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この愛に名前をつけるよろこびと、型に押し込むエゴは似ている

「気持ち的に、結婚に興味がないのはよく分かってるんだけどさ。じゃあ聞き方を変えて、あなたにとっての結婚することのデメリットってなに?」

交際相手に聞かれて、ふと考え込んだ。
「結婚したくない理由」を聞かれることはよくある。でもいつも感情的な理由を答えてばかりで、生じるデメリットを答えたことはないかもしれない。確かに意外と、気持ちと条件とを分けて「結婚したくないな」と思う気持ちを因数分解したことはなかった。


気持ちの面でなら、今までにも「結婚したくない理由」をいくらでも話したことがある。

ふたりよりひとりの方が生活は気楽だから。自分の人生で手いっぱいで、他人の人生まで抱える器がないから。自分が主役の仰々しいセレモニーを手間と時間とお金を掛けてやりたくなくて、結婚式を挙げたくないから。

シンプルに妊娠も出産も生理的に恐怖だから。自分の遺伝子を残したくないから。子どもが欲しいとも育てたいとも思わないから。でも反対された時に戦うことが煩わしいから。

家族や親戚が増えることがしんどいから。自分の親みたいになりたくないから。独身を揶揄されるのが嫌だという気持ちよりも、結婚と付随して生じるライブイベントへの気の重さが上回るから。どうせ一生「結婚はまだ?」「子どもはまだ?」「子どもの進学・就職先は?」「子どもの結婚は?」などのお節介からはどの段階に進んでも逃げ切れないから。それなら「個人の問題」で問題が解決する今が楽だから。

結婚するなら幸せにならなきゃいけない、結婚したら幸せで当然だという空気に押し潰されそうだから。夢や憧れはないのに、ただ生じる社会的責任やかかるお金の重さに潰されそうだから。単純に私には眩しすぎるから。


そんな気持ちの比重がほとんどな話ではなく、条件的に欠けているまたは損なわれるものは何か。ソフト面ではなくハード面の問題。
言われてみたら考えたことがなかったなと思って、こうして理詰めで語りがちなところは、やっぱり私とこの人は思考が似ているよなぁなんてしみじみした。ずっと「理屈っぽくてかわいげがない」と家族に叱られてきた私にとっては、同じように話してくれるこの人の、こういうところが救いだ。

それで、せっかくなので、考えてみることにした。
結論から言うと、私にとっての結婚というシステムは「あんまりメリットの感じられない会員登録」みたいなものかもしれなかった。

例えば、行きつけのお店があるとする。ベーカリーでもパティスリーでもブティックでもなんでもいい。とにかくよく行く、日々を幸せに過ごす上で欠かせないお気に入りのお店だ。
ある日、お店に「あなたを当店唯一のVIPと認定しました。ついては会員登録をしませんか」と提案される。一応「登録したら何ができるんですか」と確認して、返ってくるのはこんな答えだ。


・あなたのことを、当店にとって最も大切なお客様だと認めた証になる会員証を発行します
・入会に際しては、当店に関わる全ての方に最も大切なお客様としてあなたを紹介します
・紹介セレモニー費兼入会費として、セレモニーへのお気持ちに応じてある程度まとまった費用が必要となります
・また入会時はこれまでの顧客名簿からの情報更新が必要となりますので、更新に必要な各種手続きは自責でご対応ください


・特にポイントが貯まるとか、キャッシュバックがあるとかはなく、ほぼ金銭的な利益が発生するものではありません
・ですが、あなたを大切なお客様だと認めて登録することで、あなたの好みを把握してあなたの生活を向上させるためにより良いご提案ができます
・新商品の開発/仕入れにおいて、常にあなたの意見を参考にします
・店外で新規事業を始める場合は、当店の意見や状況に応じて審議が必要な場合があります
・当店とあなたの合意があり、テナントの空きなどのタイミングが合えば新規出店も可能です

・お店をより良くするため、サービスについてのアンケート回答(あなたは唯一のVIPなので回答必須)も恒常的にお願いします
・退会も可能で、入会時ほどの費用はかからないことが多いですが入会費の返還はできかねます
・退会後は、今後のご利用が一切できなくなる可能性および、他店のご利用も難しくなる可能性をご承知おきください



