1時27分のプラムと洋梨

 ボウルを持ってキッチンへ行くと、カウンターのコンセントでマリツァが携帯を充電していて、酔い潰れたアデルがダイニングのテーブルに突っ伏していて、奥のソファーで知らない男が寝ていた。
 夕方に鍋いっぱいに用意しておいたアヒ・デ・ガジーナが、夜になって帰ってきたら全部食べられてしまっていたとマリツァが溜め息を吐いていて、念のために私は違うよと返事をした。
 今日は夕方にパーティーから帰ってきて部屋で寝てしまい、起きた後もそのままベッドでさらば青春の光のYouTubeを見ながら過ごして、気づいたら夜の1時27分だったのだ。
空腹感はあるものの、パーティーで食べたフェイジョアーダがまだ消化され切っていない感じもあり、果物が食べたくなった。
 アデルが辛うじて座っている椅子をどけて、戸棚を開ける。アボカドの袋の上で、ビニール袋に入ったプラムと洋梨が出番を待っていた。
 プラムと洋梨は、どちらも近所にあるスーパーのディアで買った。計り売りでそれぞれ3つずつ選んで、プラムは0.93ユーロ、洋梨は0.74ユーロだった。ディアは庶民派スーパーなこともあり、最初はあまり期待せずに買ったのだが、食べてみるとプラムは果肉がしっかりとしていて甘酸っぱさが丁度よく、洋梨は舌触りが滑らかで瑞々しく結構美味しいので、今では週に1回必ず買ってストックしておくほどだ。プラムは売り場で既に皮が黒っぽくなっているものを選び、洋梨は黄色い部分がないものを選んでそれぞれ3日か4日ぐらい戸棚に置いておくと、食べ頃になる。
 ビニール袋から取り出してみて、1番柔らかくなっているプラムを2つ、洋梨を1つ取り出した。そのまま流し台へ持っていって、水道水にさらす。この一連の行動が、いかにも外国に暮らしているという実感が得られるような気がして私は好きだった。日本に住んでいた頃は、まず生活の中で果物が食べたくなることがなく、「なにかジューシーなものが食べたい」という欲求があって、それを解消するために、高い果物ではなく安いグミやラムネを食べて過ごしていた。
 前に、私がぶどうを洗っているところを見たアレハンドロにどうしてそんなことをするのか? と訊かれたことがあった。農薬か保存料か分からないが、皮についている粉を落とすためだと答えたのだが、そんなの大丈夫だと言って3粒ほど取られた。気にしない人もいるんだなあ、などとその時は思ったのだが、しかしそれもそのはずというか、そういえばコロンビアのカリという街にあるアレハンドロの実家は庭にマンゴーやオレンジやグアナバナが生えていて、今でも実家に帰った時は庭で採った果物をそのまま食べるのだと言っていたことを思い出した。
 ボウルを持ってキッチンを後にし、部屋へ戻ってまずはプラムに手をつける。適度に熟していて、つやつやとした皮は薄く、果汁と果肉の表面の方が甘くて芯に近い方は酸っぱい。部屋の中ではしばらく私がプラムと洋梨の皮に歯を立てる音だけがしているのであった。
 いつもだったら金曜日の夜と言えば必ずアレハンドロとジェラルドとマヌエルと、あとは誰かの友達などでダイニングは人でいっぱいで、アレハンドロの大きいスピーカーで爆音でサルサかレゲトンがかかっていて、皆それぞれ喋ったり踊ったりしていて、また上の階のベネズエラ人達も、同じように普段は音楽を大音量で流して歌ったり踊ったり、跳んだり怒鳴ったりとそれは賑やかなのだが、今日は全くその様子が感じられない。
たまにかすかに聞こえてくるアデルの呻き声と知らない男のいびきと、あとは私が果物を食べる音だけだ。
 みんな土曜日を待って寝静まっているのだろうか? もちろん時間の上ではもうスペインは土曜日ではあるが、ひとり小さい部屋のベッドの上であぐらをかいて果物を食べながら、私は金曜日の夜を楽しんでいた。
不思議に静かな金曜日の夜だった。

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