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アメリカのデカさと自由が私を変えた

中学3年生の夏休みに、知らない土地で様々な未知なる経験をし、全てを吸収したと言っても過言ではありませんが、なにせ多感で何にでも好奇心があるお年ごろ。
日本に帰ったとたんに、目線はもう違う方向へと向いてしまいました。

というのは
15歳くらいから17,8歳くらいまで、相当やんちゃな生活ぶりだったのです。

夏休みや冬休みなど、学校が休みになると言うと、両親は悪い友達とばかり過ごすことを心配し、とにかく家にいないように仕向けました。

アメリカ短期留学もそんな意向だったのかもしれません。

そんな中ですが、スキーだけは大好きで真面目にやっていたので、冬休みと春休みはスキー場の住み込みバイトへと送り出されていました。
しかし夏休みにスキーというわけにはいきませんよね。

やんちゃな妹をアメリカへと連れ出したのは、6歳年上の兄

高校2年生だったかなぁ…
その夏はアメリカにいた兄が日本に私を迎えに来て、またまたアメリカへと連れ出したのです。

今から思うと、兄も大変だったことですよね。
何かというと両親から私のことを相談され、常に面倒をみなければならなかったのですから。

行くさきはハワイとロスアンゼルス!

超〜ベタですが。
若い女子にとっては、もう全てが楽しくて面白くてかっこよくて最高でした。

ワイキキの裏手を歩いていると、兄が大麻を売りつけられそうになったり。

ノースショア方面へドライブへ連れて行ってもらった時に食べた、パイナップルに感動しまくったり。

まだ日本にTDLやUSJなんて、これっぽっちもなかった時代。
英語だらけで全くわからなかったけど、アトラクションの凄さに感激し、言葉を失ったり。

LAの裏通りにあるコンビニに入ったら(もちろん兄とね)、店の中にいるのは全て黒人でギョロリと見つめられ、逃げ出したら浮浪者が寄ってきて、「Money, money!!」とたかられ、兄はすぐさま小銭を渡し、私を引っ張って逃げ出したり。

ハリウッドの豪邸と、有名な文字を見て感動しまくったり。

LAの中華料理屋で食べたサンラータンの味が今も忘れられなかったり。

その旅は15歳の時の留学とはまったく別物でした。
少し大人になったこともあるからか、単なる旅行者ではなく外から見る日本というのを感じたのです。

アメリカ留学へ

日本に帰ると、なんとなく大人びた気分になっていました。
いけすかない奴的に「私は外を知っているのよ、あなたたちとは違うわ」という感じ。

嫌なやつですよねー

もちろんそんな態度は出さなかったけど、私の心は、確実に日本から外へと向き始めていました。

そして高校を卒業すると、すぐさまアメリカのオレゴン州ポートランドへと留学に出たのです。

ただ残念なことに大学へ行く権利を持っていませんでした。
なので大学付属のインターナショナルコミュニティクラスに入り、一から英語を勉強をして大学を目指すことになったのです。

大きな転機が私を襲う!

1年後に大学へ入ることを夢見て、まあそこそこがんばっていました。

しかしある時、母から手紙が届き「日本に帰ってくるように」と。
最初は何が起こったのか理解できずに困り果てましたが、理由はアメリカにいる兄と、その頃スイスにいた姉の二人が同時に結婚するというのです。

しかも二人とも国際結婚!

あれだけ留学しろだの、海外を見ておけだの言っていた母だというのに、結婚となると事態は別だったようです。
猛烈な反対運動を繰り広げました。

結果として。

兄と姉から「とりあえずあなただけは日本に帰ってきて欲しい。あなたはまだ若いから、いずれチャンスはやってくる。その時は全力で応援する。」という約束のもとに私は留学生活を諦め、日本へと戻ることになりました。

しかし、再びチャンスというのがやってくる確率は低い…ですよね。

出鼻を挫かれたとでも言うのでしょうか。

その後の私は、留学するということはなく違った人生を歩み始めました。

しかしですね。
この留学という経験が、怖いもの知らずで何でも体験しないと済まないという性格を創り出したのは確かな事実です。




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