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こんな日が来るのはずっと知っていた、だけど案外気は晴れないな

学生時代、長く付き合っていた人が結婚したらしい。


正直「このご時世で挙式とかなくて大っぴらにしてないだけで、もう結婚してるんじゃないかなー」と思っていた。そう思ったのは、恋愛に後ろ向きどころか積極的に距離を取る私すら、新しい恋人ができた頃だった。

だけど少し前に、律儀にSNSでもうすぐ式を挙げると報告が流れてきて「あぁそうだ、あの人はむしろこういうイベント大好きなんだから、やらないはずがなかったよな」と思い出した。


少し前の休日が、その人の『人生最良の日』その日だったらしい。
当日はSNSで、共通の友人たちから次々に写真が送られてきた。

隣にいた頃から、こんな日がいつか来るんだろうなとは思っていた。
「君がいつか大人になって夢を叶えて、いつか話してくれた理想の家庭を築く時、私は隣にいないだろうな」「むしろ、私じゃ叶えられなかったその姿を見て『よかったね』って安心したいな」とさえ思っていた。


だから確かに「よかったね」とは思った。写真を見て思わず笑っちゃったくらいだし、それならもっとこう、晴れやかな気持ちになると思ってた。でも、思ったほどの晴れやかさも感慨深さもなくて。

99パーセントの「よかったね」の前に、1パーセントの「なんだかなぁ」って黒い気持ちが、最大瞬間風速40メートルくらいで一瞬駆け抜けていった。
よかったと思うのは確かなのに、純度100パーセントじゃなかったことが、喉に刺さった棘みたいにふとした時にイガイガして抜けなくて。じゃあ私、どうなってて欲しかったんだろうって考えている。



写真を見て笑っちゃったのは、「いつかこの人はこんな結婚式を挙げるんだろう」「守ってあげたくなる可愛い女の子が隣にいて、全力でカッコつけて、装飾や動画や余興も全力でやるんだろうな」と勝手に想像していたことが、笑っちゃうくらいすべてその通りだったから。
挙式予定があると聞いてから「きっと縁起を担いでこの辺りの日取りなんだろうな」って察していた、そんなところまで想像通りだったから。

その人が働き始めてから住んだ、故郷から遠い遠い街で出会った可愛い女の子は、当たり前だけど勝手に想像されてたことなんて知らないぴかぴかの笑顔を浮かべていた。この人と結婚できて嬉しいって、まさに花嫁の顔だった。それが「普通」で、正解なんだと思う。


こういう式になるんだろうと思っていた。でも、もし私が隣にいたらこうはならなかった。だから望まれもしないうちから「私にこの人は無理だ」と思っていた。

そして今ハイテンションではしゃぐその人の写真を見て、「隣にいなくて良かった!」と心から思って。
そんな『もしも』を今更仮定した自分にがっかりした。
本当に自分と関係ない人なら、『もしも』も考えないはずなのにね。

昔仲がよかっただけで、今はもうなんでもないのにな。「想像ついてたよ」なんて変に知った顔でジャッジしてる自分が嫌になった。



絶対に復縁願望なんてなかったのは、心の底から本当。
未練があるとしたら「学生時代に長年続いた恋を、フィクションみたいにそのまま実らせるのは無理だった」ことだけ。同じような話を聞くともったいないと思うから。でも、そんな理由で引き留めようとは思えないほどには終わっていた。

今どこで何をしてるのかも知らなかったし、もう知らない方がいいと思ってた。
そうやって知らない人になっていった人の、自己紹介ムービーを改めて見た。
もはや知らない人なんだから正しく自己紹介を受けたようなもので、「やっぱりもう仲良くなれそうな要素がない」と確信して安心したのも嫌だった。



たぶんいっそ、「私もこんな式なら挙げてみたいな」って憧れるくらいの式だったらよかった。そうじゃないなら、知らない間にしれっと結婚しててほしかった。

「想像通りだな」って笑っちゃって、「ちょっと私ならキツいな」なんて思いたくなかった。

この感情が純粋な感想なのか、相手を否定して自分を肯定したいだけなのか分からないのが嫌だ。こんな気持ちにさせないでよ、とか思いたくなかった。
だから文句の付けようがない、誰もが憧れるような式を挙げててほしかった。


この人は自分の人生を振り返る出し物を作るにあたって、少しでも私たち、過去に好きだった人たちを思い出しただろうかなんて。
相変わらずこれが初恋みたいな顔で、ストレートすぎる恋愛ソングをBGMに自分たちのラブストーリーを語る姿に、『学生の頃からやってること変わんないな』と言いたいなんて。

一瞬だけ思ったそんなことを、考えたくなかった。「この人は私たちとの時間を消化した上でこれか」なんて。
思い出してなくていいし、思い出されていい風に消化されててもムカつくし、一方的に言いたいだけでリアクションは欲しくないし。そもそも私が考えてること全部、ブーメランと言われてもその通りなのにね。