ここまで言われると、私としては「VIPになれて嬉しい!」よりも「別に会員登録せずにこのまま利用すればよくない?」「もはやこれ、会員登録っていうか共同経営権を得るって話だよね?」という印象になる。

つまりは「生じる義務や払う代償(デメリット)のわりに、得るもの(メリット)をあまり感じない」ことがデメリットといえばデメリットだろうか。
まあ実際結婚というのは家庭の共同経営だよなとは思うけど、つまるところ私は共同経営者よりはフリーランスでいたいのだ。


私は自分の人生で、結婚して安定したいわけでも安心したいわけでも、ましてや裕福になりたいわけでもない。
生活に余裕は欲しいけど、とりあえず明日や来月や来年の生活を憂うことなく生きていける程度なら十分だ。

自分のこれまでの人生は自分のこれからの選択肢を増やすためにあったし、だからこそ結婚のメリットよりも、自分だけで判断できないことが増えるデメリットに目が向いてしまう。
要するに私は世間一般的に「幸せ」である状態よりも、自分が自分のためにできることが減ったり狭まったりせずに、何事も自分の意思で決められる「選択の自由」がほしい。

私にとっては未婚でいる不安定さや、感じる人もいるのかもしれない世間体の悪さなんかよりも、それを埋めようと無理することもなく自分のペースで生きている方が、よっぽどストレスが少なくてメリットが大きいのだ。

もちろんこれはあくまで自分の問題だから、自分にとって大切な人たちが結婚することはめちゃくちゃに嬉しい。
でもそれは個人的に「結婚することそのもの」を祝っているわけではなくて「その人が結婚したいと望んで、それが叶うこと」を祝っているつもりだ。
結婚は「したら幸せになれるもの」じゃなく、結婚して「一緒に幸せになりたいと願う人同士でするから幸せになれるもの」だと思っているから。友人の結婚が幸せであることと、私にとっての結婚が幸せの代名詞じゃないことは全然別だ。


強いて言えば、自分も事実婚や別居婚ならできるのかもしれないなとは思う。
「それはちゃんとした結婚ではない」という意見もあるけれど、別に「ちゃんとした」の基準なんて人それぞれだ。当事者同士が客観的視点も踏まえて「ちゃんとした」合意の下に築いた関係性なら、第三者が「ちゃんとした結婚・関係ではない」と口を出される筋合いも出す権利もないだろう。

もとより私は、友達以上恋人未満みたいなゆらゆらした関係に不安よりも楽しさを感じるタイプだ。
名前がなければ、肩書きがなければ、まだ何にでもなれる可能性を秘めている気がする。進学する学科や学部を決めないうちは可能性は無限で、未来は真っ白なキャンバスみたいだと思い込めていた学生時代に似ている。
(もちろん進学してから受験し直したり転科したりも可能だけど、やっぱり一度ある程度は方向性を描いて決断しているわけなので、完全に真っ白で無限大のスペースではなくなると思う)
そんな生活が毎日続くなら、世間的には「ちゃんと」していなくても楽しく幸せにやっていけるんじゃないかと思う。でもやっぱり、そこまでして誰かとの関係を縛りたいわけではない。


無限の可能性があるように思えていた関係性に名前がついた時は、着地点を見つけた安堵とともに、聞いたことのある名前がついてしまったなという一抹の寂しさがいつも入り混じる。

見たことのない、新種かもしれない生き物を見つけたときの気持ちってこうだろうかと思う。
呼び名が分からない不安と、これから決まるかもしれないわくわく感。名前を知れた時の安心と、新種じゃなかったことへの少しのがっかり感。

私はたぶん、いつまでも子どもみたいに、見たことのない生き物みたいな知らない気持ちとずっと向き合っていたいのだ。それは結婚をするには不安定で無責任だろうなということは知っている。

だから「結婚はあんまりメリットを感じないのに手間がかかるのがデメリット」なんてのたまう私のことは置いて行って、世界が続いていってくれたらいいと思う。
神様の前で愛は誓えないかもしれないけれど、それでもきっと幸せは見つけてみせるから。

私の世界が終わらないうちは、どうか同じ世界で生き続けていることを、誰かに、できればあなたに「別にいいんじゃないかな」って言ってほしい。

何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。