アクセサリー?
blue giantという映画を少し前に見て、ひとつのことに当たり前のようにのめり込む作中人物たちにとっても心動かされた。
そしてその感動のうちに、ふと私にとっての“香りのこと”はアクセサリーでしかないのかもと思った。
別に格好良いからやってるわけでもないし、やっていることを恰好良いとも思っていない。
アクセサリーと、その時は言語化したけれど、その後もたまたまこういうテーマで話す日が続いて、アクセサリーというか煙幕に近いのかもと思った。
本当の自分を香りの世界という煙幕で包む。
ワークショップのことコレクションのこと作品のこと。
そういうことを持って、自分という人間の紹介を“済ませたい”という思い。
自信のなさ、だろうか。
同時に、やりたいことは香りではない、「こころのハナレ、大人の自己変容、美しい化学反応」そのための場づくり。
そこでは、ときめく会話があり、目から鱗の大刺激があり、穏やかな風が通り、エレガントな尊重がある。
香りはそのツール。
最近あらためて思う。言葉にすると凡庸だけれど成長することの大切さ、
というか、それをもとめている自分のこと。
だけれど、入り口の香りで、わたしの印象や人物像が固まってしまう。
それは香りの煙幕のせい?
香りが何より素晴らしいとは思っていない。
音楽でも料理でも哲学でもいい、自己変容していくツールとして、たまたま
香りの世界を持ち出しているだけ。
もう少し、眺め、分入り、考えたい。
どうして私の前には香りの幕が降りているのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?