こんな気持ちは一瞬だけですぐ消えていったけど、それでも自分にもこんなエゴがあったのが気持ち悪かった。


たぶん私、「この人と付き合ってよかった」と思いたかった。思わせてほしかった。この人と一緒にいた自分を肯定したかった。
「私が隣にいなくてよかった」なんて思わせてほしくなかった。手が届かないくらい素敵な人になっててほしくて、なのに「手が届いたとしても、もう触れたくない」と思ったことが悲しかった。

こう変わってればいいなんて、自分だって変わるくせに本当におこがましいね。他人に勝手に期待して勝手にがっかりする自分を嫌いになりそうだ。


戻りたくも何ともないし、自分は今の幸せを手放したくもないし、思い出さなくていいって言ったけど爪痕は残っててほしかった。色々あったけどこの手を取ったのは間違いじゃなかったと、あいつはいい奴だったと思っててほしかった。でも「なかったことになればいい」と思ってしまった。

あの時間もあって今の私がいるのに、だからうまくいかなかった恋だって何もなかったよりマシなはずなのに。一瞬だとしたって、こんなことを考えた自分が嫌だ。


もし、友人たちを交えていつかまた会えたとして。もし万一、「あなたも幸せそうでよかった、あの頃はありがとう」みたいな言葉を聞かされたとして。私はそれで満足なんだろうか。
たぶん、欲しかった言葉のはずなのに、聞きたくなかったと思うんだろうな。

「あなたも幸せそうでよかった」の裏には『自分だけ幸せだったらなんか悪いな』があって、たぶん向こうにも探られていたけど、私も同じことを思ってた。

だから「私は幸せだけどあなたは幸せじゃなかったらごめんね」って、どこか上から目線の罪悪感があると知ってる。知ってるから「幸せそうで良かった」と思いつつ、自分がそう思われたくはない。
つまりきっと何て言われたって、心から晴れやかになんてなれないんだろう。


その人の結婚式の写真自体は、見たくないものなんかじゃなかった。純粋に楽しそうだと思うし、見たかった景色だとも思って見返してしまいすらした。

こんな景色がこの人の人生にちゃんとあって良かった。こんな景色の中で笑うこの人を見られてほっとした。そう思うのは本当。あの頃の私に見せても「やっぱこうなるよね」と、苦笑いだけど笑うと思う。

でもやっぱりどこかスッキリしないのは、この日までのこの人の人生を少しだけ想像できてしまうから。

私なら逃げ出したい景色の中で、最高に幸せそうに笑うこの人は。『私の思う幸せを話しても、1ミリも理解してくれないままだったんだろうなぁ』と思い知った。
「自分の描く幸せと相手の描く幸せは同じじゃないかも」なんて考える必要もないまま、好きな人と結婚して家庭を持ちたいと望んで、それが当たり前に叶ってここまで来たんだろうなと思った。


たぶん、「じゃあどうなってて欲しかったんだろう」の、答え。
初めて彼女ができた学生みたいなぴかぴかの笑顔じゃなくて、もっと穏やかな顔して笑っててほしかった。
色んな幸せの形を知った上で今日を選んだと分かる、知らない大人の顔だったらよかった。晴れ姿だけが幸せじゃないと知っててほしかった。そうしたら「私の手の届かない素敵な大人になっちゃったな」って思えた。

いつか飲み会の喧騒の中で聞こえた「配属先によっては結婚も見えてくるかも」と言った声に、「結婚式なんて挙げたくないよ」「派手な出し物も演出もやだよ」と私が言っても、きっと1ミリも理解しなかっただろう。「好きな人とは結婚したいものだ」と疑ってもなかった。
だから絵に描いたような幸せだけを幸せと思ったまま大人になれてる、「普通」を「当たり前」だと思ってるままの笑顔にがっかりした。

いや、ううん、たまたま2人の描く幸せが一致しただけで、もし今隣にいる子が同じ言葉を口にしてたら聞いたのかなぁ。今私の隣にいる人も、納得はできなくても理解はしたいと聞いてくれてるように。


あーぁ、綺麗に終わったつもりだったのになぁ。今更あれこれ思い出してちょっと嫌いになって、綺麗だった思い出まで変な色をつけたくなかったのになぁ。

こんな気持ちだけが、最後の最後に残ってたんだ。
「もうどうでもいい」と無関心になれるには関わった時間が長すぎた。でも綺麗なだけじゃないからこそ、やっぱりこれはちゃんと恋だったのかな。


何もかもが分からなくて、幼くて拙くて恥ずかしくて、いっそ今となっては黒歴史みたいに思っていたんだけど。私もちゃんと恋してたのか。認めたくなかったな。
知らない人になってから、その新しい恋が成就するのを見て納得したなんて、なんだか本当に知りたくなかったなぁ。

昔好きだった人が幸せそうで嬉しくて、恥ずかしかった幼い日々を思い出して切なくなった。
見た瞬間は感慨深さなんてないなと思ってたのに、やっぱりいろんなことを思い出して、もう何もかも過ぎ去ったんだと改めて知って、今更ちょっとだけ泣きそうになった。誰かの願いが叶うころ、を思い出す。


だけど大丈夫、この涙は、きっとあの頃の私の涙だ。

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