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職人の話Vol.1 岩城工業株式会社 岩城和裕さん

足立区の工場で働いている人に日々のお仕事から暮らしまで作り手の人柄にスポットを当てた「職人の話」。
記念すべき第一回目は、岩城工業株式会社の岩城和裕さんです。

岩城和裕
現足立4丁目生まれ。岩城工業株式会社 代表取締役。
1997年から2017年までの20年間、足立区異業種交流会『イコーの会』の会長を務める。
謙虚で包容力のある親分肌。趣味はテニス。最近はめっぽう朝型人間。

岩城工業株式会社
所在地:足立区梅田
業務内容:線材の曲げ加工と溶接などを含んだ金属製品の製造。
特徴:工場にある手持ちの型を工夫して組み合わせるため、専用の金型が不要で小ロットから対応できる。傷をつけずに曲げる高度な技術を持ち合わせている。
足立道具店のプロダクト:カラビナS字フックハンガー


恵まれてるんです、
自分はたまたま運が良かっただけ。

親父が立ち上げた工場に、25歳の時に入社して。機械もあったし人もいた。そんな状況からスタートできたので僕はラッキーだったんですよ。

入社してすぐ会社の先行きがみえなくなってきて。
当時はうちに限らずみんなそうだったんだけど、営業なんかしないから、景気が悪くなった時に全然ダメになっちゃった。
…えらい会社に入ったなと思って(笑)
でも、恵まれてたのは日本全体がダメだったわけじゃなくて、たまたまうちの周りがダメになっただけだったんだよね。
若いんだから、色々回ってこいって言われて、
あちこち営業まわって仕事探しましたね。
時には岡山まで営業しに行ったりもしました。
仕事が決まるかもわからないのに(笑)

知らない人のところに行くって怖いじゃないですか?
半分旅行がてら…とか思ってたけど必死でした。若いからできたんだね(笑)
若い時に会社がひどかったのを経験できたから、積み重ねで今があると思う。
だから運が良かったよ。

数年はその時の営業でとった仕事でなんとかなってたけど、今までやってきたようなことを続けてもダメだと思って。
金属の線加工に特化できるように機械設備を徐々に入れ替えてきました。

今の会社に入る前はテレビとかの放送機材をつくる会社で図面をひいてたりしたんだけど、図面かいて2週間後にはモノがあがってきて。その時は感動したなぁ。
「おい、組み立てできないぞ!」とか言われたりして、自分で穴開けなおしたり(笑)
上司のチェックなんてきちんとなくてハンコ押すだけでしたから、責任は全部自分にある。そこでもだいぶ鍛えられましたね。

会社に行きたくない時もあった。
日曜の夜になると憂鬱になったりして(笑)

今の社員はみんな自分で考えてやってくれるし、これどうしたらいいかなぁ?って、悩んだ時は相談します。
昨日もやり方に煮詰まったから相談したな。そしたら新しいアイデアをくれたりして上手く進むことがある。

さっき、溶接見た時にできたやつ見せて?って言ったら、脇に置いてあったやつ渡してくれたでしょ?
やったばかりのやつは、まだ溶接の熱で熱いから。
そういう気遣いが自然とできるんだよね。
だからありがたいよ。
 
一時は会社の人間関係で悩むこともあったけどね、親父の代から働いている人と新しい世代の人でギャップがあったりもして。責められたりもするからその時は会社に行きたくなかった。今のみんなは頼りになりますね。
今度娘が育児休業から復帰してくるので、また楽になっちゃう(笑)
 
あとは周りの工場にも協力してもらってます。今の時代、一番大事ですね。みんなが連携していかないとね。

今は完全に朝型。もう夜は全部いやになっちゃった(笑)

運動のためにも週に1回テニスやってるんだよね。
30年やってるのに一向に上手くならないから、奥さんには何やってるの?って言われるんだけどね(笑)
あとラジオ体操。手先までしっかりのばすんだよ。

この前たまたまラジオで明日の朝は宇宙ステーションが見えるって言うから、明け方に起きて。荒川土手まで歩いて上空を見上げていたら、10分くらいの間に南から北に徐々に移動してるの。あれは感動するね!早起きして得した。
そういう風に自分で楽しみを見つけていかないとね。

足立道具店の商品はこの値段で売れるの?って思ってるけど(笑)逆にその値段で売ってもらってるんだから、それにこたえる品物作らなきゃダメだって思う。
どこでもできる仕事だと値段が勝負になっちゃうからね。こういう仕事をやることで技術が伸びていくので。加工の付加価値をあげているから続けることが出来てる。
期待に応えていきたいですね。

取材・文・写真 きさらちさと


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