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「いい夫婦」とかじゃ全然なくていい、ただのたのしい二人でいよう

「もうすぐいい夫婦の日です!」なんて台詞がテレビから聞こえて、今まで聞き流していたけど「あそうか、我々は夫婦になったんだったわ、これもう関係ある話なんだった」と思い出した。


生まれてこのかたずっと、あれほどまでに頑なに、誰かと「夫婦」になんてなりたいともなれるとも思っていなかったはずだった。

今はときどき、「逆に我々って、今まで夫婦じゃなかったんだっけ?」と思うことがある。


あまりにこの人が家にいるのが普通すぎて、家族じゃなかったことが不思議な気持ちになる。

去年までの私たちって、逆になんだったんだっけ。同棲カップル?彼氏彼女?
自分たちを振り返って客観的に形容しようとすると、そんな色気やときめきに満ちたキーワードが似合わなさすぎてなかなかゾワっとする。

よくて「同居人」がせいぜいだけど、さらにその前の、同居してなかった頃の自分たちは「カップル」でしかないのは分かる。でもやっぱりしっくり来ない。


だって、実の家族といるよりもずっと「家族だな」って思っている。
母よりも母性を感じるし、父や兄よりも雑に扱っているし、昔飼っていたペットよりも遠慮なくふれあっている。

家族には「お前の思考は面倒くさいね」と聞いてもらえなかった話が、この人相手だと聞いてもらえるどころか数倍に膨らむ。「この言葉、実家だと口に出せなくて飲み込んでいたな」と思うことが一日に何度もある。

昔一緒にいた人には「俺のルーティンがあるから、こういう時に触られたくないんだよね」と言われて、なんとなく構いたいし構われたいときも手を伸ばせなくなった。その手は今、いつでも何のためらいもなく伸ばせる。

仲のいい友達にも、「このフレーズは通じないだろうなぁ」と無意識に選ばないようにしているスラングなんかが、向こうの口から出てきて「なんで分かるの」と逆に驚かれる。その台詞を言いたいのは私なんですよ。



どうせ言うだけでやらないし行かないんだろうなぁと思いながら零していた、「あれ食べてみたいんだよね」とか「ここちょっと気になってた」の言葉が、いつも即決で「いいじゃん、行こっか」と拾われる。

私だけだったら多分いつどうやって行くかを考えるのが面倒で挫折するし、言い出しっぺの法則が嫌でそもそも行きたい場所を口には出さなかった。
今は、言い出したのは私だろうと彼が「行こっか」と言いながら、すでに予約ページを開いていたりルート検索をしていたりする。

私だけだったら公共交通機関があまり機能していない時点でどこに行くにも諦めていたけど、運転が楽しいと言って、交代できないペーパードライバーを助手席に乗せて延々と運転してくれる。運転手兼ツアコンを本気で楽しめる人がいるんだと私は知らなかった。


行きたいと言った場所が、食べたいと言ったものが、実現しない「いつか」って口約束にならずに、当たり前みたいにすぐ実現する。

私が少し寝込んだら、身体にやさしい食べ物や飲み物が買ってきてもらえる。酔っ払ってると「救急車呼ぶ?」なんて暴走するけど、「ただ静かに寝かせてくれれば助かる」と言えば静かにリビングに戻ってテレビの音量を下げる。
私が健康診断に少し引っかかると、私よりも動揺する。実の親と同じかそれ以上に心配される。

それが「やってあげてる」「尽くしてる」みたいなご機嫌取りじゃなくて、息をするように普通にやっていることだと分かる。


「やりたいことをやっていいんだ」「思ったことを言っていいんだ」って、いまだにしみじみとびっくりすることがある。
なんだか、元野良の犬猫とか愛を知らない子どもみたいだなって自嘲したくなるけれど。

「あぁ、今までだったらこの言葉は飲み込んでただろうな」とか、「この手はきっと引っ込めてただろうな」「このメッセージは送らなかっただろうな」とか、今も無意識に思うのだ。

『本当の自分』とか『ありのままの自分』みたいな言葉は好きじゃないけど、この人といる私は間違いなくそんな自分なんだろう。


この人の前で、自分をよく見せようと思ったことがない。
私は平気で朝起こされるまで寝てるし、料理だってほとんどしない。でもそれで私を否定しない人だと知っている。

向こうも平気で爆音のおならをするし、洗濯機から出てきた靴下は常に奇数になるし、毎週のように酔って醜態を晒されている。まあでも元から幻想なんか持ってないので幻滅したりしない。

自分たちの会話があまりに小学生同士だったり、母と子のそれだったりして、街中や電車で近くに居合わせた人に振り返られたり二度見されたりもする。
一応互いに「何なんだ今の会話は」とセルフツッコミをするけれど、頭を一切使っていない会話が楽すぎるので反省はせずにまた似たようなことが繰り返される。

こんなにダメなところを見せ合っているのになんでだかよく分からないけど、それでもうっすら尊敬しているしされている。



平和だ。あまりにも平和なのだ。

互いの家族には「まさかお前が結婚できるとは思ってなかった」と言われ、だからこそ「うまくやっているのか」と定期的に心配されるけれど、平和ぶりを伝えるには自分たちの様子がアホすぎてとてもそのままは伝えられない。

毎朝仕事に行きたくなさすぎるし、日曜から木曜の夜は翌日の仕事が嫌すぎて、眠りにつく時に相手の毛布か手を握りしめている。労働のストレスのせいで実感はさっぱりないけれど、たぶん今これは「幸せ」なんだろう。少なくとも家庭は。


一年前までは「いやその書類手続きがまさに面倒なんじゃん」とあんまりピンと聞いてなかったけど、「紙切れ一枚で色んな面倒から解放される結婚は合理的なシステム」という言葉もなんとなく実感することがある。

結婚はしないの考えてるの、いつ結婚するの、将来は考えてるの、あら新婚のご夫婦かと思ったら同棲なの、みたいな質問や目線からはとりあえず解放された。

「どうせ次は子どもの話が来るんでしょ」と身構えていたけど、私が少し体調を崩したので「まだそれどころではない」という真っ当な言い訳も手にしている。
あとは私も彼も結婚から縁遠いと思われていたゆえに、結婚したという事実だけでとりあえず互いの家族は満足している。気がする。


「結婚生活とはこんなものでしょう」と思っていたことはほとんど外れていて、あまりに私に都合のいい毎日が送られている。体調を崩した時にはむしろ安心したくらいだ。微妙に生きづらいけど命には別状がないので、これなら余裕でお釣りが来る。

夫はたぶんいい夫だと思うけど、私は全然いい奥さんではないという自覚がある。だから「いい夫婦」に名乗りを上げる気はさっぱりない。

SNSは私の属性を既婚者だと学習したのか、お受験ママのアカウントや家族への手料理記録アカウントや、不倫された・した人のアカウントがオススメに出てくるようになって、「家族のいる生活ってマジで何が起こるかわかんないな」と日々実感させられている。


先のことは分からないし、いい夫婦でいようともあえて思わないけど、ただずっとこんなにしょうもないやり取りで楽しそうに笑えるふたりでありたいなと思う。

当たり前のようで難しいことを、当たり前のように普通にできるふたりでいられるなら、たぶんそれがいい関係なんだろう。



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