずに、

それでも生じる「目から鱗の大刺激」
アハ体験、満たされる好奇心、刺激は大切だと思う。目から鱗が落ちるとは言いかえればアンラーニング(学習棄却)だと思う。これまでの確信や思考を疑って新しい視点を得る。そこが自己変容につながっていく。刺激ではなく大刺激と直感的に煽ったのは、刺激の大小ではなく、受け取る側のテンションの上げ下げのように思ったからなんだろう。
積極的に刺激を受けに行く、楽しむ心持ち。自分のこだわりを捨てるから、目から鱗は落ちる。
前代未聞のすごいことがある、ということではなく、互いに信じている中での発見。発見しようとする気持ち。
そういうことなのだ!耳を傾ける。香りと語り香りに聴く。
香り、思い、呼吸。(ツール、あり方、体現)。

#note100日
#コルクラボ
#adams


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